熊本市東区からの日記 42

写真/文・月ちゃん(新聞記事を除く)

 

 

今年も
3月11日を
迎えました。

そして、
卒業式の
季節。

久しぶりに
熊本市の
月ちゃんの
声を
お伝えします。

熊本地震直後から
自身も被災した
月ちゃんが
参加していた
炊き出しボランティア
「こどもの給食を考える会くまもと」
による
活動が
先日

報道されました。

 

 

弁当の生徒に最後のスープ 支援団体の活動終了

熊本地震で学校給食センターが被災した益城町の小中学生に、手作りの温かい汁物を提供してきたボランティアグループが10日、最後の汁物を益城中に届け、4カ月にわたる活動を終えた。新年度からは、町が熊本市に委託するなどして学校給食が再開する。

グループは県内の母親らでつくる「こどもの給食を考える会くまもと」。昨年5月から10月末まで同町の避難所で炊き出しを続け、11月中旬からは弁当給食が続く小中学校に汁物を提供してきた。

最終日はメンバー10人が子どもたちに人気の「サツマイモ入り豚汁」を調理。益城中を訪れた代表の園田恭子さん(48)=合志市=は「材料にこだわり、元気になってほしいという思いを込めて作ってきた。一緒に地震を乗り越えよう」と激励した。3年の吉川暉眞[きしん]さんは「自分たちは恵まれている。最後のスープ、おいしくいただきます」と感謝し、クラス全員で拍手した。

考える会は、同町のJAかみましき益城総合支所の調理室を借りて週4回活動。町内全7校の計約3300人に週1食ずつ行き渡るよう調理した。材料費や光熱費は町が負担した。(久保田尚之)

熊本日日新聞 2017年3月11日

 

 

ここからは
月ちゃんの
日記です。
ぜひ
お読み下さい。

 

 

3月11日(土)

おはようございます!

今日は忘れてはならない日忘れられない日
東北の大震災から6年…

今朝のニュースで…
子供たちが震災に遭った大川小学校の保護者が語り部になって、小学校を回っているということでした。

『防災とは』
「ただいま」ということです。「行ってきます」と家を出たら「ただいま」と帰ってくることです。それは明日も一緒です。
子供たちに分かりやすい言葉で伝えるということでした。深く頷く子供たちが印象に残りました。
「いってらっしゃい」と送り出し「お帰りなさい」で子供を迎えられなかったお父さんお母さん…どんなにか無念だったろうと思います。
合掌

あの日…子供の「僕は大丈夫だから」
忘れられません。

自分が被災者になって初めてわかることがたくさんありました。
東北へはなんのお手伝いもできませんが、亡くなられた方たちのご冥福をお祈りしたいと思います。
決して忘れてはならない日ですね。

畑から引きたて大根♫

さっき子供の同級生のお母さんが「私が作ったんです♫」と持ってきてくれました。
実は今週の頭に我が家の玄関に2本の大根がこの状態で置いてあり…
ご近所さんに尋ねたけどわからなかったのですが…今日やっと送り主が判明しました!

彼女の家は我が家から徒歩1分ほどのところでしたが、震災で解体され連絡がつかない状態になっていました。
去年の12月に息子から連絡があり「◯◯ちゃんのお父さんが亡くなったからお葬式に行く」とのこと。
息子と小学校から大学までそして勤務先こそ違えど職場は一緒です。
彼女のご主人はほとんど同世代。
息子と二人でお参りに行きました。
こんなことで再会するなんて…言葉もなく。

しばらくして我が家にご挨拶に来てくれました。家を新築して子供たちと一緒に住めるようになるから!
少し時間はかかりそうですが年内が目標かな♫と言って帰っていきました。

笑顔のとても素敵な彼女
前の家から移した紅梅が花をつけご主人から励まされているようだといっていました。

お互いに体に気を付けようね!
大根大事にいただきます。感謝です

 

 

 

 

3月16日(木)

ちょっと前に地鳴りがして家が揺れたけど・・・家族もみんな揺れてる!っていっているんだけど・・・速報も流れないなぁ・・・
揺れたのは家だけ?
私は台所から飛び出しました!
情報操作しているのじゃないかと詮索してしまいます・・・

(編集部注:日本気象協会のサイトを見ても、この日熊本周辺での地震の観測は発表されていません。どうしたことなのでしょう…?)

 

 

 

 

4月1日(土)

今週の3月28日に熊本県内の学校で離任式がありました。
去年 炊き出しのボランティアに通った益城中央小学校の校長先生も定年退職でした。

校長先生は…我が家のとんとご近所で!!
今週 少しお話しする機会がありました。
実はボランティアで益城中央小学校に行くまでは、そこの校長先生だと気づかず…(益城町のどこかの校長先生だとは知っていました!)

「月足さん、去年ボランティアに来てくれた頃の子供たちがどうやって通学していたか覚えていますか?」
「全校生徒420人のうち自分で通学できている子供はまだ60人ほどなんですよ」

そうでした!
通学路になっていた道路はあちこちで波打ち、倒壊した家屋が道路を塞ぎ、子供たちは町が(?)借り上げたマイクロバスか、保護者の送迎で学校に通っていました。

今 町中は徐々に片付き、更地が増えていますが、大型トラックが頻繁に行き交っています。
町の景色は少しずつ変わっていますが、子供たちの通学方法は変わっていなかったのです。

5年間 益城中央小学校に勤務された先生は子供たちの通学路をよくご存じでした。
この1年はとても大変だったことと思います。

子供たちが友達と通学路を通うのはまだまだ先のことのようです。
早く当たり前の生活が戻りますように!
願わずにはいられません。


2017.04.05