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対談 名無シー・鎌田浩宮 続編
映画評論家・名無シーと語る、
映画「マラソン・マン」。
話は、佳境へ。
職業もプライベートも、充実できるのか。
評価基準の外にある、この映画の価値とは。
鎌田浩宮
お疲れ様です。 別の角度から映画の話を続けても良いでしょうか?
去年の今頃からクランクインしたんですが、彼のマラソンを追うようになった理由の1つは、公私ともに充実させようとする彼に感銘を受けたからです。 僕は、映画や音楽で身を立てるんだ、それらを通して世の中へ発信していく、ややもすれば世の中を変えていくと若い時から公言していました。
しかし、彼は真面目に就職し、日々の業務を遂行していくことで、世の中を改善しています。破天荒をやみくもに好む僕は、あまりに具現化したものが少ないと思いました。
ビックリハウス・イノリンさん(深沢涼子)との対談でも、和夫は小市民であり、描くほどの人物ではないとありました。これは僕の描写力不足はあるのですが、彼自身は魅力に足る人物だと思うんです。
名無シー
内容が内容だけに、映画に止まらず、何時纏まるか分からない気がします。できる限り短くしたいと思いますが。
こう言った内容になってくると、例えば、数箇月後に亡くなる事になるさる縁故のある人に、ある哲科出身者が様々な質問を受けた日の事も思い出します。
名無シー
個人的にはその亡くなった方とと、その方も知人であったご遺族の方の気持ちに照らして他言すべきではない気もしますが、我々は無力でも、成果が認められなくても誠実でなければならないとも思った出来事としておもいだしました。
誠実というのは、哲学が到達したものについてでしょうか、それとも、別の誠実さがあるのか、その事を考えざるを得なかったのです。
われわれは、仕事がどうのと言う事の他に、もっと、究極的な生活の場にも生きていて、かまちゃんが東北や熊本に寄り添おうとしたときのエプスタの記事はそんな感じでした。
組織の理論のように半分以上不本意ながらも遂行はせざるを得ないなどと言うことのない、一挙手一投足誠実でなければならない場合の事です。
職業はそうではない。職業の成果は、不純物も多く、そうではないと自分に言い聞かせようとすれば、ある種の麻痺も始まります。
我々のような人間は、必ずしも成果を気にするべきでなく、或いは寧ろ成果を気にするべきではないともおもいます。
鎌田浩宮
そもそも、自分の希望に近い仕事にありつけること自体が少ないんですよね。しかもその仕事が、社会と接点のある仕事であることはさらに少ないわけです。
鎌田浩宮
和夫ちゃんのような人は少ないんですよね。多くの人は食っていくために、希望していない仕事に就く。 そうすると、貴殿が書いて下さったように、仕事以外の場で何をするか?僕と東北・熊本の事を言って下さってとっても嬉しいのですが、僕と社会との数少ない接点です。
どの場所にいても、誠実でいられるかどうか。確かにそれこそが肝心で、それをできない人は、僕を含めとても多い。
名無シー
太田さんの葬儀の際、長年の親友という大学の先生が、我々若輩に向けたともとれる感じで、太田さん生前の考え方として紹介した言葉を思い出すんですが、誰かを信頼できるかどうかは、その人の仕事の選び方を見れば分かると言うものでした。
説明無しに投げかけられた言葉なので、どうにでも解釈出来そうなところもありましたが、職業倫理原理主義という感じもしました。我々哲学科の学生のようにそもそも世界観の外に視座を持っている人間にはそのまま賛成できるほど汎用性がある見方ではないと思ったものです。
カントの弟子で最もラジカルだったザロモン・マイモンは乞食で不遇の内に生を終えたようですが、それでも、彼の考え方は、人知れず現代を牽引したんです。あの宮沢賢治も文芸の面では、生前はほんの一部の人にしか知られていませんでした。
名無シー
また、性風俗に従事する女性に少なくない割合で、軽度の知的障害を有する方々が働かされていると言う報告もあります。弱みに付け入られて不本意な職で働かされている彼女たちは、信頼できない人達でしょうか?
鎌田浩宮
僕が日々助けられ、慰められる友人は、さまざまな職に就いています。橋ちゃん然り、タカツカさんはシステムエンジニア、大友君は学校の先生、山中清紫郎は宅配便のドライバー…。
皆さんの職業がどうであれ、僕にはなくてはならない人です。 一方、先日の上映にも来てくれましたが、障がいを持つ従兄弟もおります。彼は弟との仲がうまくいかず、三軒茶屋に引っ越してきました。障がい者だからといって聖人なわけではなく、彼は韓国・朝鮮・中国の方への差別を平気で話します。そんな彼であっても、僕には可愛い従兄弟なんですね。
名無シー
職業、ライフワーク、どちらに於いても、達成の度合、人に与えた影響力だけではないものも、恐らくあり、それとは別に、愛すべき人柄と言うものもまたあると私も思います。映画のあり方も、評価も、これまでの評価基準の外にあるものが沢山あってよいと思います。
奇しくも日本唯一のシネマテーク 国立近代美術館フィルムアーカイヴで、そういう特集が先日まで上映していたはずです。
鎌田浩宮
評価基準の外、っていいですね。例えば「華氏119」は、映画としてのクオリティーは、これまでの彼の作品より低い気もするんですが、でも、いまこの映画を評価しないでどうする!と思います。
「あまねき旋律」も、起承転結のない映画だし、掘り下げの少ない映画とされてしまう恐れもあるんですが、そんな事であの映画の価値を貶めないでほしい。いい映画でした。
「あまねき旋律」、見に行こうと思っている内に終わってしまったあるあるでした。歌だけのことでなくて、弾圧を受けた歴史的述懐、あれはちゃんと見たかった。日本でも明治から大正期民俗芸能や修験道など民衆文化は弾圧を受けて壊されたものが多いですね。
名無シー
あ、あと、映画表現の話ですが、インタヴィウ映像ということで思い出すのは、ジャ・ジャンクーの「四川のうた」の前半のインタヴィウ映像です。語りのテンポや間合いを映像の切り貼りで見せたりしていて、本当に素晴らしいです。後半の役者さんの演技パートは、前半に拮抗できないずば抜けた良さです。
鎌田浩宮
なるほど。 では、今回の僕の映画を、評価基準の外にあるもので計ってみると、何があるでしょうか?
名無シー
それは、やっぱりプライベートな部分になると思います。これって、先程の「信頼」とも関わるんですが、現代社会で生きる我々の考える信頼と言うものは、どこか貨幣に成り下がっているところがあると思います。信頼は、何時何時迄に仕事を仕上げてくるとか、そう言う種類のことに限りなく近づいているような気がしますが、それは、どこか物々交換=売買に似たものだと。
でも、そうではない信頼というものも、いや、もう皆それを信頼とは言わないかも知れないですが、
鎌田浩宮
今回の映画は、彼への贈り物です。0円です。
名無シー
ともにいたり、語ったり、互いにもの凄く見えにくい…… 。
鎌田浩宮
交換に彼から得ようとするものがない。笑ってしまうほどに。
名無シー
それです。
鎌田浩宮
ありがとうございます!
名無シー
凄くプライベートというのは、送る先がその人なんです。
鎌田浩宮
ですね。
名無シー
貨幣や労働みたいに、誰にでもじゃない。
鎌田浩宮
「モナーク三軒茶屋410」という映画が出発点だと思うのですが、ちゃぶ台から宇宙へ、という言葉を忘れないようにしています。
和夫・生音・陽志がこの映画を観る、その事を忘れずにいました。そのついで…ついでと言っては申し訳ないのですが、ついでに他の観客がいるのです。
3人への贈り物を、強制的に観させられる。
名無シー
面白い。貨幣じゃないので、皆はなかなか入れないかも知れないけれど、このプライベートなあり方は凄く面白いと思いました。
鎌田浩宮
うわあ、ここに辿り着いたこの会話、嬉しいです。
名無シー
贈り物贈る場に、仲間がいるのは自然だとも思います。正に、見えないものが見えてきて楽しいですね。
鎌田浩宮
です。
名無シー
これはしばらく噛みしめられそうだし、どこかに繋がって行きそう。
鎌田浩宮
僕も、そうしてみます。
2018.12.09