私の2016年の10大ニュース 梨乃編

お正月が
1か月あれば
いいのに。

もっとだらだらしていたい。
生産なんてしたくない。
食っちゃ寝していたい。

信じられんけど
まだ1月なんだって。

日々慌ただしすぎて
もう数か月経った気分。

早く来い来いお正月。

エプスタインズで報じた
小学生、校庭で反原発デモ。

あの小学生・クエ星人くんも
もう高校生なんですよ。
お正月を
何度も何度もすごしてきたわけだ。

それを見守ってきた母
梨乃さんも
日々を生きてきました。

梨乃さんによる
2016年の10大ニュースです。

(以下、梨乃さんの文章です)

「十大ニュース」

社会的にたくさん取り上げるニュースがありやすが、それはTwitterやらFacebookやらで、そしてもちろん、このエプスタインズでも取り上げられてるし、私は敢えて、超超個人的ニュースとさせていただきます。ほんと人様からしたらどーでもいいことなんですが…!
そして新年から、こんな話題でスミマセンが。

「十大ニュース改め、身近な存在の死ニュース」

1月

去年のちょうど今ごろ、ニャンコが急逝しました。

10年前に出会って我が家にきてくれた子でした。
動物といえど、、家族を失うのと変わりない喪失感。
突然だったから、どうして??
どうしたらよかったの??

お正月から体調おかしかったので、検査入院中に急変し。。
病院で心臓マッサージしながら、昔からお世話になってる獣医さん、私の到着を待っててくれた。
心臓マッサージやめたら死ぬ。
でも、いつまでもマッサージしてるわけにはいくまい。
こちらから、「蘇生はもういいです。」と言わなきゃならない。
泣きながら、今までのお礼とサヨナラを言って、マッサージをやめてもらう。
心臓が止まる瞬間を見守る。
意外と長く感じた。
この時間が今でもよみがえる。。

結局直接死につながる確固たる原因は不明でした。
前日にやった、バリウム検査が良くなかったのかな?
病院側に落ち度なかったのか?とよぎるけど、昔から知る獣医さんなので、そう思いたくないし…知ったところで生き返らないもの。。
だいたい、動物の死はそこまで調べてくれませんよね。。

天寿を全うしたんだよ。と言い聞かせるしかない。
動物は自然なのだ。人間サマの欲とは違うの。死も怖がってないのだよ…。

 

6月

大叔父が89で死ぬ。

大往生さ。
これは老衰。
どんどん老衰していくのを隣に住む私は見ていた。
人間が枯れていく姿を目の当たりにした。

救急で入院してから一気に弱り、最後はブドウ糖投与でかろうじて生きながらえていた。
病院は、とりあえず生かすのだな。
そりゃそーだ。
遠く離れた国とか街に住む娘たちが集まり、ブドウ糖投与をやめる決断を迫られる。
やめたら、1日ちょいで亡くなった。
とても静かな死だったよ。

 

9月

親戚おばさんが亡くなる。

ずっと癌を患っていたけど、それでも、治療しながら、ここ数年会う頻度が増えて、昔の話聞いたりして。
うまく癌と付き合っているように見えたが、患っていたとはいえ、急変して亡くなったのでショック。
家族は目の前だったからなおさら。
でも、その急変する前に、バツイチの娘に結婚相手を紹介して、うまくいって結婚が決まったそうだ。
安心したからかな…と娘がいう。
家で普段の生活の中で死ねて幸せだった気もする。

 

12月

仲良しの叔父さんが急逝する。

子どもの頃からよく遊んでもらい、エロと下品の権化だったけど、子どもたちだけでなく、親戚みんなをいつも笑わせてくれて、太陽みたいな?明るいお喋りな、アル中のエロ下品おじさんだった。

その叔父さんが2年前くらいから呂律が回らなくなり、アル中だからじゃない?なんて笑って言ってたけど、一年調べても原因わからず、ALSとわかった時には歩けなくなってた。
そんな明るいエロ叔父さんですが、家族とは疎遠で(自業自得なんだけど)介護施設に入り孤独な日々
会いに行きたかったけど、こんな姿見せたくない。
リハビリしても少しマシな姿で会いたいと言って結局会えないまま、クリスマスイブに天国へ…。

あんなお喋りでエロ下品トーク炸裂してる時が一番輝いてた叔父さんが、お酒が楽しみだった叔父さんが、喋れなくなって文字も打てなくなって、お酒も口から飲めなくなり、それでも生きてるということが、生き地獄だと身内はわかる。

こんな話ばっかりで、新年にネガティヴなことを!と思われるかもしれません。

2016年は、死に方、を考えさせられる一年でした。
病も老いも誰にでも起こりうることです。
死だけを考えたらとても悲しい出来事です。
でも…
人は等しく死に向かって生きているわけで。
そして、必ず死ぬとわかっているのだからこそ、生きてる今をどう生きるかということを改めて…死を見ることで、生を考えられる。
ありきたりなことですが、改めて死ぬこと、そして生きることを考えたのです。
人生折り返し、43にもなりましたし。

死に方は選べないけど、それは生まれる時もそう!
いや、選んでるかもしれない。
運命という言葉で片付けるのはどうかと思うけれど、この世に生まれてくることと死ぬタイミングは、運命としか思えないのです。

生まれてきて死ぬからには、今、生きてる時間を精一杯、そして素直に生きたい。くさーっ。ふふふ。

もちろん大きな流れや動きも大事だけど、まずは、自分のこと、自分の身近な周りのこと、自分に関わる人たちのこと。
そこをちゃんと見つめていくこと…

個々の生き方、関わり方、感じ方、家族の在り方、そんなささいな日常の繰り返しが、社会にも世界にも未来にも繋がると…そんな風に思った2016年でした。


2017.01.27