震度6強だったので相馬へ行きました 6日目

撮影・文/鎌田浩宮

2022年3月25日(金)

引き続き、あさめしいらないということなので、みそ汁だけ作る。
僕とお父さんの2人分を洗濯。量が多いので、度々止まってしまう。時間かかった~!

魚に目がないお父さん。原発事故の前に相馬を訪れた際は、よく相馬で獲れた魚を食べさせてくれ、相馬の魚が1番だと自慢していた。震災後は、日本海などへよく釣りに行っている。

お父さんと洋子さんの3人で、仙台の北にある塩釜の魚市場へ行く事に。 お父さんにとって、とっても楽しい行楽。車で朝9時出発。

左手は、遠くに雪をかぶった蔵王が見える。雄大だ。宮城の向こうは山形だ。

震災遺構になった中浜小学校

そんな風景を楽しみながら、時折洋子さんが説明してくれる。
こちらは、震災遺構になった宮城県亘理郡山元町・中浜小学校

津波の際に使われる避難タワー

「これは避難タワーだよ」
他の場所にも、いくつかあった。

道に詳しい洋子さんが、渋滞しない道路を運転手のお父さんに教える。
「私、人間ナビ!」
昼11時頃、塩釜水産物仲卸市場に到着。

朝はもっと賑わっているかも


地震がなければ、地元で獲れる魚がもっと揚がっていたかも知れない。洋子さんとお父さん、遠洋で獲れる魚やわかめなど、大きなクーラーボックスと発泡スチロールの箱、どっちも一杯になるほど買う。爆買い。

12時。なぜか市場内の食堂には寄らない。海鮮丼など、お父さんにとっては好物だと思うけど。

地震で故障してしまったので、新しい電子レンジを買いたい洋子さん。南下して、仙台の南…名取市にあるイオンモールへ。お昼の1時頃到着。
2階にあるフードコートでひるめし。洋子さんは長崎ちゃんぽんリンガーハットの皿うどん、お父さんは丸亀製麺のうどん。どちらも相馬では口に入らないので、2人にとっては海鮮丼より魅力かな?

結局電子レンジは買わず、お父さんの学生時代・バスケットボール部の後輩宅に寄る。お父さんが買った刺身を渡す。後輩と言っても10歳離れている。でも、今回の地震の際も、すぐに給水所へ行って水を汲んできて、お父さん宅へ届けたそうだ。体育会の縦の結びつき、強いぜ。

こちらの後輩ご夫婦も、僕の事を警戒せず、マスクも外していらっしゃった。僕はというと、万が一皆さんに感染させてはならないので、念のためマスクはしたままです。これは逆に、ご夫婦が僕に対して「お前感染したくないからマスクしてんだろ」と思っているかも知れず、難しいところなのだが。

さらに寄り道。先日水を届けた洋子さんの親戚、原田さん宅へ刺身を届ける。もう互いに警戒心もなく、いちゃりばちょーでーな感じ。

もちろん我々のばんめしも刺身になるわけだが、ツマに使う大根が必須だとお父さん。いつものスーパー・フレスコキクチに寄り、大根だけを買う。

夕方5時頃帰宅。
1日かかった。
今日は力仕事なし。
それでも風呂掃除、ばんめしを作る。
原田さんも来るので、何をおいしそうに食べてくれるかな。
肉としめじをキムチの素で炒めて、それをたっぷりレタスの上に乗っけて、刻んだニンジン、カブ、マヨネーズで彩る。
レクリエーションっぽいのがいいなと思い、お好み焼きも作った。小麦粉がちょっとしかなかったので、山芋を余計に擦って入れる。
あとは箸休めで春菊のナムル、さっき買ったわかめの酢の物。

僕が来て初めて、お父さんが台所へ。刺身を切る。大根のツマを作る。物凄く旨い。東京じゃ食えない。新鮮。脂の乗り。

詳しく書くのは控えるが、今回の地震で仕事に大きな損失が起きるかも知れない原田さん。始めは「地獄だ」と嘆いていたが、お父さんの「80歳まで楽しく生きてきた。満足している」との言葉にうなずくようになった。

もちろん、それはいっときの事かも知れない。でも、そしたらまたばんめしに来てくれれば、気分を紛らわせるかも知れない。僕だってそうだ。落ち込んだら親友と呑む。一緒に旨いものを食う。

3人で記念写真を撮った。
また「はい、バター!」と言ったら、爆笑してくれた。
深夜10時、お開き。
原田さん、洋子さん、帰宅。
いつもより長めの宴にお父さん疲れ、風呂入らず寝る。

明日で、滞在1週間。



2022.04.14