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福島県相馬市のダチからの便り 第5便
鎌田浩宮
早速質問5なんだけど
放射能のことについて聞きます。
電気は震災直後から大丈夫だったと言っていたので
放射能被害が、杉ちゃんの家の近くまで来ていることは
テレビで知ったの?
それとも新聞、ないしは町内放送とか?
その後も市役所や地元の官公庁から
正しい情報は定期的に
杉ちゃん達には提供されているの?
そして、ガソリンがなくて
避難できない人は
まだ沢山いるのかな?
被害によって杉ちゃんの家でも
水道水は飲めないだろうし
雨の日は外出できないとかあるだろうけど
他にどんな被害があるの?
その他に、
原発の被害に関して
そちらで起きた出来事、
杉ちゃんが感じたこと、
何でもいいので
思いのたけを書きまくってちょ!
杉本敏之
原発事故と放射能漏れは、テレビで、随時放送していたから、それを見て知った。
家族団らんで、原発事故をずっと見ていたものである。
新聞は震災翌日から一週間は来なかったから、テレビの情報が頼りだった。
水の配給場所や、避難指示の連絡は、直接水道事業所が、拡声器の車で知らせたり、回覧板で地区ごとに連絡が来たりした。
放射能の数値も回覧板に書いてあったが、毎日来るものではないから、あまり期待するものではない。
やっぱり、放射能を含む、各種役所からの情報も、テレビからのが、一番詳しくて、便利な気がする。
個人的な安否確認のお知らせから始まって、給水車はどこに来るか、どこどこのお店は何時から何時までやっているとか、遺体安置所の場所とか、ボランティア情報とか、地元のかなり詳しい情報が、テレビの画面の下に出てくる。
放射能の値も今では、たぶん福島県だけだろうと思うが、天気予報のように、毎晩テレビで市や村ごとにその日の数値を知らせてくれるし、放射能の飛散先が予測できるように、風向きも細かく知らせてくれる。
私の聞いた限りでは、避難したくても、ガソリンがなくて避難できないと言う人は、相馬市にはいなかったろうと思う。
ただ、私を含めて、みんな、いざという時の為に、ガソリン100キロ分位は使わないで、残しているのではないかと思う。
または、家に車が2台以上ある人は、1台を脱出ようにして、温存するとか、なるべく、自転車を使うとか。
それから、こっちでは、放射能で水道水が飲めないということはないなあ。
しかし、最初のころは、洗濯物は外に干さないようにはしていた。
雨の日もちょっと気をつける。
一番被害をうけたのは、放射能で、出荷停止になった農家の人たちだろう。
原発の被害に関し私が一番大変だと思うのは、半径30キロ圏内の南相馬市には、まだ1000人以上の行方不明者がいるのに探しに行けないということだ、
家族や親戚は本当につらいことだろう。
そして、原発が安全になってから、全ての復旧作業を始めなければならない。
電車や道路等、これらが、今も寸断されたままなのだ。
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