二番館へ走れ:第7回 『復讐 UTU』

 映画祭で上映されてそれっきりという映画は珍しくない。この映画もそんな一本。八十七年の東京国際映画祭の一部門としてあったアジア・太平洋秀作映画祭で上映されたきりである。なので二番館で見ることは不可能、ビデオかDVDを探すこと。僕も会場だったシネセゾン渋谷で一度見ただけ、細部の記憶は飛んでしまっている。

utu

 恥ずかしいことに今回調べるまで知らなかったのだが史実で、ニュージーランドで一八六〇年代にあった先住民マオリ族と植民者、はっきり言えば侵略者である英国人との戦争を題材にしている映画である。しかし映画はその発端となった男の行動を中心に描いていて、戦争という規模にまでなっていたとは気づいていなかった。むしろ僕は各国にあるヴァージョン違いの西部劇と思って見ていた。前回紹介した『レモネイド・ジョー』と同じ文脈で捉えていた訳ね。

時代劇、も西部劇の影響を大きくこうむったジャンルだし、ハリウッドで西部劇が全盛だったころに映画が産業として成立していた国では大体ヴァージョン違いの西部劇が製作されているんじゃないかと思うくらいだけど、調べた上での発言ではないので鵜呑みにしないように。

考えてみれば西部劇というのは軽武装の戦争映画、とまで言ってしまうと語弊があるが、戦争映画とは限りなく近接したジャンルである。試しにレンタル屋の棚で西部劇のコーナーを見てみればいい。時代背景や状況設定が南北戦争や対メキシコ戦争の作品がやたら多いことに気づくはずだ。時代が古いから戦車や飛行機が出てこないだけでやってることはおんなじだったのだ。

utu3

 英軍に入っていたマオリの男がある日自宅に帰ってみると、英軍に家族を皆殺しにされていた。男は居合わせた英軍の白人たちを即射殺、部族の呪術師に顔中に刺青を入れてもらい英軍への復讐を開始する。男の復讐は英国人たちの更なる復讐への道を開いてしまう。このあたりの英国人復讐者たちが次々と武装をエスカレートさせながら復讐行に繰り出すところは滑稽ですらあって、僕は劇場で声を上げて笑ってしまった。

 復讐の連鎖の地獄巡りは映画でよく描かれる題材である。しかしかつてはある種の爽快感を持って描かれていたが、九・一一以降は復讐という行為の不毛さを、報復に連鎖をどう断ち切るのかを描こうとする映画が増えていると思う。この傾向は時代劇にまで波及し、いまや忠臣蔵ですらこのテーマで作られるようになってしまった。『花よりもなほ』は変化球でこれをやった傑作だが、脱線するときりが無いのでやめとく。

『復讐』もそういったテーマの映画ではあるが、製作は八十三年。当たり前なんだけど九・一一の遥か前から報復をどうやって止めるのかについて考えてきた人々は大勢いるのだ。九・一一は帝国主義本国で起きたから同じ帝国主義本国である先進国同士で危機意識を共有しているだけだ。足下を見てみろ、僕たちは何の上に立っている?

utu2
 

映画では最後に男は英軍に捕らわれる。裁判はなかった。男は、英軍に残っていた実の兄によって殺されるのだ。兄は部隊の仲間と弟に語りかける。「誰かが殺されればその家族が復讐に立ち上がる。この男は大勢の人を殺したから大勢の人々から狙われている。この男を殺せば残された家族が復讐に立ち上がるだろう。でももうそんなことはたくさんだ。誰も立ち上がらせないために、兄である私が弟を殺そう。」

 僕の中ではこの年のベスト三に入っている。今でも、復讐についての映画というと真っ先に思い出すのはこれと『復讐者に憐れみを』だし、ニュージーランドの映画と言われて思い浮かぶのはこれだ。  

 戦闘的ゴジラ主義者
   

2010.12.17