walkin’ to the beat everlasting④

写真・文/鎌田浩宮

2023年2月14日、岡田徹さんが旅立った。
前回書いたが、その4日後である18日に、世田谷美術館のトークイヴェントに登壇した慶一さんはミニライヴを行った。その段階では、徹さんのことは報じられていなかった。おそらく、徹さんの旅立ちをご存じで「夢が見れる機械が欲しい」を歌ったのかなあ。


ライダーズの新譜が発売され、ビニールの封を切って、プレーヤーにセットする。盤が回り出す。聴く。ああ、この曲いいなあと思ってライナーノートを読むと、おおむね徹さんの作曲だった。「ニットキャップマン」や「9月の海はクラゲの海」、そしてなんといっても「いとこ同士」。たまんない。

「いとこ同士」、スティールパンは細野さんだったっけ。
徹さん、かしぶちさん、良明さん、ふーちゃん、くじらさん、慶一さん。メンバー全員がとてつもない傑作を書いてしまう。すごい。稀有なバンド。日本最長寿にして最高のバンド。

少し前に片山さんが旅立って、ポンタさんも旅立って、まこちゃんも徹さんも旅立った。音楽家は、正に身を削るようにして曲を作る。だから、早く旅立つのかも知れない。

脳腫瘍の手術後、幸宏さんがツイッターで経過をつぶやいた。やや、思わしくないようだった。がんという病気は、手術しても完治しないことがある。場合によっては緩和ケアに移行する。僕の友達も脳腫瘍になり、最期はかなり苦しんでいた。

幸宏さんは病状が悪化する直前まで、 命が燃え尽きる直前まで、METAFIVEで素晴らしい活動をしていた。長年のファンとしては強い感謝しかなく、とにもかくにも、残された時間を少しでも痛みや苦しみから解放された状態で過ごせればと、勝手ながら祈っていた。


1983年にYMOが散開して、細野さんと教授はポスト・テクノ、アフター・テクノを果敢に探し求めた。その後、エスニック・ミュージックやワールド・ミュージックを辿り、とても多くの名曲を発表した。だが、幸宏さんはJ-POPという道を選んだ。新譜を聴く度に「早くこっちに戻って来てほしい」と思った。2003年、スケッチ・ショウでこっちに戻ってきてくれるまで、本当に長かった。その長い間の中で、好きだった曲を挙げてみる。

アッコちゃんが作詞。

こういったロックな感じ、とっても好きです。

この「夜ヒット」、生で観ていました。

このアルバム、大好きです。幸宏さんはインストこそ、なんだぜ。

このくらい実験的で振り切ったものが、好き!
読者多分5人くらいのこの連載、まだまだつづくっ。

2023.02.25