熊本市東区からの日記 40

写真/文・月ちゃん
構成・鎌田浩宮

2016年10月31日(月) 17:37

久しぶりに瑞鷹酒造へ!
瑞鷹酒造に酒粕を買いに行って来ました。
地震のあと報道でかなりひどい被害があったのは知っていたのですが、いつも行っていた事務所の建物は工事中で足場が組まれ、外からは見えなくなっていました。
事務所も移転していました。
製造の方はどうですかとお尋ねしたら、清酒は何とか製造ラインが復旧したけど焼酎のラインはまだまだです…とのこと。
数年単位になるようです。
少しでも元気になって欲しい、そう思いながら帰ってきました。
最後の写真はこの2月に撮った杉玉。
またこの杉玉に早く会えますように…

2016年11月1日(火)

10月31日、益城町の避難所が閉鎖されました。
こうしてまだ自宅に帰ることのできない方もいらっしゃいます。
娘さんは一緒に炊き出しのボランティアに参加してくださいました。
早くご自宅の修理が終わり帰れますように。
今日の熊本は今シーズン一番寒くなっています。

娘さんがずっとボランティアに参加してくださってね。
自宅の修理をお願いしてあるんだけど、職人がいない。
家の前まで水道が来ているのに、自宅のお風呂とトイレが壊れていて水道が引けないんだって。
一部損壊だと避難所に入れない~
弾力的に運用してくれないとこういう落とし穴に入ってしまうよね。
最後の最後まで行き先が決まっていなかったんだよね。
ボランティア最後の時もまだだだっていっていたんだよね。
ほんと、バタバタという感じを否めませんね。
まだ家に帰れない方がいらっしゃるのに…
このニュースをみて、ちょっとほっとした…

念願の自宅、あと一歩 益城の87歳、修理の完了待ち避難所から待機所へ

熊本県益城(ましき)町の総合体育館に設置されていた町最後の避難所が閉鎖された。同町寺迫の藤田光子さん(87)は、4カ月以上付き添った長女の福田文子さん(65)とそれぞれ体育館を後にした。大きく損壊した自宅は修理中で、しばらく待機所に身を寄せることになるが、藤田さんは「この半年、大変なことばかりだった。自宅に戻るまでもう少しの辛抱」と前を向く。【福岡賢正】

 藤田さんは4月14日夜、独り暮らしの自宅玄関で前震に襲われ、棚の下敷きになった。右肩を骨折し、ガラスが頭に刺さるなどの大けがをした。「このまま1人で死んでいく……」と思いながら気を失ったが、やがて意識が戻り、妹家族が住む隣家に大声で助けを求め、救出された。

 受難は続いた。入院した熊本市民病院が4月16日未明の本震で被災し、避難を余儀なくされた。「建物の外に寝かされた。寒くてブルブル震えとった」。転院先で2カ月余りリハビリに汗を流した。

 6月下旬に退院したが、地震前より右耳が聞こえにくくなり、右腕は上がらず、腰痛も抱える。エレベーターも階段の手すりもない町営住宅4階にある文子さん宅での生活は難しく、避難所に入った。文子さんは一緒に寝泊まりして世話をした。「壊れた家は約20年間、介護の仕事を続けた母が辛抱を重ねて建てた。早く戻りたい一心で母は頑張ってきた」と文子さん。

 ただ自宅の修理を依頼したが、業者には注文が殺到していた。瓦のふき替えだけ終わったが、壁はあちこちで崩れ、室内は水も出ない。仮設住宅に入居すれば、自宅修理で町の補助が受けられない。避難所閉鎖後の行き先を決めきれずに途方に暮れていたが、町が待機所を用意することになり、2人の気持ちもやっと定まった。

 体育館では熟睡できなかった藤田さんは「食器も割れ、何もかも買わんといかんから不安だらけ。でも屋根もきれいになったし、念願の家で早く暮らしたい」と自らを励ます。

毎日新聞2016年10月31日夕刊

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つづく・・・


2016.11.02