第二十一話「メンチカツ」

文・鎌田浩宮

繁華街の片隅の小さな食堂。営業時間は夜の十二時から朝の七時頃まで。人呼んで「深夜食堂」。メニューは豚汁定食にビール、酒、焼酎、それだけ。あとは勝手に注文すれば、できるものならマスター(小林薫)が出してくれる。今夜も、小寿々(綾田俊樹)や忠さん(不破万作)たち、お馴染みの面々が、めしやで話に花を咲かせている。
ある日の夜、8年前に夫を亡くした歌手のかしまみさお(美保純)が、ひさしぶりに店にやってきた。夫の大好きだったマスターのメンチカツを食べたみさおは泣き崩れる。仕事上でもパートナーだった夫が作詞作曲した「何も言わないで」は、今でもみさおの代表曲として人の心に残っている。しかし、夫の死後みさおは人前で歌うことができず、家に籠っていたのだった。
そんな中、常連客である料理評論家の戸山(岩松了)の妻、清子(渡辺真起子)が入院する。病床の妻の願いは、みさおの「何も言わないで」を聴くことだった。妻のため、戸山はみさおにもう一度歌ってもらいたいと懇願する。
(公式サイトより抜粋)

 

COOL JAPAN
と違う
世界へ。

 

第3シリーズ、あるかもなと思ってたら、本当に実現。
しかも今回は、映画化の話まで。

おめでとう!

こうした良質なドラマが陽の目を浴びるのは、第1シリーズから追いかけていた僕としては、嬉しい限り。
ただ、第2シリーズがあまり良質ではなかったため、あの質での復活は困る、とも思っていました。

そして、いつもと変わらぬ、線路の高架下をくぐるカットから、始まる。
次第にその思いが強くなるんだけれど、その光量といい、このカットから眺める新宿は、SFの世界のようだ。
ますます、ブレードランナーの色合いが増していっている。

第2シリーズから時間は経ち、世界中から「kawaii japan」「cool japan」と言って、日本の繁華街が持てはやされるようになった。
どこへ行っても、海外の観光客で一杯だ。
皆、昔の日本人観光客のようにカメラを手から離さず、楽しそうに歩いている。
有名ミュージシャンのPVが、新宿や渋谷や難波や心斎橋で、撮られるようになった。
ヘイ!
その食べ物の放射能は、気にならないのかい?

それはさておき、僕や、読者の皆さんの心の中の新宿は、ここには、ない。
そう、あの「めしや」のある、もう数十年と変わらない風景の、一端に、ある。
だって僕の生活は、数十年前と、変わっちゃあいないんだもの。
相変わらず、景気に左右されないほどひもじくって、好きな映画や音楽は子供の頃から変わらなくって、家に飾られている大切な写真も、昔のままさ。

ただ…。
本当を言うと、311から、この国は、この街は、変わってしまったのだが。

第2シリーズでは、そこを描こうとした野心作も、あった。
第十五話「缶詰」や、第十七話「白菜漬け」が、そうだった。
第3シリーズでは、何が変わり、何が変わらずのままでいてくれるんだろう?

 

あなたには
「1人」が
いるかい?

 

さて、第3シリーズの最初の話は
「みたび赤いウインナー」
かな?と思っていたんだけれど、歌ものでスタートを切った。
歌もので号泣を誘った傑作は、言わずもがな、第二話「猫まんま」だ。

テレビで煙草を吸うカットは、ひどい勢いで自粛されている。
でも、このドラマでは、マスターが横顔で、煙草を吹かしている。
いいなあ、いいなあ。
あれもこれも駄目じゃ、窮屈でかなわねえよ。

誰に向かって、歌うのか。
それが、この回のテーマだった。

僕もちっとも売れない音楽家をやっていて、お客さんが数十人も集まれば大成功、心からありがたい、そんなライヴを演っている。
間違ったっても、CDは1万枚も売れないし、武道館を埋め尽くすことは、できゃしない。
そうなると、多くの音楽家は目標を見失いがちになるんだけれど、僕と、この回の主人公・かしまみさお(美保純)は、違う。
1人が喜んでくれさえすれば、いい。

僕の場合は極端で、ある特定の1人のために創った曲を、皆の前で歌うことが多い。
その人さえ喜んでくれればいい、と願いながら。
でも、その歌は、かしまみさおの歌のように、皆が喜んでくれるのだ。
本当さ。
本当なんだよ。

みさおは、その1人を、見失った。
こんな悲しいことって、あるだろうか?
歌ってあげたい人が、いないのだ。

こういう人の、心根は、元から素晴らしい。
何万枚売れようが、知ったこっちゃあねえんだ。
1人が喜んでくれれば、それで、幸せだったのさ。
それが、亡き夫の、泰ちゃんだったんだ。

でも、今の彼女は違う。
泰ちゃんともう1人、深夜食堂に集う戸山(岩松了)の妻(渡辺真起子)がいるのだ。
そして、彼女は、無数の「妻」まで見つけてしまった。
それは、店の外で耳をそばだてている人だかりの「1人1人」でさえも、見つけてしまったのかも知れない。
僕にとって、彼女にとって、それはマス(大衆)では、ない。
「1人1人」なのだ。

そんなアーティストは、芸術家は、人間は、幸せである。
これを読んでくれているあなたも、そんな「1人」がいればいいね。
その人のために、生きているんだ…。




2014.11.04