- 2022.04.26:震度6強だったので相馬へ行きました 最終日
- 2022.04.22:震度6強だったので相馬へ行きました 8日目
- 2022.04.18:震度6強だったので相馬へ行きました 7日目
- 2022.04.14:震度6強だったので相馬へ行きました 6日目
- 2022.04.11:震度6強だったので相馬へ行きました 5日目
- 2022.04.09:震度6強だったので相馬へ行きました 4日目
- 2022.04.07:震度6強だったので相馬へ行きました 3日目
- 2022.04.06:震度6強だったので相馬へ行きました 2日目
- 2022.04.04:震度6強だったので相馬へ行きました 1日目
- 2020.01.21:2019年の私ごと含めた十大ニュース 大友麻子編
サブ・コンテンツ
- 2023.03.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑦
- 2023.03.04:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑥
- 2023.02.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑤
- 2023.02.25:[Radio] walkin’ to the beat everlasting④
- 2023.02.19:[Radio] walkin’ to the beat everlasting③
退学を脅された東洋大学学生を応援するのだ 4
文・長山和夫/名無シー/鎌田浩宮
構成・鎌田浩宮
2019年1月21日。
東洋大学で
学生が立て看板を掲げ
ビラを配っただけで
大学職員から
退学を勧告された。
エプスタインズにて
度々登場する
映画評論家・名無シー。
エプスタインズ・鎌田浩宮は
東洋大学出身。
そして今回から
鎌田の同級生
東洋大学出身
長山和夫も、参加。
タテカンを掲げた「彼」を応援すべく
語り始める第4回。
$ 教授たちはなぜ、連帯を拒むのか $
鎌田
2019年2月4日、船橋君が早稲田大学一般公開講座「内海先生のドロップアウト塾」へ招かれ、話をしたそうです。今回のタイトルは「若者の未来を奪った諸悪の根源・竹中平蔵を批判しただけで退学処分だって?! 東洋大学船橋言論弾圧事件の真実」。
その中で、こんな話があったようです。船橋君のフェイスブックから抜粋させてもらいます。
_______
船橋さんはその後、自身の所属する哲学科の教授一人一人に連絡をとり、連帯を求めます。しかし信頼していたはずのだれ一人、彼に連帯する者はいませんでした。その中には教室でハンナ・アーレントを講釈しベルクソンの「生の哲学」を専門とする、彼が最も尊敬していた教授もおり、その教授は船橋さんの申し出に対して聴く耳ももたず、即座に断ったということです。
「個人的には君の意見に賛同するけれども、私にも立場があって」、「立て看板やビラではなく、他にやり方があったはずだ」、「竹中氏の授業を履修しているわけではないのにおかしいのではないか」、連帯を断る人の理由として、最も多いのがこうした自身の生活や立場を守ったり、大学の側に立って秩序を保とうとする姿勢でした。
船橋さんの粘り強い努力の結果、最近では2名の東洋大学生から応援のメッセージがあったり、また教職員組合の一部の教員にも賛同者が現れてきたりしたということです。しかし未だに東洋大学のほとんどの学生・関係者は沈黙し、関わり合うことを避けています。
名無
「教職員組合の一部の教員」、これ、気になりますね。
ハンナ・アーレントは、アイヒマンが特殊な一人ではなく誰でもそうなると言っている訳で、件の教授もそう思っているでしょう。彼は今、一人のアイヒマンになっている自分にジレンマを抱いているはずです。
そしてそんな事より、この状況は、選挙の時と同じじゃないでしょうか。沈黙の背景には、学籍の保障と教職の地位の保障がちらつかされているわけです。ドロップアウトせずに生きると言うのは統制下にあると言うことです。
恨み節を並べてもしょうが無いので、引き続き民主的な問題視の喚起の言論を複数化させて行くこと、次からの選挙に勝つ方法を真剣に考えることを止めずに続けることが大事でしょうね。
ツィートにイイネがつかないと言ってしょげてもしようが無いのと一緒じゃないでしょうか。直ぐにどうにかなることではないですし、更に言うと、我々市民は共産党と違って、武力闘争は理念に含まれていない訳です。
船橋君は、インカレな繋がりをしっかり構築しており、学内の不甲斐なさはむしろ、不安要素と言うよりこれから何をして行くかの取っ掛かりに示唆をくれる、社会の抜き取りサンプル的なものになると思います。
武力闘争の件は、ショートして大鉈を振るうことが出来ない以上、長い思索とたたかいの歴史的規模の時間を要すると言うことです。
$ 竹中氏の理論も、認められるべき? $
長山
①竹中氏の考え方への賛否と、
②大学として講義を依頼することの是非、
③学生がもの申したことに対し、大学職員が脅迫したこと、
3つのことを区別して、議論できると良いのになぁ。
私は、竹中氏の論理には反対ですが、大学の講義として、入れるか入れないかで言えば、入れることもありだと思います。大学で講義される内容は、色々な政治的見解が認められるべきだと思うからです。
③については、言語道断です。大学自体が、社会や組織に対してものを言うことを、否定してしまっては、自らの首を締めることになるよね。学問や言論価値を認識できないのかなあ。
名無
問題を整理する意味では、論点を分けて論じるのは賛成です。
③は割と意見が分かれにくいところと思います。
②については、誰がどんな理由で招聘したかと言う情報が一般的に公開されていないので外野からは中々云々(デンデン)出来ないところもありそうですが、竹中氏就任前後ら辺の東洋大学の収支や方針の変化は無視できないとは思います。ところで、竹中氏が国際地域学科で何を教えているかシラバスを見ますとこんな感じになっております。
https://g-sys.toyo.ac.jp/syllabus/
何故、隠蔽するのでしょうか……。
長山
何か、問題が起きると隠そうとする体質も困ったもんです。
名無
本当にそうです。そして、一方で、今回の出来事を論点を分けない大局的な視点で考える必要もこれ、一つあります。
例えば、ヒトラーの経済政策は、アウトバーンとか意外といいものがあったというのはよく言われるところです。そう言う各論を平等に評価しようとすると、そこからはナチズムの恐いところは見えにくかったわけです。そう言う意味では、ある政権の、民主主義的なところへの政策に潜む趨勢も読まなければなりません。
船橋君のやり方は、丁寧な議論と言うことでは一見乱暴に見えますが、ああ言う言葉で注意を向けると言うやり方は効果的だし、その後の各論の議論をも惹起出来る余白を提供できると見ることも出来ます。
彼はところにより荒削りかも知れませんが、やはり、よく考えてのパブリシティ効果的なパフォーマンスの発想もあったとは思います。この反響はまぐれ当たりのところも勿論あるとは思いますが、その後の彼の受け答えは、結構しっかりもしていますね。
長山
意見を言うということは、言っておしまいではなく、伝わらなくてはならないと思います。なので、受け手のことを考えてパフォーマンスの発想が入るのはありですよね。
名無
正に。伝えて、しかもインカレ的に議論の輪が広がって、メディアも巻き込んでいる辺りは見事ですね。尻すぼみにはさせない戦略。なかなかの策士だし、書状のまとめ方、体裁もしっかりしている。2019年2月11日に、彼はこのような公開質問状を、東洋大学理事会へ送付しました。
https://twitter.com/6N8JeOXEKgmbO21/status/1094949260519342081?s=09
編集部注:公開質問状の全文は、こちらから読む事ができます。
$ 1+1=3と教える者に、講義をさせるべきか $
鎌田
船橋君は既に4年生、留年でもなければ卒業です。あと数か月なので勝負に出たという感じでしょうか。就職先は決まっているのか、決まっていても暴れるつもりなのか、この子のいきのよさを感じます。
②大学として講義を依頼することの是非…についてずっと考えています。
僕と船橋君の考えは大体同じなんです。1+1=2と論ずる学者であれば教壇に上ってもいいが、1+1=3と吹いているような輩を教壇に上げるべきではないだろう、というのが僕の考えです。
もちろん、竹中平蔵が1+1=2と論じているように聞こえる者もいるわけで、だから②については「色々な考えがあっていい」と評するわけなんです。
しかし、東洋大学が良識のある学府なのであれば、1+1=2と論じている輩をしっかりと見分け、間違った事を論じている者であれば教壇に上げない、…といった考えはいかがでしょう?
例えば百田尚樹が東洋大文学部で教鞭を取るようになったら…失笑では済まない気がするんです。ここまでくれば暴挙です。誤った文学をうのみにする学生が受講し、誤った文学論が広まっていくんです。
追記すると、船橋君が共感を求めたにもかかわらず、多くの教員や学生が否としたのは、②についての事が引っかかるのかもしれませんね…。
$ 国から補助金の出る大学で、盤石に過ごそうとする竹中氏 $
名無
私の考えは、少し違っていて、竹中氏が仮に、一見、人畜無害な授業をするとしても、彼を教職に置くことには賛成できません。
竹中氏が一教授に留まらず、新設研究センターの要職に就いたり、学部新設と共にその学部の教授に据わる等の動きを見ていると、どうやら彼は、このような、大学の専門学校化の如き方針に大きい発言権を持っているという船橋君の読みは、あながち誤りではないのではないかと読めないでしょうか。
安倍氏は籠池・加計両氏のコネを使って政界以外にも自分の椅子を用意しようとしましたが、安倍氏より賢い竹中氏は、攻撃しにくい隠れ蓑としての見た目の正当性を維持しながら、自分の椅子の形もグローバリズム経済に見合うように変形させてそこに座ろうとしていると考えることも出来るでしょう。
慶応では周りもつわもので相対的に彼の声の力は全学を動かすに及ばず、三流大学こそ彼の発言力で、少子化の時代に大量に専門学校生的学生確保の受け皿(ドル箱)を作ることが出来るととにらんだと推察するのは必ずしも的を外してはいないのではないでしょうか。
しかも、中堅大学とは言え、日東駒専の看板は、専門学校の看板より、国の補助を引き出すにせよ、制度的永続性の面でも盤石なのです。大学の要職の椅子は、恐らく私企業の要職の椅子に比べ、政変にあっても盤石なのです。パソナの椅子は、市民から人気のない法律が変われば、消えてなくなります。
名無
学内の教員の多くが黙りを決め込んでいるのは、かまちゃん(鎌田)の言うとおりで、かつ、そこは攻撃しにくさの将棋的な偽装として機能していると、読めば、そこを突いた教員はまんまと学外に放り出されるわけです。
つまり、この意見も語ればまんまと嵌まるところではあるわけです。
では、我々はこんな米の資本の追随者とどうやってたたかえばいいのか?
事は簡単ではありません。
大学で国際経済を学ぶのなら、グローバリズムとどう闘うかを論じられる先生がいいのですが、これまでの趨勢として、ノーベル経済学賞も、弱きを食い物にする理論の構築者に与えられてきた経緯もあり、世界は今まさに帝国主義の天下となっているわけです。
コストコ、岡田家、パソナ…… 文化の片鱗も無いこの世界。東洋大は、正にイオンとコストコの挟み撃ちに遭っている地元商店のようになって、哲学を放棄しようとしているわけです。
そこのところは、かまちゃんが百田氏を例にした考え方と同じですね。竹中氏は、授業もグローバリズム方向でないとは考えにくい訳です。
おれの言い方がややこしく、かまちゃんの視点とおれの視点の同じところ違うところが混濁してしまいましたね。ちょっと違うと書いたのは、竹中氏の 授業内容の如何に関わらず 彼がそのポストにおさまったことの是非を語った違いですが、その他に関しては、偽装と言う戦術の下にあるもの、同学の教授陣が手を挙げにくいことに関しては大筋で一致していますね。
偽装、意見を言いにくいあたかも筋が通っているかのような表層に関しては、グローバリズムの大鉈となっている自由主義にも認められるものです。彼らは単純な保護主義を勝手に対置させて、彼等への批判の矛先をへし折ろうと理論誘導するわけです。
2019.02.17