続々々・無縁坂の尋ね人

文・hirokophone
構成・鎌田浩宮

エプスタインズ
は、
人探し
も、します。

 

前回の投書を受けて、1番最初にこの件で投書下さった、船橋俊一先生の教え子・hirokophoneさんから便りが届きました。
以下、どうぞお読み下さい。
そしてなんでも結構ですので、こんな捜索方法があるよとか、船橋先生や、城南学習指導協会に在籍していた先生についてご存じの方は、「Contact」までお願いします。

もう胸がぎゅっとしました。
たぶんこの方、私と同じお気持ちなのだと思います。
そしておっしゃるように息子さんは確かいおりくん、なんでか私先生にいおりくんの写真もらったことがあるんですよね、笑。
やっぱり本当に会いたいですよ!
先生、本当にどこにいるんだろう。
三茶がご実家とは、もしかして当初先生が住んでいたということですかねぇ。
確かいおりくんが一度家出をして君津のおばあちゃんちにいた、とか言ってましたのでてっきり君津かと。
私が府中で教わっていた時は確か高輪でしたよ。そしてジープで通ってた

船橋先生は『船橋俊一・フナハシシュンイチ』さんです。
私がお世話になった少し後に学協(編集部注:城南学習指導協会の略称)を退職され、梶ヶ谷で北部進学セミナーという塾を立ち上げたのです。
実はここで私の母が少しだけ事務パートをしていたのですが(笑)
今、その住所でgoogle map を見ても塾の看板はないのです。
ちなみに川崎市高津区梶ヶ谷2−7−17
ここの住所を知っているのは先生としばらく文通していたからなのです。
ちなみに北部進学セミナーは社長ということだったのですけれどどうやらなんらかの母体はあったっぽいです。
当時の手紙の消印が昭和63年頃なのでバブル前ですよね。

あとはお金が貯まったら将来は田舎で鍼灸師として静かに人を助けていきたいと、よくよく言っていたのでもしかしてそっち方面にいっているかもしれないのです。
実際私が高校受験前に体調を崩した時にハリで楽にしてもらったことがあったのです。

船橋先生に関してはそんな感じですが、その他の先生は数学の春山先生と(その場で問題を作るので数字がどこまでも割り切れなかったりで困った問題ばかりでした!)渡部信綱先生(なんの教科を習っていたかも思い出せないのです・・・)しか覚えていないですねぇ。

いづれにせよ鎌田さんがこうして取り上げてくださっているおかげです。
本当に感謝しています。
いつかこのプロジェクトに関わった皆さんと先生を囲んで楽しく飲めたら楽しいなと思っております。


2016.06.03