二番館へ走れ:第6回 『レモネイド・ジョー』

吉祥寺のジャブ50という本当に客席が五十あるのかも確認できない(なにせ座席はパイプいすとソファーだったからね)かわいらしい映画館で公開した当時、とあるミニコミに映画評を書いたことがあるが、そんなことは書いた本人すらろくに覚えていないのでかまいやしない、書いてしまえ。もう十五年以上前、九十三年の話だ。パンフレットがワープロ印刷の紙をホチキスでとめただけという潔いものだったことも印象深い。スタッフ・キャストの紹介もろくにない主演俳優の写真ばかりのスカスカなパンフよりよほど好感がもてるというものだ。

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 六十四年チェコスロバキア製作の白黒、しかしミュージカル仕立ての西部劇。こう書いただけで何事かと腰を浮かすような事態だが、現物は妄想を上回った。二階が娼館の酒場ではピアノにあわせて理由なく殴り合いが行われ(ピアノが止まると殴りあいも止まるのだ)、主人公は歌いながら登場する。荒くれ者ばかりの西部から酒害を追放しようと立ち回るレモネイド・ジョーの大活躍、しかし実は彼はレモネイドを万病に効くと売り歩くセールスマン。当然コメディーである。

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 監督オルドッリチ・リプスキー(最近はオルドジフと表記されることが多い。こっちの方が原音に近いのかな?)の作品でこの国で劇場公開されているのはこれと『アデラ/ニック・カーター プラハの対決』のみ。僕は八七年か八八年に今は亡き東京国際ファンタスティック映画祭で『カルパテ城の謎』を見た。人を喰った展開、シュールな美術、とぼけたユーモアに場内爆笑、社会主義国でこんなふざけた映画が作られていることにびっくり、それがこの国ではまったく知られていないことにも驚いた。監督本数は結構あるようなのでもっと紹介されるかと思っていたが、その後の劇場公開は『レモネイド・ジョー』だけ、『アデラ』は翌年だったかに開催された東欧ファンタスティック映画祭でみている。わざわざ東欧ファンタスティック映画祭なんてものをやるくらいだからそれなりに反応はあったんだろうと思うが、オルドリッチ・リプスキーの作品はビデオが数本出たきり、僕も未見の、そもそもレンタル屋の棚に並んでいるの自体見たことがないものばかり。ああ、もったいない。

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 『カルパテ城の謎』を上映したころの東京ファンタは世界中のいろんな映画をやっていて実におもしろかった。ラウス・フォン・トリアーを最初に紹介したのもここだし『エル・トポ』や『デッドゾーン』を劇場公開につなげたのもここだった。同じチェコのヤン・シュワンクマイエルを紹介したのも、アンジェイ・ズラウスキーの未完の大作『シルバー・グローブ』を上映したのもここだった。映画を見ることをお祭り騒ぎにしたことへの批判はあるのだろうが、ここでの上映がなければ見る機会がなかった映画がいかに多かったことか。それに『ロボコップ』をあんなに楽しんで見たのはここだけだ。『二番館へ走れ』とタイトルをつけてはいるが最早都内でも二番館はなく、というかそもそも二番館とは何かから説明しなければこれを読んでいる人の半分は分からないだろう。見逃した映画や再見したい映画を追いかける手は今ではDVDやネットになっていて、劇場で見る機会はほぼなくなっている。僕も二番館は知らない世代だが、映画は映画館で見るのが最上の出会いだと信じ込んでいるので劇場で見逃した作品をDVD等で見ることは、他の映画好きに比べればかなり少ない。『レモネイド・ジョー』は数年前、リプスキーの監督作品のDVDが数本発売され(残念ながら未見のものは含まれていなかった)、そのイベント上映で再見した。DVD発売のための上映とはなんとも倒錯した感じだが、そんな機会しかないのだから仕方ない。やっぱり笑いころげた。

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 映画はでたらめな展開を経て、とんでもないラストへとなだれ込む。見た者の間では語り草になっているその結末は、オリジナルの『エヴァ』最終回や『ホーリー・マウンテン』のラスト並みの衝撃だ。物語を放棄して「これは虚構だ」と観客を挑発するパターンではないものの(『ホーリー・マウンテン』ではクライマックスで「これは映画だ」と監督演ずる主人公が叫ぶ!)、ふつうならそれをすればすべてがぶち壊しになる展開、現に怒り出す人もいたりするのだが、僕はこの映画にはふさわしい結末だと思う。

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戦闘的ゴジラ主義者

 

 

 

2010.12.04