2019年の私ごと含めた十大ニュース 大友麻子編

文/大友麻子
構成・写真/鎌田浩宮

大友麻子:「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」から遺作「千年の愉楽」まで、殆どの若松孝二監督作品に、プロデューサーなどで携わる。そのほか、塚本晋也監督「野火」フィリピンロケや、白石和彌監督「止められるか、俺たちを」プロデュサーを担当。ライターや編集者としても活動するほか、フィリピン残留日本人の日本国籍取得などに関するNPOにも携わる。

 

 

年々、記憶力の低下も時間感覚の劣化も著しく、去年は何があったけな……、あれは去年だっけ一昨年だっけ……みたいな感じになっているんですが、今回、鎌田編集長から「あえて調べずに書いて、それは一昨年!みたいなツッコミをこちらから入れては」とご提案いただきましたので、その線で行くことにいたしました。

このニュース、落ちてますけど!?ということも出て来るはず。そもそも「沖縄県民投票も去年だよね」とかまちょに言われるまで、それが「2019年の出来事」という認識が私の頭の中になかった。

1日とか1週間とか1ヶ月とか1年という時間単位の区切りが緩やかになり、継ぎ目のない織物のようにいろんなことが入り混じってきてしまう。これが、歳をとるということなのかなあとしみじみしておりますが、一方で、日々のあらゆる出来事も一ヶ月や一年という区切りとは無関係に進んで行くものです。

ということで、多少の混沌はご容赦くだされ。
番号は、なんとなく心に浮かんだ順番であって、順位ではありません。

 

 

 

1)イランとアメリカ一触即発、そして自衛隊は閣議決定で中東へ

いきなりの急展開にギョッとした。戦争を始めるってすごくあっという間でも、終わらせるのがいかに大変なことかは歴史が教えてくれている。ギリギリでアメリカもイランも踏みとどまった感はあるけれど、一方で情報収集のためだと自衛隊を緊張高まる中東に派遣することを閣議で決定した安倍内閣。

かつては、自衛隊を派遣するのも特措法が必要で、そのために延々と国会審議をしていたのが、安保法制によって恒久法ができたことで、こうやって閣議決定で自衛隊が海外に出ていけるようになってしまったんだなということを実感した。

 

 

2)香港で続くデモ

2019年3月に、多摩市議会議員の遠藤ちひろ君が、2014年の雨傘運動に触発されてまとめた、路上から民主主義を考察する本「暮らしの中で『使える』政治 香港の路上はすべての街につながっている」を出したが、そのすぐあとから始まった、逃亡犯条例反対に端を発した香港の民主化デモのエネルギーに圧倒された。

私の娘の小学校の友だちのママには、香港人も台湾人も中国人もミャンマー人もいる。民族でいうと中国人といっても吉林省の朝鮮族であったり、台湾人といっても先住のタイヤル族であったりする。国というのは何だろうかと考えてしまう。そして国籍とはなんぞやとも。

編集部注:雨傘運動に魅かれ、当時香港へ飛んだ遠藤ちひろさん。そのエピソードも、この著書に書かれてますぞ。

 

 

3)しんゆり映画祭「主戦場」上映中止と若松プロ

世の中のニュースとしては、しんゆり映画祭よりも、あいちトリエンナーレの表現の不自由展の一時中止の騒動の方が大きいと思うけれど、「主戦場」の上映中止を決めたしんゆり映画祭には、若松プロからも「11.25自決の日」と「止められるか、俺たちを」の2作品を出すことになっていたので、より当事者に近い問題であった。

結論からいうと、監督の白石さん、脚本の井上さん、プロデューサーの尾崎さんたちが集まって、上映ボイコットと、それに伴う自主上映のために奔走した。カメラマンの辻さんや俳優の井浦さんも。

私は自主上映の時しか手伝いに駆けつけられなかったけれど、作品を自分たちで作るとこと、それを自分たちの手に持っていることのエネルギーを実感した。

編集部注:大友さんはこの時、朝日新聞「論座ronza」に「若松プロは、なぜ上映ボイコットを決断したのか」を寄稿しています。

その上で、若松プロが存続していたことの意義を、若松監督が亡くなって以降で一番強く感じた瞬間だったような気がする。それに加え、アジア井戸ばた会時代の仲間が、しんゆり映画祭の後援である川崎市の窓口担当者だったこともあって、複雑な思いが交錯することになった。

編集部注:学生時代、大友さんが参加していました。水道の完備されていない地域へ出向き、「上総掘り」という技法で井戸を掘る。少人数で、機械を使わず安価で、小さな面積で深く掘れる。出向いた先のひとつにフィリピンがあり、そこで大友さんはタガログ語を覚えました。

 

 

4)フリーランス2年目

私ごとだけど、2018年4月に游学社から自由になって、2年目の2019年。游学社にいた頃から、翌年の自分の仕事も収入も、何も見えない状況だったわけなので、不安定さは変わらないけれど、「居場所」とか「仲間」という意味での「游学社」のありがたさを改めて感じた1年でもあった。

自分一人で自分の価値を売っていくことが、いかに苦手かということを実感しつつ、いろんな偶然や出会いに助けられてなんとか食べていくことができた。15年ぶりくらいに、宝島社の編集者の方と再会し、同世代の編集者としてリスペクトしていた人だったので、とても嬉しくお仕事させてもらった。

編集部注:大友さんが勤務していた出版社。今も東中野にあります。お給料を払えない時も、社長の遠藤さんが、ばんごはんを作って食べさせる。これが、游学社の流儀ですぞ。

 

 

5)フィリピン残留日本人の代表団訪日

私が20代の頃、2年ほど関わっていたフィリピン残留日本人の国籍回復の問題が、あれから20年以上経っているのに、ほとんど何も解決せず、というか、民間の努力で就籍という新たなアプローチにより一定の人数の国籍回復は実現したけれども、日本政府の対応はほぼ1ミリも変わらないまま。

もはや寿命が尽きてしまうということで、残留者の代表団3名と日系人会連合会会長の3世が10月に来日し、国会への請願行動へ。久しぶりに再会した寺岡カルロスさんの老いた姿に言葉を失いつつ、改めて国籍と国について考えてしまう。

編集部注:19世紀以降、日本人が移民としてブラジルやハワイへ渡ったことは、よく知られていますよね。フィリピンにも多くの日本人が渡り、フィリピンの方々と仲良くやっていたんです。しかし太平洋戦争が勃発。当時のフィリピンは、アメリカの植民地でした。日本兵は多くのフィリピン人をスパイ視・ゲリラ視し、虐殺しました。しかし戦争が終わり日本兵がいなくなると、フィリピンの方々にとって、残った日本人移民が目の敵になりました。その頃生まれた移民の子供たちは隠れて生活し、フィリピン国籍も日本国籍も取得できず、今に至るということなんです。

 

 

6)統一地方選挙と参議院選挙

統一地方選挙、今回はその直前に、古くからの友人である多摩市議会議員の遠藤ちひろ君と民主主義を考える本を作っていた関係で、彼とつながりのある各地の地方議会議員さんともつながり、これまでとは違ったドキドキ感でそれぞれの選挙区の動きを見守った。

やはり地方議会は日々の暮らしと直結しているので、多様性のある地域社会を反映した多様性が必要なんだなと実感。

参議院選挙は、れいわ新撰組の候補者たちにかつてない「代議制の可能性」を感じた。山本太郎さんの言葉はあれほど力を持つのは、時代がそれを求めているからなんだろうと思う。安富さんも素晴らしかった。たくさんの風景を政治の中に見せてくださった。

編集部注:安富歩さんは、れいわ新選組の一員であり、住友銀行勤務を経て東京大学の教授です。

 

 

7)実家の猫が20歳くらいで亡くなる。母の老いも。

父親は割と早くに亡くなっており、実家は母と猫の1人と1匹暮らしだった。猫の名前は「じゃりン子チエ」から名づけられた「アントン」。

漫画のアントンとは似ても似つかない、小さくて心優しい猫であったが、とても長生きをしてくれた。最後の数ヶ月はずいぶん弱くなり、枯れるように息を引き取った。母に十分にお別れに向けた心の準備の時間を用意してくれたと思う。

ペットロスをとても心配したけれど、天寿を全うしたアントンの死を、母は落ち着いて受け入れていた。が、同時に昨年は母の老いを実感した1年でもあった。

昨年できていたことが難しくなる、半年前にできていたことが億劫になる、それを受け入れることが老いて行くことなんだろうと思うと、仏教者の修行のような歩みだなと思い、それを背中で見せてくれるのが親なんだなと思い至る。人生は春夏秋冬だよと話していた、第二の父とも言える恩師、阿蘇牧師を思い出す。

編集部注:1940年、北朝鮮(当時は日本の植民地)で生まれた阿蘇敏文さん。キリスト教の牧師であり、河合塾が作ったコスモ農園で不登校児と畑を耕し、フィリピンと日本の間に生まれた子供たちの、父親探しと認知を進める団体の事務局長も務めていました。大友さんも20代の頃、ネットワーク立ち上げの頃から参加し、農園も手伝っていました。当時、鎌田浩宮もお邪魔しては、迷惑のみを残しずらかるという…。

 

 

8)白石作品3作品を中学時代の友人たちとコンプリート

若松プロで「止め俺」を一緒に作った映画監督の白石さんとは、実は若松プロにいた時期が微妙にずれていて、若松監督存命中には一緒に仕事をしたことはなかった。

「凶悪」から「日本で一番悪い奴ら」「孤狼の血」と、骨太作品の快進撃が続いている白石さんだが、2019年も怪作「麻雀放浪記2019」を皮切りに、「凪待ち」「ひとよ」と3作品を劇場公開。

編集部注:時間感覚の劣化を心配していた大友さん。まさかのここで、です。正確な題名は「麻雀放浪記2020」。2019年公開とはいえこの誤り、白石監督との禍根にならなければいいのだが!さて本作は、第3次世界大戦勃発で東京五輪が開催されなかった、近未来の2020年をブッチギリで描いてます。ヤバい設定ゆえ、公開されないんじゃねえかとうそぶかれてました。五輪組織委員会のボス役・ピエール瀧さんもイカしてます。

作品には必ず「サメ軟骨エキスが登場するというお楽しみもあるのだが、それとは別に、中学時代の友人たちと白石作品を見ては呑むというお楽しみが恒例行事化しつつある。

編集部注:若松孝二監督は、映画で稼げない70年代、サメの軟骨エキスを売りさばき、それを映画の製作資金にしていたそうです。でもって、白石和彌さんが助監督として若松監督の下についたのは1996年です。

2019年も彼女たちと一緒に3作品を劇場でコンプリート。麻雀放浪記に至っては緑色のゲロが溢れる画面をシネマロサで並んで見るというディープなGW初日を迎え、気づけば池袋で4軒のはしご酒をしているのだった。

編集部注:池袋駅西口にロサ会館ができたのは、1968年。シネコンだらけの東京で、築51年の映画館シネマ・ロサがどれだけ化け物屋敷…いや貴重なことか。古い映画館、素敵だぞ。

 

 

9)みかこが私に靴を買ってくれる。

私が、かかとがすり減って、しまいに穴があいてしまった靴をそれでもしぶとく履き続けていたら、みかこが、「誕生日プレゼントに靴を買ってあげる」と言って、一緒に無印良品に行き、私的には豪勢すぎる5900円の革靴を買ってくれた。

正確には5000円だけ出してあげるから、あとは自分で出してと言われたんだけど、大切に溜めていたお年玉から、こんな大金をはたいて私にプレゼントしてくれたことに、静かに感動。小学校5年生にして、鏡大好きおしゃれ大好きな娘は、心もおしゃれさん。

 

 

10)またもや映画に関わるお仕事

フィリピンと映画と本作りという3つがジャストミートして最高に幸せだったのが塚本監督の『野火』の現場だったんだけど、昨年は、NPOの代表理事がフィリピン残留日本人問題をドキュメンタリー映画にするというので、それのパンフがわりにぶっとい本を作りましょうと提案したら、なぜかその作品の宣伝配給をすることになってしまった。

フィリピンと映画と本、パート2。楽しい、やりたい、と思うことができる幸せ。たくさんの人とのつながりに改めて感謝。フィリピンと中国の残留邦人を描く異色のドキュメンタリー映画「日本人の忘れもの」は今年6月ポレポレ東中野にて公開。これから全国の劇場にも営業をかけてゆくのだ!

編集部注:映画の監督は小原浩靖さん。企画・製作は、フィリピンに残留された方々の国籍回復に向け活動してきた、弁護士の河合弘之さん。ほかの監督作に「日本と原発 4年後」「日本と再生 光と風のギガワット作戦」など。


2020.01.21