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2012年9月21日(金)も、首相官邸前、行ってきたど!
取材/撮影/文・鎌田浩宮
パーカッション軍団、
登場。
すんごく、
盛り上がる。
大不況なので、こんなことも、ある。
恒例の、広告が、ない。
都内の電車、こういうのも、珍しくないんですよ。
今日は、6時少し前に着きまして。
警察の警備は先週と同じく、だいぶゆるくなった。
なのでどんどん誘導を無視し、なんと初めて、開始の午後6時前に
最前列、首相官邸前に辿りつくことができて。
午後6時3分。
主催者からの挨拶、そしてすぐにシュプレヒコール。
「原子力規制委員会は残念ながら発足してしまったので、準備室のあった第4合同庁舎前のデモは中止します。そして、これまで『人事案撤回』とシュプレヒコールしてきましたが、これからは『規制委解体』とシュプレヒコールすることにします」
と説明。
毎回、こんな風に開始してたんですね。
数十分のシュプレヒコールの後、スピーチタイムへ。
福島集団疎開裁判の方々が3人1分ずつスピーチ。
郡山などの内陸部は0.7マイクロシーベルトと異常な値が観測され、その中を中高校生は校庭で部活動などをしている異常事態などを訴えた。
福島から東京へ来るのに、何時間も何万円もかかるか、僕は知っている。
大変なご苦労をされている。
そして、山本太郎登場。
政治家なんかじゃなく、こういう人のスピーチ、聞きたかったんだぜ!
「うるさい音の一部、山本太郎です。すごいですね、また代表に選ばれちゃって。経団連のあやつり人形は、どんどん投票してもらえちゃうんですね。おめでとうございます。いい加減にして下さい。(中略)この1年間、僕らはずっと被曝させられているんですよ!」
この人、アクティビストならでは、平易な言葉で、簡潔に、人の胸にすっと入っていく言葉を発することができる。
先週の記事で、
「ピークに比べ参加者は減った」
と書いたが、それでもこれだけの人が集っている。
列が長すぎ、もちろん最後尾まで撮影しきれない。
最後尾は電灯の数も少ない。
最前列のシュプレヒコールも聞こえない。
そんな中で2時間、窮屈な中で立ち続け叫び続けるのだ。
そして、その核を成すのは50代以上の高年齢の人達。
すごいことだと思わないか。
さらには国会正門前などに、デモ隊は拡散している。
時には、路上で議論も。
いい意味で、今までのデモらしくなくて、いい。
ファミリーエリア
では、
子供たち
と、
歌いますぞ。
国会正門前のデモの、道路を挟んで向かい側には
「ファミリーエリア」
というスペースがあって、司会もNHKの歌のお姉さんのような女性が優しい口調でやっていて、小さい子連れの参加者が集まっている。
「それではみなさん、お歌を歌いましょう!」
ここだけは、お水も用意されている。
シャボン玉と戯れながら、シュプレヒコールを唱える幼児たち。
こちらは、道路を挟んだ国会正門前。
ラッパーのようです。
今日は、あのちびっ子、いないな。
さて、今日は、国会正門前のデカい道路を霞ヶ関駅に向かって下っていくと、何やら盛り上がっているのを、発見。
ここまで首相官邸から遠くに来ると、警備、手薄なのだ。
言葉
さえ、
いらない。
騒げ!
パーカッション軍団、
出現。
この長蛇の列、判る?
ゴメンね、カメラがへぼくて。
皆パーカッションや鳴り物を持って、サンバのリズムを大音量で叩きまくっている。
首相官邸前は自由な歩行を制限されているが、ここなら大丈夫!
歌詞もない、打楽器のリズムは、誰も彼も体が動いてくる。
その列に飲み込まれ、歩く。
そして自然発生的に、皆のブレイクするタイミングが合う。
そう、シュプレヒコールだ。
音楽は、楽しい。
ここで一気にテンポを上げて、とかが、以心伝心で数百人に伝わってしまう。
僕の好きなデモの形だ。
数か月前のデモで、首相官邸前の車道に皆で飛び出し、パーカッションの輪の中に入り、マイクでシャウトした事を思い出す。
帰り道、いつもは通らない、永田町方面を歩くと、自民党本部ビルがあった。
こんな気分の悪い所、通るのは生まれて初めてだったけど、なんと、決して多くはないけれど、数十人が集いデモをしていた。
最初は「尖閣問題とかか?」と思いきや、こちらも脱原発デモ。
「そんなに原発が安全と言うのなら、その広い敷地に原発を造れ」
とシャウトしている。
すごい。
ここまで様々な場所に、拡散していたんだ。
敵
は、
経団連
と
アメリカ
に
あり。
そこで僕からも提案なんだけど、もしこれを主催者の人々が読んでいたら…。
デモ、経団連前とアメリカ大使館前でもやりませんか?
あの脳なしノダが、遂に選挙での大敗を危機に感じ、30年代までの原発ゼロ目標を決定したのに、大敗よりも経団連とアメリカからの圧力を恐れたのだ。
自民党だろうが維新の会だろうが、経団連とアメリカを黙らせなければ、原発が稼働していくことははっきりしていないかい?
先週の記事での
「これからの闘いは第二段階に入った」
と書いたが、その1つが経団連とアメリカなんじゃないかな。
主催者の皆さん、どうぞ、ご検討下さい。
原発ゼロ「変更余地残せ」 閣議決定回避 米が要求
(東京新聞2012年9月22日朝刊)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012092290070744.html
野田内閣が「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」を目指す戦略の閣議決定の是非を判断する直前、米政府側が閣議決定を見送るよう要求していたことが二十一日、政府内部への取材で分かった。米高官は日本側による事前説明の場で「法律にしたり、閣議決定して政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」と述べ、将来の内閣を含めて日本が原発稼働ゼロの戦略を変える余地を残すよう求めていた。
政府は「革新的エネルギー・環境(エネ環)戦略」の決定が大詰めを迎えた九月初め以降、在米日本大使館や、訪米した大串博志内閣府政務官、長島昭久首相補佐官らが戦略の内容説明を米側に繰り返した。
十四日の会談で、米高官の国家安全保障会議(NSC)のフロマン補佐官はエネ環戦略を閣議決定することを「懸念する」と表明。この時点では、大串氏は「エネ戦略は閣議決定したい」と説明したという。
さらに米側は「二〇三〇年代」という期限を設けた目標も問題視した。米民主党政権に強い影響力があるシンクタンク、新米国安全保障センター(CNAS)のクローニン上級顧問は十三日、「具体的な行程もなく、目標時期を示す政策は危うい」と指摘した。これに対して、長島氏は「目標の時期なしで原発を再稼働した場合、国民は政府が原発推進に突き進むと受け止めてしまう」との趣旨で、ゼロ目標を入れた内閣の立場を伝えていた。また交渉で米側は、核技術の衰退による安全保障上の懸念なども表明したという。
エネ環戦略は十四日に決めたが、野田内閣は米側の意向をくみ取り、「エネ環政策は、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という短い一文だけを閣議決定。「原発稼働ゼロ」を明記した戦略そのものの閣議決定は見送った。
大串、長島両氏は帰国後、官邸で野田佳彦首相に訪米内容を報告している。
政府関係者は「事前に米側に報告して『原発稼働ゼロ』決定への理解を求めようとしたが、米側は日本が原発や核燃サイクルから撤退し、安全保障上の協力関係が薄れることを恐れ、閣議決定の回避を要請したのではないか」と指摘している。
◆「判断変えてない」大串政務官
原発ゼロをめぐる米国との協議について、大串博志内閣府政務官は二十一日、本紙の取材に対し「個別のやりとりの内容は申し上げられないが、米側からはさまざまな論点、課題の指摘があった。米側からの指摘で日本政府が判断を変えたということはない」と話した。
◆骨抜き背景に米圧力
<解説> 「原発ゼロ」を求める多数の国民の声を無視し、日本政府が米国側の「原発ゼロ政策の固定化につながる閣議決定は回避せよ」との要求を受け、結果的に圧力に屈していた実態が明らかになった。「原発ゼロ」を掲げた新戦略を事実上、骨抜きにした野田内閣の判断は、国民を巻き込んだこれまでの議論を踏みにじる行為で到底、許されるものではない。
意見交換の中で米側は、日本の主権を尊重すると説明しながらも、米側の要求の根拠として「日本の核技術の衰退は、米国の原子力産業にも悪影響を与える」「再処理施設を稼働し続けたまま原発ゼロになるなら、プルトニウムが日本国内に蓄積され、軍事転用が可能な状況を生んでしまう」などと指摘。再三、米側の「国益」に反すると強調したという。
当初は、「原発稼働ゼロ」を求める国内世論を米側に説明していた野田内閣。しかし、米側は「政策をしばることなく、選挙で選ばれた人がいつでも政策を変えられる可能性を残すように」と揺さぶりを続けた。
放射能汚染の影響により現在でも十六万人の避難民が故郷に戻れず、風評被害は農業や漁業を衰退させた。多くの国民の切実な思いを置き去りに、閣議での決定という極めて重い判断を見送った理由について、政府は説明責任を果たす義務がある。 (望月衣塑子)
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