EPSTEIN TALKS ABOUT FUTENMA#19「喧嘩が上手だということ」

6/6(日) 12:45pm 鎌田浩宮

 僕は何度も書いていますが
結論としては
akeyboさん、知枝さんと同じ
非暴力運動を考えていますよ。

もう1度だけ書きますが
運動に参加しているうちなんちゅ(沖縄人)が
警官や機動隊にどつかれているところなど
つらくて見られませんから。

また、公民権運動を例にとっても
キング牧師のような非暴力運動は
リベラル白人層さえ支持し得る状況だったのに比べ
マルコムXはアフロアメリカンの中でも反論があった。
(これはどちらが正しいとか正しくないとかという次元の話ではなく
世論がどちらをより支持したか、という話ですね)

知枝さんが貴重な
職場内での話を書いてくださいましたが
とあるごく一般的な職場の中でも、
様々な考えや態度を取っている人がいて
(その中には、意見したくても意見しづらい環境だと実感している人もいて)
また一方では
名護市の中でも、反対派と賛成派で
家族・兄弟をも断絶してしまうような
つらすぎる意見の相違が市民同士を苦しめている。

そういった県内・及び国内の世論をまとめるのは
キング牧師のような論理である事は明白です。

さて、
akeyboさんの話で
もう少し詳細を教えてもらえたら嬉しいな
と思ったのが

>問題はその炸裂するようなパワーをコントロールできるメンタルが、
>一般人にもないということです。

>もしかしたら、その力をコントロールできないことが、
>システムや強者への依存性を作り上げていて、
>それこそが現代共通の問題なのかな。

の部分なんですね。
何か具体例を挙げて書いてもらうと
もう少し解り易い文になると思うんですが
いかがでしょ?

 okinawa (32)

6/6(日) 2:32pm akeybo

 引用が前後しちゃうけど、

>僕は何度も書いていますが
>結論としては
>akeyboさん、知枝さんと同じ
>非暴力運動を考えていますよ。

なのに、

>それを全て承知の上で
>(中略)
>胸が熱くなるのです。

は何故なのか?
十二分に抵抗の意味を知りながら、なぜ暴動映像に鎌田君が惹かれてしまう、惹かれてしまう人々が少なからずいるであろうとしたことへの
僕なりの見解が、前の書簡です。

続きは後ほど。

  

6/6(日) 3:59pm 知枝

 鎌田さんが

胸が熱くなる

とおっしゃる理由、なんとなくわかる気がします。

理不尽な扱いを受け、差別され虐げられて、声をあげても届かない。
もどかしい、なんて言葉では到底表現できないほど、壮絶な辛さと憤りを抱えてきた人達が、ギリギリの状態まで追い詰められ、暴力という手段を選ばざるをえなかったこと。

その状態に私は涙しました。

窮鼠、猫をかむ、という表現は適切ではないとは思いますが、状況としてはそんな感じ。

望みを託した鳩山さんが、県内移設を表明した時、パレスチナで爆弾を抱えてイスラエル人の中へ突っ込んでいく人々の気持ちが、少し理解できました。支持はできませんけど。

また仕事に戻ります(笑)

 

6/6(日) 4:37pm akeybo

 暴動映像に惹かれちゃうのが屈折してるとかは思うけれど_自分も含めて、だからといってだめな人間だとは思いません。
どちらかというと富や機会の不均衡などイライラを抱えている人の方が現状では普通でしょう。
むしろ痛みに慣れっこになっているけれど、化膿した心の傷を思い出すような健康な作用じゃないかと。

「暴力衝動の因果を見つめ、いかにコントロールするか」

しかしね、それは入り口でしかないわけで、傷がつくに至った理由、傷をつけた相手を動かしたものは個人個人の記憶の範囲じゃ裁くことなど容易にできるものじゃない、体感的に突き動かされた力がコントロールを失うであろうポイントがそこにあるんじゃないかな。

個人的な体験談は割愛させてもらいますが、
たとえば家庭内暴力やDVなんかだと、自分を害する相手の背景など、相手が存命中でも確かめることは困難だ。
日本の南方戦線や沖縄戦などでも、命令書のない兵士の蛮行などの責任の所在を探すことも非常に困難だ。
困難だから罪がないとは思ってませんよ、あくまでも困難な現状があるということです。

「ゆきゆきて神軍」は素晴らしいドキュメンタリーだったなあと思うんですが。

>問題はその炸裂するようなパワーをコントロールできるメンタルが、
>一般人にもないということです。

「喧嘩で重要なのは、強いか弱いかではなく、上手いか下手かということだ」

自分をコントロールするということは、常に自分の被われている現実を理解し、その仕組みを見抜き、またそれを心を寄せる他者と共有することではじめてできることだと思うんです。それは喧嘩が上手ということだと思います。
現実暴力が連鎖的に起こるスピードの方がすべての紛争において上回っているんじゃないでしょうか?

多くの人はかりそめでもなんでも平和を常態と思っているのは、裏返したら喧嘩があまりに下手なんだからだと思います。
九条が本当に意味深だよなと思うのは、色々角度はあるとは思いますが、我々があまりに喧嘩が下手であると宣言したことでもあると思うのです。

喧嘩が強い弱いではなく、上手い下手ってことね。 

2010.09.25