読売新聞長野県版に掲載されました

年明け早々1月3日(日)、
読売新聞長野県版に、
ココトラ代表・一井正樹、
掲載されちゃいました。

遂に、犯罪に、走ったか。

 

37面の地域面です。
おいおい、すげえじゃねえか、紙面の1/4を占め、いっちーの姿もばっちり写真入り。

信州シネマ街道②
人生救った「男はつらいよ」
「寅さん会館」再開へ奔走

 頭に手ぬぐい、法被に足袋姿。観光人力車を引く一井正樹さん(35)が、軽やかに城下町・小諸を駆け抜ける。
小諸城址の懐古園や小諸宿など見所も多いこの街で、一井さんの最もお気に入りの場所が「渥美清こもろ寅さん会館」だった。
トランク片手に全国を旅するフーテンの寅さんは、第40作「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」(1988年)で小諸市に現れた。寅さんと同様、この地を気に入った渥美清さんが撮影用衣装や小道具などを地元の友人に託し、95年、会館がオープンした。
 全国のファンでにぎわっていたが、今は入り口が閉ざされている。2012年、財政難により休館した。
 一井さんは、この寅さんの“聖地”を復活させようと、観光客や市民に呼びかけ、署名を集めた。
 渥美さんと会ったことや縁があるわけではない。ただ、寅さんに人生を救われた。その恩がある。

 岩手県出身の一井さんは、東京都内の大学を卒業した09年、御代田町の農業生産法人で働き始めた。だが、職場では自身の無力を思い知らされた。頼まれた仕事をきちんとできず、上司にしかられてばかり。やがて、出勤することもできなくなった。
 ある日、気分転換に立ち寄ったレンタルビデオ店で「男はつらいよ 幸福の青い鳥」を偶然手にとった。見てみると、寅さんは家族にも言いたい放題、旅先では初対面の人に声を掛ける。「生き方を理解されなくても平気」な寅さんの自由な姿にひき付けられた。
 「自分は大した人間じゃない。でも、それでいい」。全48作を見終わる頃には、解放された気分になった。

 自由さにあこがれて5年前、人力車の仕事に就いた。観光コースを新設し、寅さん会館を入れた。そこは、渥美さんのプライベート写真や少し丸まった文字の直筆はがきなど、宝の山だった。
 休館は悔しかった。ファン仲間と結成した「ココトラ(いつもココロに寅さんを♪)」の代表として、署名活動など再開に向けた活動の中心となった。現在、建物は市に寄贈され、今年夏にも再開できる道筋が整いつつある。その時はココトラが運営を委託される予定だ。
 「寅さんの姿には、追い詰められた若者も救われるんじゃあないかと。私がその証明です」
 畳みかけるように話す姿が、寅さんと重なった。「最近、発言が似てきたって、仲間に言われるんです」という。
 それが少しうれしい。

■渥美清こもろ寅さん会館 

 小諸市内で電気工事会社を営んでいた井出勢可(せいか)さんが、渥美清さんからゆかりの品を受けとり、自身のコレクションとともに展示した。2人は共通の知人を通して知り合い、渥美さんは井出さんを「小諸のお父さん」と呼んで慕っていたという。2012年に井出さんが亡くなると、休館した。


2016.01.03