沖縄慰霊の日を迎えて

文・鎌田浩宮

 

なんにも
知らず、
初めて
沖縄
行った
時の
話。

 

20代の頃だったか、大友君と玲ちゃんと3人で、初めて沖縄へ行った。
僕は、飛行機に乗るのも、本州を離れるのも初めてだった。
3人とも沖縄へ行きたい理由は別々で、玲ちゃんは自然と戯れたい、大友君は沖縄戦の調べものをしたい、僕は沖縄の自然信仰に触れてみたいといったものだった。

貧乏旅行。
レンタカーを借りてそこで寝泊りすればいいねなんて言っていたら、大友君のお父さんの沖縄の知り合いの弟さんという、かなり遠縁の人が那覇に住んでいて、お前らフラー(バカ)かと1週間分のホテルを押さえ費用を出してくれた。

 

 

琉球の
裏ボスとの
出逢い。

 

それだけでもエライことなのに、そのおじさんは僕らが映画好きと知ると、沖縄映画の傑作「パラダイスビュー」「ウンタマギルー」監督の高嶺剛と、ジョン・レノンやオノ・ヨーコとも親交があるジョナス・メカスの2人のトークショウ&回顧上映に連れて行ってくれ、そればかりか打ち上げにまで参加させてもらった。
メカスは祖国リトアニア、高嶺は沖縄の独立を叫び、尋常じゃない興奮がおじさんと僕らを包んだ。

このおじさんが沖縄経済界の大物で、沖縄芸能・芸術界のウラ番長的な存在と知ったのはずっと後の事だった。

 

マブイ、
見れる。
精霊、
見れる。

 

さらに数日後、せっかく沖縄に来たのなら本島だけじゃ駄目、飛行機代も宿代も出すから離島に行きなさいと言われひっくり返った。
あまりにも申し訳ないので比較的本島に近い久米島に船で行くので勘弁して下さいと言うと、本当はもっと遠くの西表島とかへ行ってほしいのに、と残念そうな顔をされた。

おじさんは若い時に、西表島のジャングルを縦断した。
西表島のジャングルに入る際は、必ず警察に届け出を出さないといけないほどそこは深く大きなもので、最短距離を通っても8時間かかる、島の面積の8割ほどを占めるもの。
その中でおじさんは遭難し、ジャングルの中たった1人で一夜を過ごすことになり、そこで神秘体験をしたのだと言う。

そしておじさんはマブイ(魂)を見ることができるようになり、精霊が飛んで行くところや、どこそこの地面から気が出ているとかを話してくれた。
でも、人から誘われ勧められても、決して徒党を組んだりはしないのだという。
そんなことをしたら宗教になってしまうからね、宗教は嫌い、とおじさんは言った。
僕も宗教は嫌いです、と返事をした。

おじさんは、自然界に宿る神のようなものから、音楽家の〇〇を守ってあげなさいとお告げがあったんだと教えてくれた。
どうしてこんな見ず知らずに近い3人を親切にしてくれるのか、その頃音楽家になりたくて七転八倒していた僕は狂喜した。
後日、相当な勇気を振り絞って、そのお告げは僕の事ですかと尋ねたら、鎌田君じゃないよと素っ気なく否定されずっこけた。

でも、数年後おじさんが那覇近郊に巨大ショッピングモールを造った際には、僕らのバンドを(またもや旅費・宿泊費はおじさん持ちで)呼んでくれ、オープニングイヴェントで演奏したりした。
当日の新聞にはそのモールのA2版くらいの大きな折込チラシも入っており、僕らのバンドの名前がでかでかと書かれてあって僕らは浮かれた。

(これがそのチラシ。右下に写真入りで我々の紹介が)

 

それは
いいこと
だよ。

 

さて、旅も終わりに近づき、テレビでよく出てくる平和の礎の傍にある、平和祈念資料館へ3人で行ってきますと言った。
それはいいことだよ、とおじさんは言った。

僕は、なんにも知らなかった。
沖縄戦。
人口の1/4が亡くなった。
単純に考えて、4人家族なら1人が死んでいる。
日本兵による殺害、集団自決。
6月23日に、日本軍司令官牛島満中将をはじめとする司令部が自決し組織的戦闘が終結し沖縄戦が終わり、島民は米軍の収容所に押し込められ、土地は民家や田畑があった所も関係なくブルドーザーで破壊され米軍基地となった。

 

カンカラ三線。

として

美しさ
とは
何か。

 

普通、数十分かければ見られるそんな資料や写真や映像などの展示物を、僕は閉館近くまで一字一句漏らさずに全身で読み取ろうとしていた。
そして膨大な展示物の最後、出口付近に展示されている不思議な物に目が釘付けになった。

最後の展示物は、カンカラ三線だった。

明日この島がどうなるのか分からない。
明日生きていられるのか分からない。
それでも人々は、米軍の食糧のカンカラ…空き缶と、パラシュートの紐で、三味線を作り、音楽を慈しみ、楽しんでいたのだ。

僕は、涙がずっと止まらなくなった。
逞しさ、とかそんな簡単な言葉ではくくれない、人間としての生き方の美しさを、どんなに困難な状況でも、手放すことをしないということ。

先に書いたおじさんのモールでのライヴで、この時に流れた涙の訳を、曲にして演奏した。

 

[got to tell you]
作曲 タカツカアキオ
作詞 鎌田浩宮
演奏 トランキル・オーヴァー

 

慰霊の日・6月23日は県民の休日とされ、学校や役所は休みとなっている。
この日は平和を噛み締め、亡くなった方々を追悼する大事な日だから。
これを読んでくれているエプスタの素晴らしい読者の皆さん、沖縄の人でなくとも、この日は黙祷をしてもいいし、しなくとも、10秒でいいから空を見上げ沖縄を偲んでくれたら嬉しいです。

決して、ノダの馬鹿野郎のように、この日にオスプレイを配備させてくれなんて話すのではなく、ね。


2012.06.22