緊急連載「有志連合と協力して」⑪

構成・鎌田浩宮

広島平和記念資料館
では
まだ
ろう人形は
撤去
されていない。

 

読者からの投書を載せると、すぐに反応があり、それについてまた別の読者から投書が来る。
同じ読者から、2通目の投書も来る。
ウェブマガジンとしては、理想の形だ。

こちらからの一方通行な発信だと、ブログと変わらない。
沢山の書き手がいて、自由に書いてもらうのが、ウェブマガジンだ。

昨日掲載した、学校で湯川さん後藤さんの惨殺写真、映像を見せたことについての投書。
早速、それについて2通の投書があったので、掲載します。
その2通は、異なる意見です。
以下、じっくりお読み下さいね。

大友麻子さんより:
うーん…私はちょっと違う。
ベトナム戦争を教訓に、米国は戦争の報道の現場から徹底して遺体を除去してきたのでしょう。
きれいにクリーンにして、瓦礫だけを映すようにしたのでしょう。
戦争の残虐さやむごたらしさをできるだけクリーンにして報じて来たと思います。

つまり、ご遺族の気持を考えるところだけに集約していい問題ではないと思います。
人間が人間によって切り刻まれる争いの現実。

私は小学生の時に母親に「平和のための戦争展」に連れて行かれて虐殺の写真などを大量に見て、それ以来、怖い夢を見るようになった。
沖縄戦の本を読んでから、小学校に火炎放射器を持った人たちが来る夢とかも見るようになった。
でも、知らないより知ってよかったと思っています。

ご遺族に慮って見せない、ということではないと思うのです。
それが自分の子どもの遺体でも、そういうことが言えるのか、という論調は必ずある。
死刑問題でも、自分の子どもが殺されても死刑廃止でいいって言えるのか、ご遺族の気持を考えたことはあるのか、と。

ご遺族の気持は周囲が同調できるわけでもほんとに理解できるわけでも、利用していいわけでもない。
距離を置き続けねばならないと思っています。
先生は、何を伝えたくてその画像を子どもに示したのか、その部分を語ってもらえたらいいと思ってます
(語ってるのかもしれないのですが、私はまだ目にしてなくて)。

あーちゃんママさんより:
ウチの子供(小6年)のクラスでも社会の授業(憲法や戦争の勉強)の中で、特に詳しい説明や画像など見せたという事はないのですが、ただ先生が最近では後藤健二さんの事件もありましたねとの一言があったそうで、その時クラスの数名の男子が
「俺、モロの画像見たで」
とか、私はこの場で表現もしたくないような御遺体の状態を詳しく
「体はこんなんで首はこんなんなってた」
と発言したそうです。
この件について一昨日聞いたところで私は物凄く不快感、怒り、悲しみを感じ我が子には私の考えを真剣に伝えたところです。

今回投稿された方と同様、もし自分の遺体だったら、もし自分の家族の遺体だったら、もし自分の友達の遺体だったら見たいと思うか?
酷い殺され方をし、死んでからもなお、世界中の知らない誰かの目に晒されたらどう思うのか?

誰だって自分や家族や友達なら、ただの興味本意で見られたくないはずだと、どれだけ傷付く事かと涙ながらに訴え我が子は理解してくれたようですが、クラスでその件について、その場で先生からは特に言及もなく終わったそうなので、実際に画像を見た子達が何を感じどのような影響があるのか、とても心配しています。

まだ子供だから単純に興味を持つ特に男子はゲーム含め残虐な物に関心を持つのでしょうが、その際の大人の態度、指導、教育が大切なのだと思います。
親や先生がもっと真剣に今回の事件も含め命の大切さ個人(故人)の尊厳を教えなければと切に思いました。

つたない言葉での長文失礼致しました。
いつも貴重な情報ご意見ありがとうございますm(__)m

先日、僕の自身の映画上映で広島に行った。
問い合わせをしたら、撤去を検討された惨劇のろう人形は、まだきちんと展示されているという。
ほっとした。
そういった名もない犠牲者の展示と、今回のように実名が知られている方の死体の公開を、どう捉えたらいいでしょうか?
僕も、考えていきます。

大友さんの書いた通り、学校の先生から投書が来ると、嬉しいなあ。
匿名でも、結構です。
お待ちしています。

引き続き、この連載に関するご意見ご感想をお待ちしています。
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エプスタインズでは、様々な人から原稿を取り寄せ、先週から集中連載をしています。


2015.02.13