弐千弐拾壱年乃御挨拶似候

 

 

正月だっていうのにライターだっていうのに、ちったぁマシなこと書けねえのかよと言われないよう、今年もにゃーっと書くど!

2020年のこの欄「新年御挨拶」にて、隠居宣言をしました。それからというものの町を歩くと、このおばあちゃんは昔スチュワーデスで世界を飛び回ってたんじゃないか、このおじいちゃんは敏腕営業マンで企業を闊歩してたんじゃないか、そんなことを推理するようになりました。

当たり前なんですが、そう遠くない昔、彼らは若者だったんです。流行り言葉を使い、流行り歌を歌い、流行りの服を着て、流行りの生活を営んでいたんです。背が縮み、腰が曲がり、禿げ上がるだなんて、予想もしていなかったんです。

一方こちらも隠居なので、特別な事はしません。夕方からつまみを作り、夜6時から広島東洋カープの試合を観つつ、酒をなめる。朝起きて、布団を干し、新聞を読み、ラジコで地方のラジオを聴いて、ストーブに鍋をかけ、煮干しを入れて、だしをとる。

老いも若きも皆早く仕事を辞め、隠居すればいいのに。俺は、待ってるぞ。やすらぎの郷は、すぐそこにあるぞ。

だのに2020年、舌の根も乾かぬうちに、地元の飲食店を支援するクラウドファンディングを始め、三軒茶屋駅前・NTT内に計画されている高層マンション建設へツッコミを入れ、東京朝鮮第六幼初級学校に本などの寄贈をさせていただき、隠居せず世間にしゃしゃり出て、とんちきな行動ばかりしでかす始末。

何か支援できたらと、その渦の中に分け入っていったんです。だから、隠居じゃなくなっちゃいました。似非隠居です。

ただ、ゲームセットを終えてしまったという考えは、変わっていません。2018年から2019年にかけて、同い年の友人が2人旅立った。であれば、僕のジンセーもゲームセット、試合終了と考えた方がいい。何かがきっかけで、死んでもおかしくない年齢なんです。

やり残したことはないとかあるとかの問題ではなく、やり残したまま死ぬ。しかし死ねないので、やり残したまま爺になる。ただし、よせばいいのに時たま社会参加をする。しかもゲームセットと言いながら、どうせあと30年生きるんだろう。そしたら80歳超えだ。

同い年の友人が亡くなり、死とジンセーについて、馬鹿な頭で考えることになりました。さらにはエプスタ随筆大賞で読者賞第2位となった「首から上の世界は…」に、とっても共感しました。死に近づく人の実際と、周りにいる人はどう在るべきかを、示唆してくれました。

確かこの記事で興味を持ったんですが、音楽療法士・佐藤由美子さんの本を読んでいます。

「戦争の歌がきこえる」は適確に、新自由主義経済と扇動政治家の行き詰まりを捉えていました。そこで、もっと音楽と医療の関わりを知りたくなり「ラスト・ソング―人生の最期に聴く音楽」を読みました。こうなりゃもう全部読んでしまいたい。現在「死に逝く人は何を想うのか 遺される家族にできること」を読み、死そのものについて教えてもらっています。

最期。横たわったまま、体や顔の動きもない。ただし、やや呼吸は乱れていて均一ではない。そこへ佐藤さんが、その人が好きだった曲を、アイリッシュハープやギターで演奏する(歌詞がある場合は歌う)。すると、呼吸の乱れがなくなる。なだらかになる。人によっては、笑みを浮かべる。そして数時間後、安らかに逝く。

聴覚はまだ機能していて、音楽を認識しているんですね。目は閉じておるし、言葉も発しないけれど、起きているんです。(だもんで、ひそひそ声で悪口話してたら聞こえてるど!)

もうすぐ死ぬ(とかなんとか言いながら80歳超え)ことを前提とし、どのように死ぬと楽しいか、楽なのかかを考えるわけなんですが、これは同時に、死ぬまでの生をどう過ごせば楽しいか、楽なのかかを考えるわけなんですね。

これは、人によってはスピリチュアルな方角へ及んでしまったり、新興宗教へダッシュしてしまったりなのでしょうが、佐藤由美子さんの本は、そういうことではありません。僕も、そっちに行くつもりは、ゼロ(ここで松浦真也さんのギター入る)。

 

 

ということで、いかに楽しく生きるか、楽になるか。そんなことを去年より余計に考えてみようと思います。その1つが先日の「エプスタ随筆大賞」だったりもします。

時には、グループを作ったり、徒党を組んだりした方が、楽しい場合もあります。普段僕らは個であり、政府から分断され、個であれと強要されることもありますが、悩みを打ち明けられる仲間はいいものです。誹謗中傷を受けても、その風の当たりが分散されます。死や生が楽になる手段の1つです。思えば、クラウドファンディングも仲間作りに有効な手段でした。ありがたいことに、思わぬ支援者と出会えたのでした。

自分自身はこんな暮らしぶりですが、世の中は生涯で最悪です。こんな暮らしをするために52年間税金納めて生きてきたんじゃねえぞと、現政権に腹が立つんです。政府が私利私欲に走らず、ニュージーランドや台湾のように誠実であれば、野宿者も自殺者も、これほど増えないはずです。自分のことは自分でなんとかしろ、個のまま自助しろと、強要されないからです。

ウェブマガジン改めブログ・エプスタインズ非代表取締役社長・鎌田浩宮



2021.01.01