日本人の忘れもの つづきのつづきっ

文・名無シー/鎌田浩宮
写真・映像/鎌田浩宮

 

コロナウイルスの影響で
ようやく全国ロードショウとなった
ドキュメンタリー映画がありまして。

戦争が終わって75年もの間
こんなに知らないことだらけ
知らないことが山盛りすぎて
驚いてしまう映画です。

ラーメン二郎の「マシマシ」で例えると
野菜のマシマシが巨大すぎて
麺にたどり着く前に死んじゃうぞ
ってな感じでして。

上映日も残り少ないのであるが
ぜひご覧下さいね。
連載、第3回です。

 

 

日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人

監督 小原浩靖
企画・製作 河合弘之
撮影 はやしまこと
ナレーション 加賀美幸子
音楽 吉野裕司
主題歌 甲田益也子

出演
赤星ハツエ 新垣イノセンシアユニコ イネス・マリャリ
岩尾ホセフィナ 加藤マサオ 加藤ヤエコ カワカミ・ピエダ
オオシタ・フリオ 川上ホセフィナ 重富フアニタ 副島マサエ
高良アントニオ 照屋光子 寺岡カルロス トマサ・ヘラルデス
メルビン・スワレス 山本アンヘリータ 矢島美津子
池田澄江 佐藤陽子 佐藤勇吉 高野宮子
福安芹江 森実一喜 矢嶋克子 三上貴世
大久保真紀 安原幸彦 小野寺利孝 望月賢司 大野俊
アナ・マリー・フランコ エミー・ビリョネス
猪俣典弘 石井恭子 高野敏子 田近陽子
ほか

公式HPはこちらです

 

 

被写体が企画・製作者であること

 


ドキュメンタリーの傑作、原一男監督「ゆきゆきて神軍」にしても森達也監督「A」にしても、撮られる対象と製作者は別になります。しかし、双方は共犯者の関係になったり、時には立腹し合ったり、適切な距離を保ち、客観性を持ち得たりだったりします。

しかしこの映画は、被写体である河合弁護士が、製作者でもあります。映画を武器にして、現実を変えていこうとするものです。

なので、日本政府の描き方にしても、攻撃し批判まくるというものではありません。河合さんにとっては、今後も交渉の相手です。時には緩め、時には駆け引きし、成果を引き出さねばなりません。


これは自撮りではありません等と偽っていなければ、自撮りはドキュメンタリー映画の要件を損ねるものではないと思います。見ていても、言ってみればNPOの活動に撮影隊を伴っている感はあります。


「自撮り」の場合、河合さんや猪俣さんを批評的に映すことは難しくなるかも知れないんですが、その辺りは成功していると思っています。


確かに。特に、編集は援護的、批判的な操作が可能な部分ですが、それも封殺されますね。この活動で、批判されるべき点はどの辺りにあると思いますか?様々なレベル、斬り方で考えてみた場合、どうでしょう。排外主義的なショートした視点というより、もっと別の見方があるかも知れません。


批判されるべき点は、思い浮かびません。ただですね、先日監督と猪俣さんとお会いした時に、秘話をたくさん聞かせていただいたんです。ああ、そりゃあ映画には挿入しない、カットするよなあ、といった話です。こうしたエピソードの数々は、第三者が監督だった場合、被写体に配慮せず、躊躇せずカットせずに挿入したかも知れませんね。

あと、撮影の日程・スケジュールや予算も、企画・製作者が握っています。もし続編があるのなら、2世や3世の方々のフィリピンでの生活ぶりを、拝見したいなあと思いました。ロケや渡航費にとてもお金ががかるので、大変だとは思うんですが…。

 

 

映画は何に支配されているか

 


一般的なドキュメンタリーは、記録した映像が支配者になります。なので、カット割りは凡庸になります。ハサミを入れることが悪とされ、なるべく凡庸であることが良しとされることさえあります。

なので、後から加える音楽は、ピアノの独奏や、チェロの無伴奏ソロだったりで、リズムやテンポを刻む音楽ではないんです。

しかしこの映画は、カットが変わると、AメロからBメロに移行することがあります。映像芸術の楽しみが、そこにあります。記録された映像にハサミを入れ、テンポやリズムを生み出そうとします。演奏にはマリンバが使われていたりして、チェロの独奏といった情緒的なものから解放されています。

この作業を進めていくとマイケル・ムーア的な作品にもなります。僕自身は彼の映画も大好きなんですが、そこへの言及は敢えてしません。

とにかく、映画を支配するもの、特に記録映画で最優先されるものは、その映像のみであるべきなのか?


個人的にはドキュメンタリー映画に音楽を求めていないので、見るときに音楽を排除して観ようとする傾向があります。そこは少し、私の見方は歪みがあります。


それもよく分かります。ただ、釈迦に説法ですが、何をどうしようと主観が入り込んでしまうのが、ドキュメンタリー映画の宿命です。であれば、そこへ音楽という主観がどう添えられるか、僕は楽しんでいます。

僕が不満なのは、事実が刻まれた映像を、なるべくカットせず、カット割りもせずといった「素材至上主義」です。そんなことをし続ければ、24時間回しっ放しにした映像を観続けるべきだという主張になりかねません。

したがって被写体を撮った映像は、どうしたって切り刻まなければなりません。その行為は、主観なしにはできないものですよね。であれば、マイケル・ムーアのような作品も好きなわけです。

 

 

宇宙系/渡来系

 


話を映画のテーマに関わる近代国民国家の所に戻すと、欧米からナショナリズムを輸入しようとした近代国民国家 日本 の前の分断はどうでしょう。


日本の歴史のことを言うと、そもそも、我々日本列島に住んでいた人間と、自ら宇宙から来たと公言する外来征服者と言う真っ二つの要素があります。宇宙から宮崎県の山間部に垂直移動してきた征服側は、地元先住民の抵抗に遭い、一旦は関西に移動し、その当時までに水平移動で西日本に侵入していた勢力と共に宮崎県民を痛めつけに戻る。


おお。やはりその話に行きますか。


四国の北部で見つかる、鉄器で殺害された大量の縄文人骨もそれを物語っています。そこで重要なのは人の移動という以上に戦争の思想の伝播です。


神話・宗教・戦争。


その後、ツチクモ(関東の在地民)、塾蝦夷、荒戎と、何故侵攻を受けるか分からないまま戦争に巻き込まれる形で戦火の輪が広がって行き、搾取と非搾取の関係が築かれて行くわけです。

熊襲、隼人、琉球、アイヌ等も長い歴史の中で同様に脅しを受けながら、支配下に置かれて行きますが、支配側は巨大化し、宇宙の方々に代わり、その利権に与する地上の人々が虎の威を借りて横行したわけです。

国内の不統一の根源は、そもそも最初にあったわけです。そんな中でも、日本にもアイデンティティの芽生えは中世からありました。例えば『今昔物語集』は、それを体現する説話集です。

 

パンフレットを購入した観客へ、即席サイン会。ポレポレでの封切初日。

 


一方、隋…当時の中国との関係はどんな感じでしたっけ?


正に、その中国との関係が、『今昔物語集』に意識としての部分が見えてきます。


大和朝廷の初期は、あまりにも巨大な隋に対し、服従的な立場を取っていませんでしたっけ?


国際関係では、宇宙&渡来系の支配層は遣隋使・遣唐使を送り、ひたすら中国に学びます。


そうですよね。割と内弁慶だったりします。現在の、日本とアメリカとの関係とおんなじだわ。


そもそも、律令国家は漢字の使用も、中央集権体制もそうですが、大概中国の真似です。


そうでした。忘れがち!そうすると、大和朝廷のアイデンティティーは、当時揺らいでしまっていたのかな?いや、単なるいい加減なアイデンティティーに終始していたのか。被支配者に対しては、神様である。しかし、巨大な隣国に対しては、神様ではない。


大和朝廷はそもそも宇宙と渡来系(宇宙も渡来系)ですので、アイデンティティに揺らぎはなく、寧ろ、被支配民との間の軋轢だけではないでしょうか。

 

 

空海と蝦夷

 


そんな歴史の中で、沢山の人が関わるので一筋縄でない事も沢山あります。例えば弘法大師空海、彼は佐伯氏の出身で、自分は蝦夷征伐の雄の子孫と信じていました。

しかし、日本書紀には残念なことに、佐伯氏は蝦夷、とモロに記録されています。蝦夷を支配する過程で、宇宙軍は各地の有力者を分散させるために、蝦夷を西日本各地に配流し、蝦夷郷なる村を沢山作ります。

蝦夷郷の蝦夷は、言葉が通じないなど苦労がありながらも、持ち前のリーダーシップを発揮してその土地の有力者になる氏族も現れます。佐伯氏はそんな蝦夷でした。

しかし、その子孫の空海は、辺境民差別意識丸出しのエリートとなり、国費留学、インドから中国へ輸入されていた仏法を学び尽くして帰国、国策宗教真言宗の開祖になるのです。

佐伯氏も有力者になる過程で、蝦夷の出自を隠さなければ、周辺の人々から侮蔑的に扱われたのかも知れません。

そんな空海の教えが、変形しつつもお遍路さんをもてなす地域の真心と結びついたり、東北各地に残る空海行脚伝説となって人々の心の支えになっているのは皮肉という感じもします。

 

 

今昔物語集

 


話は前後しますが、今昔物語集では、中国との関係はどのようにあがかれているんですか?


今昔物語集は、天竺編、震旦編、本朝編からなります。骨となっているのは仏教説話です。成立は平安時代末。戦争の主体は宇宙軍ではなく、宇宙軍からの下知を取り付けた源氏などの、軍事集団になっています。彼等は盛んに蝦夷の地を落とそうと、三十八年戦争の時とは違う陰湿な攻撃を続けています。


そう。武士は軍事集団です。


攻撃を受けていた俘囚(実質蝦夷ですが、呼ばれ方が変わっていました)の安倍氏は、丁度国家の境界を体現する集団でした。朝廷からすると、彼等の根拠地の北側は北海道から満州まで、茫漠としたよく分からない場所です。

詰まり、その当時は岩手県の辺りで、日本がその輪郭をぼんやり怪しく滲ませているわけです。その安倍氏の二男、鳥海三郎宗任と言う人が、今昔物語集の本朝編の最後の方に出て来ます。

今昔物語集は、中国で翻訳されたインドの仏教説話(天竺編)と、中国の仏教説話(震旦編)が、順に並んでいますが、そこには中国から見た憧れの地天竺という、憧憬の眼差しが先ずあります。

そしてそれらの説話を日本で語ることで、外への意識を、メタ的に自分達に引き合わせている意識があります。

その、日本人のアイデンティティ形成期に於ける辺境の人 鳥海三郎宗任が語るのは、源氏の攻撃が余りにも陰湿でしつこいので、安倍氏の人々が、巨大船を建造して一族で、沿海州方面と思われる場所に移住しようとする話なのです。


沿海州は、ロシアの東の果てですね。ウラジオストクのあるところです。


この話は詰まり、蝦夷からすると、天竺、震旦、本朝、蝦夷と言うアイデンティティ意識の連鎖の果てにあります。彼等はそこで、日本を離れるか、日本に帰るかというアイデンティティの葛藤に苛まれ、最後に日本に帰って源氏に皆殺しにあうのでした。

唯一人活かされた宗任は、九州の太宰府に流されて、その巨大船の話をして、それが今昔物語集に収録されます。彼等は日本の人であろうとしたために、皆殺しとなるわけです。日本と言うアイデンティティの初期には、そんな事もあるわけです。

話変わって安倍氏の船の話ですが、昔は荒唐無稽と捉えられがちでしたが、ここ数十年の発掘調査で、安倍氏からその末裔の奥州藤原氏の一門安東氏までの港だった十三湊や、青森市近郊の嘗ての船着き場から、大量の宋銭や青磁器が出て、東北の蝦夷が京都に断り無く勝手に大陸と交易していた事が分かってきていて、彼等が満州北部へ行った今昔物語の記載がどうやらいい加減な話では無さそうだという証左が集まって来ています。

また、太宰府に配流された鳥海三郎宗任の郎党の子孫は松浦党と言って、倭寇でした。彼等にとって国境は越えるためにあったようです。

 

 

この特集、続きます。
こちらをご覧下さいね…。

 


2020.09.03