続々々々々・無縁坂の尋ね人

文・おっか村~!
構成/文・鎌田浩宮

塾長の
家に、
行った。

 

この連載では、城南学習指導協会の先生を探している。
ふとある日、塾長であった数学担当・下田先生の家が、三軒茶屋にあったことを思い出す。
ただ、お邪魔したわけではないので、本当にそこが先生の家かどうか、確証はない。
玄関のブザーを、鳴らす。
初老の男性が、出て来てくれた。
なんとその方が、先生の息子さんだったのだ。
塾長は、2003年にご病気でお亡くなりになったそうだ。
70と少しの齢だったそうだ。
残念…。

ただ、そこで貴重な話を聞かせてもらえて。
城南で英語を教えていた飯田先生が、成城で学協という名の学習塾をやっているそうなのだ。
帰宅し、慌てて電話番号を調べ、電話してみる。

 

飯田先生、
成城に
いた。

 

当時飯田先生と言えば、国語担当・二口(ふたくち)先生と並んで、体罰バシバシの暴力教師として、僕ら生徒を恐怖のズンドコに陥れていた。
デカい目玉を眼鏡の奥で光らせ、笑いながら布団叩きで、みみずばれになるほど背中や尻を叩いた。
体がでかいのに、実は聖美(きよみ)というキューティーな名前であることに触れてはならない。
みみずの数が、片手では足りなくなる。

電話をし、主旨を話すと、意外にあっさり飯田先生に替わってくれた。
先生はそこで、塾長をされていた。
もう、69歳だそうだ。
数学の坂木先生理科の米山先生も、城南から異動しそこで教えているのだという。

米山先生はとってもチャーミングな先生で、理科全般をこよなく愛していた。
その理科に対しての愛情が、生徒にも伝播する。
僕も理科の魅力に取りつかれ、選択しなくてもいい理科の特講を受講していた。
偏差値70辺りをターゲットとした特講はちんぷんかんぷんで僕は歯が立たなかったが、先生からのシャワーを浴びているだけで幸せだった。

うわあ、懐かしいなあ、先生、今度塾へお邪魔しに行っていいですか?
「駄目だ。来るなよ。俺達は君達が一生懸命勉強してくれて、いい高校に行ってくれればそれが1番嬉しいの。それで関係はおしまい。」
ドライな関係を好むのが、城南の校風だった。
先生同士もドライであり、他の先生の消息は分からないと言う。
ただ、英語の滝沢先生は、どこかの大学の助教授になったようだ。
社会の後藤先生(物凄いパンクでアナーキーな性格で、大好きな先生だった)も暫くは連絡が来ていたが、今は不明だそうだ。
船橋先生も二口先生も、どうしているかは知らないと言う。

「今は少子化で、塾の経営も大変だよ。君も元気でね」
電話は、終わった。

電話の後調べてみると、ミクシィのコミュニティにて、「学協」があった。
船橋先生や二口先生らの情報はなかったが、見つけられてよかった。

 

城南の
生徒、
また
現る。

 

さてさて、嬉しいことに、城南出身の元生徒さんから、またもや投書があった。
ペンネームは、「おっか村~!」さん。
では、以下、お読み下され。

 

はじめまして(^-^)
私も同時期、三茶の城南学習会に通っていました。
飯田先生が担任で、数学の坂木先生のファンでした♪
飯田先生、現役でご活躍とはなんと嬉しいことでしょう!
時間になると速足で教室に入ってこられて、
「はい出席とります、青木ぃ朝比奈、伊藤…」とうつむきかげんなお姿。「おっか村~!おっ前はチョッツと褒めるとコーレだからなー!!」と講師室で叱られた愛のある声。今も鮮明です。
坂木先生はスリムで長身で手指が長く、少女マンガっぽくてファンでした♪でも怒ると恐くて授業中すっごく後ろの席までチョークが飛んで来るのですが、長い手を使った少し右斜めに倒した投げ方がかっこよかった(#≧∨≦#)
「はい50点以下椅子の上に立て~!」と端から順にふとん叩きで3発ずつとか叩かれました。
恐くてついお尻を手でかばおうとすると
「危ないから手ぇ退けろ!」って(*^-^*)
冬になると賢い子は分厚いジャケット着てたっけ。

懐かしくて長々とすみません。
今や体罰は完全否定の時代ですが、それでも愛のある体罰は効果ありと密かに思うえるのは、こんな授業で合格を手にした城南学習会の生徒だったからだと思います。
(^-^)/


2016.07.04