福島県相馬市のダチからの便り 第6便

鎌田浩宮

毎日大変な時に原稿を送ってくれて
本当に有難う!

さて、質問6では、
杉ちゃんが
震災で仕事も(職場自体も?)なくなっちゃったし
時間がたっぷりあるからということで
今頑張っている
避難所でのボランティアについて聞かせてね。

まず、その避難所は、
震災や津波の被害で避難して来た人たち?

それとも、
放射能で避難勧告を受けて
canada goose pas cher 避難して来た人たち?
(だとしたら南相馬市周辺の人たちかな?)

杉ちゃんは1週間で何日、
何時から何時までボランティアをしてるの?

その内容はどんな仕事?

杉ちゃんはずっと老人介護のヘルパーをやっていたから
それを生かした仕事を与えられているのかな?

この前の電話では
毛布が沢山送られてきたんだけど
実は毛布はもう余っていて
という手違いもあるという風に聞いていたけど
現場の指揮系統はまだそんな感じで混乱しているの?

あと、今、避難している人たちが
1番困っていることは何?
温かい食事も十分あるのかな?

それでは、ごめんね、よろしくね。

 

杉本敏之

私がボランテイアに行った避難所は、津波や震災で被害を受けた人たちが殆どだった。
放射能による避難指示、もしくは、自主避難で来た人たちはまた別の施設に避難している。
(南相馬市からの人が少数いるらしい)
   
ボランティアは、風邪をひいたり、足を怪我したりで、4月7日までで、10日位しか行っていない。
ボランティアの種類としては、自分の本職である、介護関係がいいと思って、そういうのに、応募した。

最初に行ったところでは、全部で450人が避難している所に行ったんだけど、介護の必要な人は一人だけで、あとは、自分で声をかけて行って、介護が必要な人がいないか、探してみてくださいと施設の人に言われた。
それで、私ともう一人のボランテイアの人とで声をかけに行ったりした、みんな、付き添いの家族がいて、大丈夫だった。
そして、介護が必要だったお年寄りには、1時間ごとの体位交換と、手足の清拭、爪切り等を行った。

食事は昼は、おにぎり一個とカップラーメンにミカン等の料理の手間がいらないものだった。
それと、3時のおやつもあった。
朝、夕はどうなっているのか分からない。
これを避難している人、みんなに、配るのが大変だった。
カップラーメンのお湯を大きな鍋でわかすことから始まって、450人の避難者に順番に並んでもらった。
だれも、不平をいう人はいなかったなあ。

それから、その避難所からは、一日にバスが、
http://www.achatdoudounepascher.fr 何本か出ていて、一つは、入浴のできるところへ、もうひとつは、遺体安置所行きだった。
「遺体安置所さ、行ってくっから。」
と日常会話のように、話している声が聞こえた。
遺体安置所での、身元確認は、家族だけでなく、誰でも行っていいようで、役場の方でも、早く遺体の身元確認を行いたいようだった。

次の日に行ったのは、避難所ではなく、少人数のグループホームだった。
被害にあって亡くなった職員がいたりとかで、とにかく人手が、足りないところだった。
職員の疲労が限界に来ているとのことだった。
なるべく普段と変わらない生活が送れるように心がけた。
そこは、小さいところなので、援助物資が行き渡らない面もあって、自分たちで、インターネットに援助の依頼をお願いしていた。

ここでは、昼食は料理してだしたカレーだった。
かぼちゃの煮物もあった。
そこでのボランティアの仕事は、午前中はお年寄りのシーツ交換と援助物資の仕分けをやった。

援助物資の仕分けは、最初の避難所ボランティアでもやったが、たまに、使用済みの(一応洗濯はしてあるみたいだけど)下着とか送られたりするから、チェックはそれなりに重要だ。

午後からはお年寄りとおしゃべりしたり、歌を歌ったりして過ごした。

ちなみにボランティアの活動時間というの決まっていて、日中9時半から3時半までとなっている。
応募できる人は最初は市内の人だけとなっていたが、現在は自分で、寝床や食糧等を持ち込みできるなら、受け入れ可となった。
 
ボランティアの応募に関して、私は最初、介護の経験者なので、、その経験を必要とされるボランティアに応募していたが、この際だから、いろいろ経験してみようと思い、瓦礫の撤去作業などにも応募した。
いやあこれがきつかったな。

その作業の1日目は、泥をスコップですくって、袋に入れて、土嚢にして、所定の場所まで運ぶんだけど、水を吸ってすごく重い。
この時には、遠く三重県から、日系ブラジル人の団体が10人くらいで来てくれて、どうすれば、うまく作業が進むか、話し合いながらやった。
結構楽しい面もあったな。
昼食の時は、一緒にごちそうになりました。
本当にありがとうございます。

その作業の2日目は、個人宅の床下浸水した、泥や、泥をかぶった家財道具を外に運び出すんだけど、みんな泥と水をかぶっているから結構重い。
足場も滑るし、ところどころ床が抜けているから、危険だった。

隣に水産加工の工場があって、そこの水槽で養殖していた、ひらめ、カレイ、カニ等が震災と津波で全部だめになって、そのまま捨てられずに、腐らせたままになっていた。 
どこに捨てればいいのか困っているとのことだった。
  
で、ガテン系ボランティア3日目は、造船所内の発砲スチロールの撤去作業なんだが、この発泡スチロールがとんでもない量で、20人くらいで、2日はかかりそうだった。
しかも現場は巨大な船が、不安定に傾いているし、上から何か落ちてこないか心配だった。
そして、粉々になった発泡スチロールで、足元が不確かだった。
そこで、私は、1メートルくらいの高さの足場から、飛び降りたときに、上を向いた釘を踏んでしまった。
左足の内くるぶしに刺さった。
  
ボランティアをやって、こんな怪我をするとは、逆に、迷惑をかけたのではないかと思うと、情けない。
しかし、あそこは危険であったことは間違いない。そういえばこのボランティアに応募した時も、大丈夫ですかと、何度も念を押された。
ボランティアに対し、気を遣いすぎているのかと思ったが、本当に、危険な現場だったのだ。
何事も無理はいけないのである。

現場の指揮命令系統の混乱というのは、もうこれは致し方ないだろうね、その、もう要らない毛布が届いたというはなしも、本当に要らないのか、ただ置き場所がないから、貰っても困るということなのか、わからない、結局450人以上という避難者を抱えて、職員が10人くらいで、何もかも初めてのことだったろうし。

そして、今避難している人が一番困っていることは、いろいろと、足りないものはあるだろうが、女の人は、下着がなくて困っているのだろうし、食事も満足ではない、あと、本とか雑誌が読めるといいね。
避難所の近くに図書館があるけど、震災の時から閉館している。
本屋さんもまだ明かない。
明いているコンビニへ行っても、雑誌はほとんど置いていない。
 
そして、今後の見通しが不安ということかな。
私のように、仕事を失くしたひとはたくさんいて、ハローワークはとても、混雑している。
これから、仮設住宅の建設が始まるけど、住むところを確保できたら、次は雇用をどうするかだ。休業中の手当はでるのか。
これからのことが、本当に私も含めて心配です。
 

2011.04.18