「原発事故と農の復興」を読んで

文・鎌田浩宮

この
4名の
パネルディスカッションと、
各人の
短い論文で
構成された書籍
「原発事故と農の復興 避難すれば、それですむのか?!

パネラーについて。
小出 裕章
1949年東京都生まれ。京都大学原子炉実験所助教。
数少ない反原発の学者として、原子力発電を止めるための研究を続けている。
著書に『原発事故後の日本を生きるということ』〔農文協〕
『原発はいらない』〔幻冬舎ルネッサンス〕ほか。

明峯 哲夫
1946年北海道生まれ。農業生物学研究室主宰。
著書に『都市の再生と農の力』〔学陽書房〕ほか。

中島 紀一
1947年埼玉県生まれ。茨城大学名誉教授。農学博士。
著書に『有機農業政策と農の再生』〔コモンズ〕ほか。

菅野 正寿
1958年福島県生まれ。福島県二本松市東和在住。有機農業者。
福島県有機農業ネットワーク代表
共著書に『放射能に克つ農の営み』〔コモンズ〕。

 

 

食は、
安全か。
避難しなくて、
いいのか。

 

原発事故以降、放射能の被害に関して、様々な情報が飛び交っている。
反原発の科学者でも、意見が食い違ったりする。
僕も一時期は、各県の農協のHPなどをくまなく読んだりして、正しい情報を得ようともがいたが、なかなか辿り着けなかった。

2013年3月11日に初版が発行されたこの書籍を、読んでいなかった。
ボンクラ極まりない。
だが、この本で討論されている事は、僕らが同時期に創った映画「鎌田浩宮 福島・相馬に行く」のテーマと、とても近かったのが驚きだった。
発行から2年以上たっても、その鮮度は変わらない。

類似点は、2つ。

●映画やニュースになり易い強制避難区域の住民ではなく、避難するほどの放射線量ではないとされた圧倒的多数の福島県民について語られている事。

●その県民の多数が農業に従事していて、それは生きがいであり、体外被曝を承知しつつ避難を選択せず、自分の生まれ育った場所に残り続けている選択をしている事。

そして僕らの映画の裏テーマである、被曝に対して選択の余地がない子供達を避難させるべきかどうかを、論じている事。

さらには、本当に福島の、そして日本の食は安全なのかにも言及している事。

残念なのは、漁業については語られていない事。
なので、近海で獲れる魚について安全かどうかは、記されていない。

本の冒頭からすぐに、討論は核心に入る。
小出さんは京大の放射線管理区域で、長年研究に努めていた。
そこでは、水も飲んではいけない。
出る時は、体や手や実験着の汚染度を調べてからでないといけない。
それは法律で定められているのだが、福島の広範囲はその区域よりも高い放射線数値なのだ。
法律に準じれば、福島の多くの区域が該当するのだから、直ちにそこを避難しなければならない。
当然そこで採れる農産物も食べられない、という小出さんの主張から始まる。

それに対し中島さんから、奇跡的にも福島産の農産物はきのこ類等を除き、限りなく0ベクレルに近いという検査結果が出ているという証言がされる。
小出さんは持論をさやに納め、次の論点に移る。

 

危険
かも知れないけれど、
逃げる
わけにはいかない、
という
選択。

 

それは、生きがいである農業を捨て、愛する故郷を捨て、避難などできないという主張だ。

この点については、僕らの映画でも重点を置いて描いている。
生きがいを取られ、住みたくもない狭い避難先や仮設住宅に強制移住させられた方が、かえって寿命など縮んでしまう。
それは、僕らがカメラを回し実感したものだった。

他の3人がそう主張する中、小出さんは「大人はそれでもいいかも知れない。しかし放射能の悪影響が大人より遙かに高く出てしまう子供は避難させなくていいのか」と訴える。

 

子供は
大人より
放射能の
影響で
死にやすい
のだが。

 

それに対し明峯さんは、県外の者からすると驚くかも知れない発言をする。

●親が原発と闘っているそばで、子供も共に闘わなくていいのか。

●子供だけ県外の物を食べさせようという意見には反対。そこで採れたものを食べるのが農家のあり方。

これも、実際に福島で共に暮らし、同じ釜の飯を食い、酒を酌み交わし、カメラを回したから分かった事だ。
何代も前から土を育て、家も畑も全て代々受け継いでいく。
子供がそれを継ぐのは、農業に従ずるのは、至極当たり前の事なのだ。

核家族化する以前の、大家族制が残っているというのもあるが、都会でも親の商売や工場を継いだりするわけだから、一概に「田舎」というくくりはできないだろう。

僕らがカメラに収めた杉本家のお父さんはリベラルな人なので、根底にはそういった思想を持ちつつも、子供にそれを強要はしなかった。
しかし、自分らが代々守ってきたこの家を1人息子が継ぐ事を、強く願っている。

これは、都会育ちの人には分からないだろう。
都会育ちの僕らが、そのように生きる必然もないと思う。
しかし、そのように生きる人を認めてほしいとも思うのだ。

小出さんは討論の最後も、子供の体外/体内被曝を防がねばならないと考えから、子供を守りながら農業を守れるか、疑問を訴える。

僕らの映画の結論も、この本のそれと同じなのだが、敢えて残る選択をした人々を、国は放置したままにせず、被曝しないよう全力を挙げるべきだ。

僕が、自分の家を捨ててよそへ避難しろと言われたら、拒否するだろう。
僕の家には、浪と暮らした17年半の思い出がある。
それは、他人には無価値でも、僕には代えがたいものなのだ。


2015.06.05