戦争法案その後を考えよう

文・鎌田浩宮

先日、エプスタ投稿者の常連・匿名希望の名無シーさんことエヌシーさんと、ワオ君(仮名)との3人で、戦争法案とその後を語り合う機会がありました。
それをまとめ、ここに記そうと思います。

 

戦争法案が、
可決された。
闘いは、
これから
ですよね。

 

来年には、参院選が予定されています。
野党の大連合、なんて声も出始めています。

野党の連合となるとすぐにイメージされるのは、戦争法案の対案として、では憲法9条を遵守するという事は、全く武器を持たない丸腰の状態である事なのか、それとも自衛隊は認めるのか、さらに個別的自衛権は認めるのか、その辺りの見解の相違から連合が失敗する、というものです。
そういった事柄というのは、有権者同士でも議論がされる事でしょう。
しかし、こうした議論で有権者の票が割れるようでは、与党の思う壺でしょう。

もう、戦争は、眼の前なのです。
大同小異と腹をくくり、皆がまとまらねば、戦争は始まってしまうんです。

しかしそれでも、自民への投票が多くなりそうなのも、動かしがたい事実です。
その理由は、こんなところでしょうか。

① アベノミクスによる経済の再生を、安保など他の政策よりも優先する

② 野党は信頼できない また、対抗する政策に乏しい

戦争法案は支持しない、しかし、自民でなければ経済再生は成し得ないと考える有権者、多いですよね。
アベノミクスが富裕層・大企業しか救わない政策であることを、マスコミや経済評論家がきちんと説明しないのもなんだかなあなところですが、そもそも、僕らは本当に映画「三丁目の夕日」のような高度経済成長を、または80年代のバブル経済のような上昇景気を、本当に望んでいるのでしょうか?

貧富の差が拡がり、貧困層が増加している事は知っています。
しかし、アベノミクス幻想を支持しているのは、中流階級が中心である気がします。
安定した収入もあり、生活ができないほど経済的には困窮していない人々です。
そういった人々がアベノミクスを支持する理由には、自身が経済的に潤う事だけを求めているのはない、と思うんです。

 

三丁目の夕日

戻りたい
のか。

 

アベノミクスに付随して浮かぶイメージ…「三丁目の夕日」的なもの、バブル経済的なものが再来すれば、自身の人生が物質面だけではなく、精神的にも満たされるのではないか、と考えているからではないでしょうか。

アベノミクスのブレーンには、経済学者の他に、電通・博報堂なども参加していると思います。
彼らによるイメージ戦略によって、アベノミクス、そして安倍政権というものは、自分の経済面だけを充足させるものではなく、人生そのものを充足させてくれるものと訴えかけてきます。
つまり、アベノミクス、安倍政権は、「物語」を僕らに提示しているのです。
物語という言葉で分かりづらければ、「モデル」という言葉でも、「ライフスタイル」という言葉でもいいでしょう。
経済面の充足=人生そのものの充足、という物語を見せてくれているのです。

僕ら、一井の人々というもののかなり多くは、生きていく上で指針になるもの、道しるべになるもの、つまりは「物語」「モデル」「ライフスタイル」を探しています。
シンプルに分かり易く言えば、スポーツ選手や芸能人に憧れ、あんな人生を送ってみたいと思ってみたり、ある小説や映画の主人公に共感しそんな風に生きてみたい、と思う事です。
かく言う僕だって、30代の頃までは本気で、キヨシローやチャボ、細野晴臣さんや坂本龍一さんのようになりたいと思っていました。
憧れであり、人生の指針でした。

 

野党は
アベノミクス
に代わる
物語

提示しないと
いけないのか。

 

今の僕は、もう「物語」「モデル」「ライフスタイル」を求めてはいません。
今のつつましい生活でよし、としています。
しかし、「物語」「モデル」「ライフスタイル」のない生活は、不安でたまらないというのも分かります。
そんな中で、アベノミクスが提示する「三丁目の夕日」的な「物語」「モデル」「ライフスタイル」に頼りたくなるんですね。
貧乏な庶民が、白黒テレビを1台買うのに一喜一憂し、所得が増えていくごとに買いたい物を買う事ができ、幸福感も増えていく。
あの頃のように所得が増えれば、人生そのものも幸福になるのではないか?

先ほど挙げた①②に戻って論じると、野党も「物語」「モデル」「ライフスタイル」を、国民に提示しないといけないのでしょうか?

確かに、そうすれば振り向く人々は多いでしょう。
田中角栄待望論は未だによく聞きますが、ああいった人が登場して、アベノミクスに代わる新たな「物語」「モデル」「ライフスタイル」を見せてくれたら、野党は変わるかもしれません。
それこそ、電通・博報堂と知恵を絞って。
しかし、ここでちょっと踏みとどまってほしいのです。

僕らは、政治なんぞに「物語」「モデル」「ライフスタイル」を提示してもらわないといけないのか?
彼らに依存しなくちゃ、自分の人生をきりっとさせることもできないほどのふぬけなのか?

「三丁目の夕日」の頃と違い、既に僕らの回りには、モノで溢れています。
もう、そんなに買いたい物も、実はないのです。
バブルの時のように、1万円札を振ってタクシーを捕まえたいとも、思いません。

僕らは東日本大震災を経て、変わらなければならないと思ったはずです。
死ほど悲しく、辛く、苦しいものは、ない。
つつましくても、いい。
電力が足りないのなら、節約すれば、いい。
命こそ、宝物だ。
つつましくても、楽しく、豊かに生きていく方法を考えていこうと、舵を切ったはずなのです。

「物語」も「モデル」も「ライフスタイル」も、いりません。
地に足の着いた事を、政府にはやってもらおうじゃありませんか。
保育園が足りない。
老人の孤独死が増えている。
貧困による死も増えている。
正規雇用が足りない。
お年寄りや障がいを持った人、シングルマザーなど、弱者に優しい政策を。
再生可能エネルギーによる発電所を過疎地に造り、過疎地の雇用を生もう。
原発立地地域に原発以外の雇用を施し、原発を廃炉にしても問題のない、本来の意味での地方創生を編み出そう。
中国は軍事力を以って尖閣諸島などを占領するという根拠のないデマを廃し、辺野古基地建設も中止し、これまでの70年間と同様に、外交戦略によってのみ、隣国と接していこう。

政府が目指す事は、こんなにシンプルな事だけでいいのです。


2015.09.30