続々々々々々々々々々々々・無縁坂の尋ね人

文・Mさん/hirokophoneさん
構成・鎌田浩宮

人探しもする、
エプスタインズ。

城南学習指導協会及び
北部進学セミナーの
国語塾講師
船橋(ふなはし)俊一
を探す。
連載、
12回目。

以下、
その道程。

無縁坂の尋ね人

続・無縁坂の尋ね人

続々・無縁坂の尋ね人

続々々・無縁坂の尋ね人

続々々々・無縁坂の尋ね人

続々々々々・無縁坂の尋ね人

続々々々々々・無縁坂の尋ね人

続々々々々々々々・無縁坂の尋ね人

続々々々々々々々々・無縁坂の尋ね人

続々々々々々々々々々・無縁坂の尋ね人

続々々々々々々々々々々・無縁坂の尋ね人

もはや、船橋先生を知らない人までもがこの連載を読み、未だ会ったことのないこの先生へ、既に出逢ったかのような既視感を覚える。
思い出そうとして、忘れられない。
忘れようとして、思い出せない。
そして、遂にフナセンの声が発掘され、エプスタインズ誌上にて公開。

今回は、音源を聴いた先生の教え子からの、反響をお伝えする。
まずはMさんから、その次はhirokophoneさんからだ。

 

 

ありがとうございました。
聴くことができました。
お元気な先生でした。

鎌田さんと同じ感覚もあります。

『この声は、まがうことなく先生のものだ。ただし、僕が先生に出会った頃は、この声が録音される前だ。当時の先生は陰鬱で、覇気がなかった。その漆黒に僕は魅かれていったのだが、この録音の中の先生は生き生きと子供達に接していて、学校の先生よりも先生らしい。』

私が初めて先生にお会いしたのは25歳の時だったと記憶しています。

先生はまだ自分探しをなさっていたのでしょう。

当時私は教会にいっていましたし、先生も神様については色々とご自分に引き付けて考えられていたように思います。
聖書の御言葉を引用したお手紙もありました。
神様の話や仏様の話もしてもらいました。

時折それにさえも疲れたように、厭世的な言葉をポツンと独り言のように授業の中でも言ってと記憶しています。

『人は全き孤独の中に在る』のだから、十字架を背負って自分自身が自分自身を生きていくしかない、って。
想像するに、やはり光と闇が交錯する何かがあったのかもしれませんね。

でも、今回の先生の声はとても明るく、何よりも子供たちの声が先生の存在の深さ大きさを教えてくれますね。

来月は、先生のお誕生日がきますね。

またご連絡いたします。
本当にありがとうございました。

Mより

 

すごいですね!音声!さっそく聞かせていただきました。
先生だ(泣!)それもものすごく生き生きとしている!リピートして聞いてしまいました。
音声を提供してくださった中山さん、そしてこうして聞けるようにしてくださった鎌田さん、本当にありがとうございます。

鎌田さんがおっしゃっているのと私も同じで、これは紛れもなく船橋先生なのですけれど、私の記憶もやはりもう少しダークサイド寄りですね(笑)

私自身は北進には通ってないのでおそらくお会いしたことはないと思うのですが、こうして中山さんのお父様ともお近づきになっていたり、ご近所の方と仲良しだったりと、ダークサイドのイメージな船橋先生は思いのほか社交的な面もあったのだなとあらためて思いました。

つい数日前、私も北進の前を意味もなく通ったんです。
あの公園の前を、こうして船橋先生を思ってふと立ち止まる人が時々いるなんて、密かなるスポットですね!

hirokophoneより


2018.01.24