続々々々々々々々々々・無縁坂の尋ね人

文・M.Nさん/hirokophoneさん
構成・鎌田浩宮

人探しもする、
エプスタインズ。

城南学習指導協会及び
北部進学セミナーの
国語塾講師
船橋(ふなはし)俊一
を探す。
連載、
10回目。

以下、
その道程。

無縁坂の尋ね人

続・無縁坂の尋ね人

続々・無縁坂の尋ね人

続々々・無縁坂の尋ね人

続々々々・無縁坂の尋ね人

続々々々々・無縁坂の尋ね人

続々々々々々・無縁坂の尋ね人

続々々々々々々々・無縁坂の尋ね人

続々々々々々々々々・無縁坂の尋ね人

もはや、船橋先生を知らない人までもがこの連載を読み、未だ会ったことのないこの先生に魅かれていく。
善良な人間では、ない。
極悪非道でも、ない。
語る人間により、フナセンの側面は、万華鏡の如く移ろう。

そして2018年の始め、新たな情報提供者・ケンさんが現れた。
彼の投稿を受けて、連載第7回から親子で投稿してくれたM.Nさんからの投稿である。
そしてその後に続くは、いっとうはじめにこの連載に投稿してくれたhirokophoneさんからの、新たな投稿だ。

 

 

28年前ですと、私が11才ぐらい、兄が15才くらい、もしかしたら被ってた可能性がありますね。

太めの渡辺先生、
巨漢の三枝先生、
メガネの福永先生、
寝ぼけがおの志村先生、
渡辺先生の彼女の砂川?先生

一人思い出しました。
女性で横田先生って方が居た気がします。
可愛らしい方だった記憶がありますね。

余談ですが土曜日に実家に帰るため、北進の前をいつも通り、車で通ります。

この前通ったら、改装後?のパーティーみたいのをやってました。

当時の写真があればと思うのですが全く見当たらず、北進旅行時の写真、動画は三枝先生がたくさん撮ってましたが、写真を頂いた記憶もなく。。。

M.Nより

 

 

またしても新情報ですね、これも全て鎌田さんのおかげです、本当にありがとうございます。

以前もお伝えしたかもしれませんが、北部進学セミナーは母体があって(ローマ字3文字の社名でした、名刺をもらったのですがどこかにしまってしまったようで見つからないんですよ)もう一人の相方とともに立ち上げたと聞いていました。

なので、ケンさんがおっしゃっているオーナーというのはこの社長のことかと思います。

当時先生と手紙のやり取りをしていて、それを先ほど引っ張り出して見返してみたら

『今月、16〜18日、香港に滞在します。18日昼過ぎに台北に立ちます。社長のお供です。』

と書いてありました。北進を立ち上げる前後の時期だったと記憶しています。
香港、台湾に出向く用って一体なんでしょうね。

ちなみにこの香港行きの時に私の父と夜現地で会って飲んでるんです。
(父がちょうど単身赴任で香港にいたのです)
できるだけたくさんの人と出会いたいみたいなことを言ってて、私の父が香港にいることを知って是非この機会にご挨拶したいとアポ組んであってるんですよね。
でも父にのちに聞いても仕事の話とかではなく、私の受験期やその後の話などをいろいろしてくれて楽しかったとのことでした。
カラオケまで行って盛り上がったみたいですから。
お供の社長は同席してなかったとのことですから香港台湾遠征は昼間の用事だったのかもですね。

この頃先生はコムデギャルソンの服にハマってお洒落に目覚めていたのでした(笑)
先ほど手紙の束を見返していたら先生がコピーしてくれたコムデギャルソンのことを書いた記事も一緒に出てきました。

ちなみに別の手紙には小学校3年生の双子の姉妹が可愛いと書いてありました、ケンさん知ってらっしゃるかしら!

私の母が北進で事務パートをしていたのですが、そう言えばある時なんとも言えない感じで辞めることになったんです。

遠回しに辞めさせられたような、なんだかはっきりしない感じでの退職で、(無理に退職に追いやられたとかそういうのではないのですが)母も辞めさせられた理由がわからないけど、なんだろうねぇみたいな感じでした。

今思えば、会社的にいろいろと厳しくなりだした頃だったのかもしれません。

それに当時、先生まだ40歳なんですよね、考えてみれば若いですよね〜。

なんだかいろいろ書いてしまいすみません!

hirokophoneより


2018.01.14