EPSTEIN TALKS ABOUT FUTENMA#29「知事選、終わった。」

先日行われた沖縄県知事選挙では、現職の仲井真候補(自民党県連、公明、みんなの党推薦)の当選という結果に終わりました。
投票率は60.88%。あらら、過去最低から2番目という圧倒的な低さでした。ヒジュルさん大正解。

これを受けて、エプスタインズ創刊当初からこの連載にて長期に渡り往復書簡を執筆して下さった、沖縄県石垣島在住のakeyboさんに、この選挙から見えてくるものというテーマで書き下ろしてもらいました。
予定では結果を受けて翌日の月曜には入稿してもらうはずでしたが、結果が結果だけに、akeyboさんも熟考を重ね、ようやく入稿!

akeyboさんの文をえらくシンプルにまとめてしまうと、
「仲井真-保守系が提示した平和も、伊波-革新系が提示した平和も、どちらも県民は受け入れなかった。どちらも拒絶してしまうのなら、新しい平和像を作り出すのか、拒絶してこれまで培ったものを全て破壊してしまうだけなのか」
という危機感を持った分析。
どちらに肩入れするわけでもなく、沖縄を含めた現在の世界を冷静に、かつユーモアも交えて書いてくれていますよ。

 

11/30(火) akeybo

■もし舟を持ってたら、賊になるかどうか真剣に悩むだろう■

県知事選、私やら懐は決して温かくないが、テレビを信じない層の方々が支持した伊波候補が接戦の末落ちてしまい、たのみの無党派の面々の出足が悪く当日の投票率が31%少々と、組織に有利な低投票率と出た頃から心の準備はできておりましたが、やはりやるせなく。中々筆が思うように運ばず、締め切りを超えてしまったことをまずお詫びさせて頂きます。

トボトボと夜の街、人生何度目かのマイブームであるところの横綱あられを買いにコンビニへ。帰り道、ふと思い立ってちょっと離れたところで9月から友人がはじめたレコード屋兼BARに寄って見たくなりました。昼間エアコンプレッサーで十二分空気を詰めた愛用自転車は、私の心と裏腹にすいすい進んで、降りてしまうのはちと勿体ない気分でもありました。

薄暗い店内に入りますと、果たして、グレートフルデッドの2ndアルバムがかかって居った訳です。ジェリーガルシアのチェンバロのようなギターソロ。ジェフベックのような疾走感とはまた趣を違えて、地平線の果てまで続く道を70キロぐらいでぼんやり走っている、そんなふわふわ綿飴のようなギター。

吸い寄せられるように止まり木に、横にまだ20代の市役所職員の友人がゆらゆらと。ありゃ、あんたも。。というわけでプチ残念会が始まってしまいました。

結局両候補ともに。普天間基地の県外移設を求めると公約してしまい、まあその積極性の違いは歴然とあるものの、決して基地移転が潰れたというわけではありません。

むしろ尖閣の問題、執筆時点も続いている韓国と朝鮮の砲撃戦に端を発した緊張、普天間基地県外移設が県の民意であることを広く意思表示できた事は、誇らしいぐらい。

しかし問題は普天間だけではありません。

あまり報道されていないと思いますけど、高江のヘリパット基地建設やらジュゴンの生息地である泡瀬干潟埋め立ての問題などが、双方に反対の立場を取った伊波氏が落選した事で、行政と対抗するかたちのままとなってしまったことなど。

沖縄への航空運賃の値下げ、八重山・与那国への客船航路の復活なども伊波氏は主張しており、決して「現実無視理念だけの人」ではない印象だったのですが。

どうも、支持団体の革新系某政党がいつもの利敵といって差し支えない様な選挙運動を展開したらしく、ネット以外では50代以下の層に強く訴える事ができなかった様です。

積極的なポストモダン的行動にでる人が負けた訳だから、先が見えないままですね。

そんなことを彼と話していました。

オリオンビール(県内移設に賛成している企業)の小瓶も2本目となり。燃費の悪い私にやっと訪れたほろ酔い加減も手伝って、二人とも大分気分が良くなってきました。

大分前向きな雰囲気になってきたところで、話は、彼が企画しているピースイベントの話に移りました。

彼は今回までいろいろ基地問題、平和問題を勉強し実際活動してみたりの体験から政治色のないイベントにしたいと言います。

君の平和の定義は?と聞いてみると、「国歌、団体の利益以前の人間の普通に平穏無事を願う気持ち」と言います。イベントではピースの笑顔だけ書かれた旗をステージいっぱいに掲げたいといいます。なるほど。そこで少し意地悪な質問を投げてみました。

「もし、協賛や支援の人達の中から、国旗も掲げてくれと言われたら、どうする?」

少し考えて、彼は。「それもありだと思います」と、
誤解をさけるべく書きますと、彼は私なんかより、もっと20世紀の左翼的な考えの人で、日の丸=戦争、イクナイ!の人なのです。
彼は反対の右翼的な人達に寛容であらねば、と思いそう答えたのでしょう。

「悪いけど、それだと間違いなく、イベントなんかやらなければ良かったという結果になる。」と私は言いました。
友人:「どうしてですか?」
私 :「君自身が定義した平和の定義に反するじゃない」
友人:「・・あ。そうか、個人ですよね、団体の象徴を掲げた時点で嘘になりますよね。。」
私 :「熱い理念話をフンフンと聞いたフリして、変な約束取り付けるのが沢山いるから注意しないとね」

なんて話してて、
ここで私は昨今の「時代の精神」の問題を感じてしまいました。

少々乱暴に言うと、我々は普段何か事を始めるに当たって、本やメディアから理屈を借りて使い回します。理屈の理解は大切ですが、実際のところちょろっと例題をクリアしたぐらいで、使い回しています。

様々な意見衝突のケースも、先人達が残した記録から対処法などを学び。。というと聞こえが良いですが、またこれも丸暗記か例題ちょろっという感じで。相手を見て、居丈高に卑屈に、ヘッドアレンジ位は加えて使い回しております。

そういう万人が引く理屈も、ちょっと前まではおおまかに2極考え方の大家がおり、現実には極端な理屈も含まれますが、社会と言う枠組みを逸脱する事なく、まあ折り合い見つけたらほぼ解がでるという信用があったんだと思います。

沖縄の問題に還ると、それは基地を容認する立場と否定する立場で、前者は自民党さん達が引いて来ているライブラリーを、後者は旧社会党やら共産党やらが引いてくるライブラリーを使い回していた訳です。

で「平和」ですが、これも万人が抱く願望とは捉えつつ、理想とする社会の平安が「平和」という風に説かれていたわけです。自由社会の平和と社会主義社会の平和という風に。

ところが今我々は、社会主義への夢はソビエトロシアの崩壊と共に去り、911、アフガン・イラク、そしてリーマンショックと自由主義の未来像に強い不信と不安を感じ始めています。

沖縄にとって宗主である、日本やアメリカが青息吐息。
中国は確かに勢いありますが、どうにも不安定。どこか薬物中毒者の様な病的な元気。いつ崩壊してもおかしくない印象。

社会という保険があてにならなくなるこの現状の中で、人間の原理原則がむき出しとなってしまった。

すると次に立ち現れてくるのは、他者と寄り添い許しあう共存共栄論、個々が武装し他者と極力依存関係を作らないよう努める戦国時代、の2極でしょう。

これは社会を建て直すのか諦め崩壊に導くかの方向性の違いとも言えるでしょう。
平和と聞いて、のどかな農村漁村を思い浮かべるか。地平線まで続く無言の廃墟を思い浮かべるか。

このようなことを考えているうちに、私はただの一歩も恐ろしく踏み出す事が出来ない程に怯えて参りました。

私等が生きて来た時代は、社会契約の中であり、破壊はごくごく一部に一時的にしか現れないものでした。

これからは何をするにも、ざっくり半分、破壊的かつ排他的な何かと膝つき合わせて生きていかねばならない。
焦土を経験した沖縄の場合は、特に「またそういう時代に戻る」と。

アメリカーにしろヤマトにしろ、統治者が社会基盤を作って来た、その社会に属する事で少しは味わえた平安が、今統治者の側が崩れ去っていこうとしている、これからどうしたらいいんだ?そこが本当の意味での争点であったのです。

沖縄の常識、中国と闘って勝てる訳もない。
だからといって中国に帰属など冗談じゃない。
ネット右翼の方々は沖縄に来てみて、人と交わって、
目を白黒させてるんじゃないかな、はは。

しかし、自由主義も社会主義もおよそ社会を構築する理論を否定して、体感、直感に立脚して、今回沖縄の59%の人達は平和を求めたのです。
1%の人達は戦いを求めました。
4割位の人達は全く判断ができなく立ち止まった。

誰もが「終わり」を予感している結果だとすると。
今って、自分が思ってたより更に深刻かも知れない。

これからは1%の人達が発する絶望に、個々が答えを持たねばならない。
社会は助けてくれはしない。

村に住みますか?夜盗になりますか?

そういう時代が本当に来るのかな、と。


2010.12.01