応募作品#9 首から上の世界は…

編集・鎌田浩宮

 

ブログのくせに長めの事業でこざかしい
エプスタインズ創刊10周年記念特別事業
「エプスタ随筆大賞」
終盤に差し掛かりました。
SMAPも小林幸子も美川憲一も北島三郎も和田アキ子も
出終わって
大好きな綾瀬はるかさんがダメ押しで嚙み倒して
孤独のグルメはどうなったんだチャンネル変えよか変えまいか
そんな時分になりました。
そろそろ、さよならです。

 

 

題:首から上の世界は…
著:梨乃
テーマ:耄碌と恍惚

 

 ∮       §       ∮       §       ∮

 

「ちょっと、梨乃ちゃん
“ハンケチ”と”バッグ”とって。」

ハンケチとバッグを渡すと、祖母はバッグからファンデーションと口紅を取り出し、鏡に向かってファンデーションを塗りたくる。
祖母は鏡がよく見えていないので、ファンデーションはまだらで浮いて層ができ、口紅ははみ出ていた。
ちょいとホラーだ…

でも、その表情を鏡越しに見ると、うっとりと、そして満足気な祖母がいた。
(やっぱりホラー!)

ある日から「籠の鳥」となった祖母。
籠の鳥になった祖母の唯一の楽しみは
私たち家族が会いに行き、近所のマックまで祖母を散歩に連れて行くこと。

せいぜい1時間、週に2回の。

(籠、と敢えて言いたい。
祖父が亡くなってから90歳までの20年を気ままにひとり生きてきた祖母からしたら、籠なんだもの。籠に入れたのは私たちなんだけれど。)

ハンケチとバッグのやりとりは、散歩の前の祖母の高揚なのだ。
そしてこのやりとりは私でなくても、娘である叔母や嫁である私の母が行っても、同じように毎週毎週繰り返されていたことで
そして叔母も母も、その時間がかなり苦痛なようだった。
毎週、毎月、何年も。

なぜなら、現実の祖母はというと
首から下は…歩けないしトイレも自力でできない、
服は常に食べこぼしで汚れて侘しい状態だった。

籠の鳥の日々は、一日が非常に長い。曜日の感覚も失う。
起きて着替えて、寝るときにまた着替えるなんてことは普通のことだし、
生活のリズムを作るものではないか。
籠では、もちろん最初はやってくれていたことが多かったが、
どこの籠もそうなのだろう、人手が足りなくなっていく。
元気いっぱいに話しかけてくれていた人が1ヶ月後には目も合わさないくらい疲弊している。
家族に代わり下のお世話を毎日してくださっている、
そんな中で強く言えないこともたくさんあった。

でも、、汚れたら着替える、寝る前に着替えることさえしてもらえないなんて。
汚れていたらこちらで着替えさせていたが、
洗濯物を増やしてしまうし、着替えてもまたすぐ汚してしまう。

「お散歩を優先するならパジャマには着替えさせられません。」
この言葉の衝撃は大きかった。
(介護は点数の範囲なので、こんなことが起きるようだ)

元来祖母はとてもマメで綺麗好き、人一倍気位も高く、
ズボンやリュックを嫌い、フレアスカートとバッグにこだわり
床にも座らず、当然ごゴロ寝でテレビなんてことも一度もしたことない。
いつも籐のソファーに座りNHK-FM のクラシックを聴いていた姿が焼き付いている。
わたしゃ毎日酔っ払って床に寝っ転がってお笑いなんぞみてガハガハしているけど…

まだらなファンデーションと、はみ出た口紅に満足気な祖母が
トイレに行きたいと言うので連れて行く。
すると「やっぱり出ないからいいわ。」
と言うので、ズボンを履かせていると粗相をする。
(そう、籠に入るにあたり、あれほど拒否して履かなかったズボンの生活になった。)

粗相をしている真っ只中なのに
「ねえ、私の髪の毛ボサボサじゃないかしら?鏡ちょうだい。」

オイオイ、あんた今何が起きてるかご存知ないかい?と言いたくなる。
こちらは汗だくで粗相の処理しているのに。
なんてシュールなんだ…

祖母はなぜだか、常に首から下の出来事は他人事なのだった。

「私家に帰れるわよ。一人でできるから。」
歩けないのに、トイレに一人で行かれないのに?
散歩先のマックで「じゃあここで失礼するわ。」
どうやって一人で帰るの?!

祖母の首から上の世界は
今、目の前の鏡に映る自分の顔
今、目の前の見えるもの
その一瞬と、
遠い遠い過去の記憶
で構成されていた。

現実の自分、、首から下は
祖母にとっては、「ない世界」なのだった。

叔母や母のストレスはここからきていた。
現実を見ない、受け入れていない祖母に憎しみすら覚えていた。

おばあちゃん、ボケちゃったわね…
お漏らしをしているのに口紅をつけたがり、髪の毛の乱れを気にしているその姿を、ボケとして受け入れるしかなかった。
でも私は、これは生きる力なのではないかと思った。
いや、そうするしかないというのか。
下を向いて現実を見たら、生きていくことが辛くなっちゃうから…

ある日
祖母が鏡に向かって無心で口紅を塗っている姿を見た時に
ふと私の子ども時代の記憶が蘇った。

子どもの頃
母や祖母がお化粧をしている姿を見ると、なんともいえない幸福感、恍惚感に包まれた。
それは祖母がわたしの髪の毛を結んでくれている時の吐息にも感じたし
アイロンをかけてくれたり靴を磨いている姿にも。
年下の従兄弟が一生懸命絵を描いてる時の鼻息にも
猫が日向ぼっこをしてゴロンゴロンしている時にもぼんやり恍惚を感じた。

あれはなんなんだろう?

気持ちよくて、心地よくて。
人が集中している吐息に、なぜ自分が恍惚になるのかさっぱりわからない。
わたしってヘン?!
あまり人には言えないことだ…

そんなことを思い出していると、
祖母が
「梨乃ちゃん、わたし髪の毛ボサボサでしょう?ブラシとってくれない?」

正直いうと、ブラシでとかしてもあんまり意味ない髪型になっていたが
祖母は昔から人一倍髪の毛が乱れるのを気にしていた人だったので
「そうね、ちょっととかした方がいいね。」
と言って、とかしても変わらない髪の毛をひたすらとかす。

ふと見た鏡には、恍惚とした祖母がいた。

そして…わたしも。

人から見たら、祖母のそれは耄碌というのかもしれない。
実際、老いは耄碌することなんだろう。

でも、祖母を見ていたら、それは恍惚と表裏一体のよう思えた。

あのお婆さん、ずいぶんと耄碌しちゃったね!

あのお婆さん、ずいぶんと恍惚しちゃったね!?

いずれ自分も首から上の世界に
浸る時が来るのかもしれない。。

その時には、
「梨乃ちゃん、ずいぶんと恍惚しちゃったね!」
って言ってくださいね。

 

 

ブログ・エプスタインズ創刊10周年記念特別事業
エプスタ随筆大賞
応募締切:2020年10月11日(日)
ジャンル:随筆
形式:Microsoft Word または googleドキュメント
   ペンで紙に書いて、または点字などの郵送も歓迎です
枚数:制限なし
テーマ:以下の6つの中から選び、応募下さい。
   ・お楽しみはこれからだ
   ・おれは悪くない
   ・三等同僚
   ・死ぬのは奴らだ
   ・ビッグトゥモロウ
   ・耄碌と恍惚
賞品/賞金:後日発表
賞一覧:・大賞
    ・投票による読者賞
    ・裸の大賞
    ・若大賞
    ・青大賞
    ・のんき大賞
    ・Mr.BOO!ギャンブル大賞
審査員:高橋紅(くれない)
    高橋基(もとい)
    スズキスキー
発表:2020年10月吉日
応募先:info@epstein-s.net @を半角に変換して送信して下さい
郵送は〒154-0024 東京都世田谷区三軒茶屋2-20-13-410 鎌田浩宮まで

 

関連記事 併せてお読み下さいね。
募集・エプスタ随筆大賞
エプスタ随筆大賞のしほり
エプスタ随筆大将のしほり
エプスタ随筆対象のしほり
審査員決定・エプスタ随筆大賞
応募作品#1 老人と笑み
応募作品#2 我が家の困った習慣変わるかなあ
応募作品#3 自転車泥棒
応募作品#4 ヴィラ・コーポ笹野101号室について
応募作品#5 我が家の家電製品
応募作品#6 昭和四十五年九月十七日木曜日 火山、川、犬、人のことなど
応募作品#7 江戸Σ
応募作品#8 ミラノの奇蹟
賞品決定・エプスタ随筆大賞
読者賞発表・エプスタ随筆大賞


2020.10.15