熊本市東区からの日記 44

写真と文・月ちゃん

2016年4月14日
に起きた熊本地震。
この日は
前震とされています。
本震があったのは
4月16日。
両日とも益城町では
震度7を記録しました。

両日で50人の方が
亡くなりました。
避難生活で体調を崩し
亡くなったなどの
震災関連死は
熊本・大分両県で
225人にもなります。

 

 

それでは、月ちゃんの日記です。

4月16日(日)

一年前の今のこの時間 本震が来ました。
今夜はFMK熊本応援復興応援プロジェクト音楽のちからを聴いています♫
この一年で熊本の応援に駆けつけてくれたアーティストの特集でしたよ。
たくさんの方が来てくれていたんですね♫

恐ろしい時間でした。まるで家が上下左右に箱を振るような…
夫は倒れたタンスの下敷きになり、真っ暗な中を息子と二人 大声で呼び掛けながら探したのを思い出します。
幸い大きな洋服ダンスの扉が地震の衝撃で開いたのでその隙間に入り込み、挟まれてはいましたが怪我もなくてすみました。
夫はその時のことは覚えていないと言います。
しばらく気を失っていたようです。
不幸中の幸い。
今思うとよくぞ助かったと思います。
その洋服ダンスは扉が開いたまま倒れたために、本体の重さで扉が閉まらなくなり(父が買ってくれた婚礼ダンス)護ってくれてありがとうと感謝しながら処分しました。

ある日突然被災者になるんだとこの時初めて知りました。
あれだけ東北の時もテレビで写し出されていたのに…
当たり前がどれだけありがたいのか一日一日を過ごしていける今も噛み締めています。
うん!元気でいなくっちゃ!

色々と思い出しますが 今のこの時間、いつも通りの生活を送ることができています。
心配して連絡をくれた家族や友人たち。
SNSで無事を確認できありがたいことでした。
改めてこの一年を色々思う日になりました。

被災者になってみてわかることもたくさんありました。
たくさんの励ましも力になりました。
感謝しながらこれからを過ごしていきたいと思います。
ありがとうございます。

改めて励ましや支援物資を届けてくれた皆さま
本当にありがとうございました。
阿蘇はまだライフラインが復旧していないところがあります。
まだ遠い道のりです。
まだまだ復興は始まったばかりです。
とにかく元気で明日を語りながら今を一生懸命生きようと思います。
これからも私にできることを精一杯やっていきますね!

我が家の玄関にリュックが置いてあります。
中をまたチェックしよう♫

最後まで読んでいただきありがとうございました。

さっきまで31度!
夏になりました…暑い!
先々週まで寒かったのに…
やっぱり熊本には春がないです!!

熊本地震1年 4カ月不明学生 今でもそこに 両親思い続け…

息子の部屋は一年前と何も変わらない。脱ぎっぱなしの靴下さえ「あの子を感じることができるから」と母は洗うことができない。今でもそこにいるように思えて、何げなく扉を開けてしまう。熊本地震から一年。大学生だった熊本県阿蘇市の大和晃(ひかる)さん=当時(22)=の両親は節目と決めていたが、納骨はできずにいる。

 晃さんは昨年四月十六日、二度目の震度7で生じた土砂崩れに車ごと巻き込まれた。十四日に起きた最初の地震で被災した友人を気遣い、水と食料を届けた帰り道だった。

 「必ず家に連れて帰る」。父卓也さん(58)と母忍さん(49)はその一心で捜し続けた。発生から三カ月余り。乗っていた車は南阿蘇村の阿蘇大橋から四百メートル下流で見つけた。八月十一日、車内から遺体が収容された。

 忍さんは、晃さんの大好物のチーズケーキを作って迎えた。四カ月間、岩に押しつぶされた車内にたった独りでいた息子に、両親は「頑張ったね」と声を掛けた。

 祭壇の花を枯らさぬように毎週、阿蘇大橋を訪れた。えぐれた山肌からは復旧工事の重機の音が響く。変わっていく風景に、自分たちだけが置いていかれるようだった。

 「見つけるまでは曜日の感覚もなかった。一年で納骨しようと思っていたけど、あっという間で。いざその日が近くなると…」。もう少しだけ、息子のそばにいたい。

 これまでに全国から六十通以上の励ましの手紙が届いた。「心を寄せています」とあったのは宮城県の男性。後に、東日本大震災で自分たちと同じように息子を亡くしたと知った。「会う機会があれば、抱き合って泣きましょうね」。震災六年を控えた三月十日に電話でそう約束した。

 晃さんが婚姻届の証人となったカップルの結婚式に招かれ、遺影と一緒に足を運んだことも。若い二人の笑顔が、もう訪れない息子の将来と重なり、心がきつかった。「でも、晃が生きていた事実を感じることができた。良かった」と卓也さんは振り返る。

 四月九日、自宅で恒例の種もみまきをした。昨年は晃さんが手伝ってくれた。「きっと晃が育ててくれるんじゃないかな」。家族全員で黙々と作業を続けた。

東京新聞2017年4月15日(土)夕刊1面トップ記事


2017.04.16