渥美清こもろ寅さん会館にて「男はつらいよ・寅次郎子守歌」35㎜フィルム上映

文・鎌田浩宮
動画撮影・鎌田浩宮
写真・大島智子/鎌田浩宮

Tora with women.

 

浅間山が
噴火レベル2
でも

関係ない。
今月も、
小諸に
行くのだ。

噴火で
帰って
来られなかったら、

よろしくな。

 

 

朝5時半、起床。
少し、寝坊だ。
7時過ぎに家を出て、
11時に小諸へ到着。

 

小諸という土地は、晴れている日が多いそうだ。
梅雨入りしても、とってもいい天気。
初夏の新緑が素晴らしい。
この独特の若草色というものを、人は時々目にしていないと、目も心も荒れてしまうんじゃないだろうか。
心が、和らぐ。

ただ、まだ紫陽花は咲いていない。
東京は、もう満開だけれど。
小諸の紫陽花も、美しいんだよ。

小諸と東京が、明らかに違う。
それは、道を歩いている人の表情だ。
東京を歩いている人は、何か緊張している、怒っている、イライラしているようだ。
小諸を歩いている人…実はそんなに人とすれ違わない時もあるんだけれど、彼らはゆっくり歩いている。

僕が東京を歩いていると、なんと女性にさえ追い越されてしまう。
なんで僕はこんなにのろいんだ?
デブだからか?
サラリーマンじゃないからか?

そういえばサラリーマンをしていた頃、上司から
「キャマダはいつも笑っている表情をしている。何がそんなにおかしいんだ?」
とよく言われた。
なんで僕は表情がユルいんだ?
デブだからか?
気が触れちまっているのか?

 

寅次郎
と、
寅治郎。
寅が、
2人。

 

一方その頃、先月も来てくれた植木寅治郎さん率いる、茨城・栃木の寅さんファン軍団「寅さんの心を伝える会」。
なんと、朝3時起床。
5時半に家を出て、6時半に集合場所着。そこから皆でマイクロバスに乗り、昼2時半小諸着。
その数、すげえぞ、16名。

そう、またもや馬鹿が戦車(タンク)でやって来たのだ。
おかえりなさい!

もちのろん、ここでの馬鹿は最上級の褒め言葉だ。
Bad, Worse, Baddest ってなもんだ。
Baddestっていうのは、Bestの意味のスラングよ。

今日はその他にも、お馴染みの娯楽映画研究家・佐藤利明さん。

もう1人の寅さんそっくり芸人・野口寅次郎さん。
寅さん以外にも持ちネタをいっぱい持っていて、昭和天皇のモノマネ、面白かったあ。

そして2度目のご登場、元統一劇場・今村純二さん。

もう、あっちからこっちから全国各地から、戦車だらけなのだ。

統一劇場は以前にも説明した通り、70年前後にあった劇団。
敢えて過疎の村々を廻り、その土地の青年団などを巻き込み集客させ、その土地の若者の活性化を促しつつ芝居を催すという劇団で、そのやり方に惚れこんだ山田洋次監督が、今回上映の「寅次郎子守歌」に出演させ、その翌年に監督した「同胞(はらから)」(1975年公開)という映画では、遂に統一劇場そのものをモデルにして作品を創ってしまったのだ。

その今村さんを今回のオープニングゲストに迎え、あれこれ当時の話などをお話ししてもらおうとしたのだが、この方、自身の宣伝に繋がるような事は、一切はぐらかすんである。
それよりも皆さんと一緒に歌を歌いましょうと、前回同様アコーディオンと歌詞の書かれた模造紙を持って来て下さり、皆で「男はつらいよ」の大合唱。

コミュニティテレビこもろにて放送された、
去年のドカンショの中継を上映しながら話す、いっちー。

小諸
の、
奇祭。

 

その後は、ココトラ代表・轟屋いっちーこと一井正樹による、小諸の夏祭り「ドカンショ」へ一緒に参加しませんか、のお誘いトーク。
この祭り、僕は秘かにかなりの奇祭だと思って疑わない。
水木一郎の歌う「小諸ドカンショ」という3分ほどの曲をなんと90分途切れなくかけ続け(中間に15分の休憩あり)、会社、地域の同好会やスポーツチームなど100もあろうかというグループが、街中を歩き続け踊り続けるのだ。
90分っていったら、あれだぞ、サッカーの試合だぞ。
僕も去年参加したのだが、持久力が全くもたない。
たった1曲のエンドレス、小諸市民は飽きないのか?
加えて小諸は坂の町、上り坂のきつさ。
一体どこのどいつがこんな祭りを生み出したのだ。
極度の疲労に、逃げ出さず頑張るど!

まだまだ、オープニングトークは続く。
今年下半期の上映会のポスターが完成したので、そのお披露目なのだ。
デザインは、シリーズ第7作「奮闘篇」のマドンナ役・榊原るみさんの姪っ子、榊原菜穂子さんによるもの。

 

覗きに
来る
人々。

 

映画が始まり、やっと休憩が取れ、外に出て一息ついていると、この日はなんと通りがかりの方から、「寅さん会館は今どうなっているんですか?」と尋ねられた。
しかも、2組もだ。
1組は埼玉から。
もう1組は東京の多摩から。
1組の方は寅さんファンで、ロケ地巡りもしているそうだった。
もう1組の方からは美味しいお蕎麦屋さんも尋ねられた。
ああ、なんか僕ら、町おこし、してるなあ。

とにもかくにも、朝の3時に起き出して笑顔でやって来て下さるお客様を、心からありがたく思い、感謝しなければならない。
来春の渥美清こもろ寅さん会館再オープンを前にして、もう全国各地から人々が集っている。

 

朝3時
の、
情景。

 

正直に書くと、今、僕らココトラの中心メンバーは再オープンの準備で、七転八倒、てんてこ舞い、失神失禁、泡をも吹きそうである。
でも、朝3時の情景を、きっと渥美さんは空の上から見て、微笑んでいるだろう。
さあ、踏ん張っていこう!

寅さん会館、来春再開へ 長野、ファンの手で

俳優渥美清さんゆかりの品を展示する「渥美清こもろ寅さん会館」(長野県小諸市)が、来春にも運営を再開する見通しになった。映画「男はつらいよ」の衣装、秘蔵写真、小道具など約1700点を所蔵していたが、2012年10月に館長が死去。経営難もあり、2年以上休館していた。

 会館は1995年にオープン。地元で電気工事会社を営んでいた井出勢可(せいか)さんが館長を務めた。井出さんは75年、コメディアン関敬六さんの紹介で渥美さんと知り合った。同い年の2人はすぐに意気投合。渥美さんは井出さんを「小諸のお父さん」と呼び、一緒に旅行するほど親しくなった。

 第40作「寅次郎サラダ記念日」(88年)の舞台にもなった小諸。ある時、「お父さん、撮影所までトラックで来て」と言われ、駆けつけると大量の段ボール箱。渥美さんの賞状やトロフィー、写真などが入っていた。渥美さんは、井出さんの一人息子(55)に脳性まひの障害があることを気にかけていた。「会館があれば息子さんが働ける場所ができる」と周囲に話していたという。すでにがんに侵されていた渥美さんは会館オープンの翌96年8月、68歳で亡くなった。

 2013年、運営会社は解散。展示品は建物ごと市に寄贈された。寅さんファンでつくるボランティア団体「いつもココロに寅さんを」が今春、無償で会館を借りる権利を得た。

 一井(いちい)正樹代表(34)は小諸で観光人力車を引いている。「寅さんに、勇気と希望をもらった」と話す。松竹の元社員で、寅さんの衣装の担当だった本間邦仁さん(67)も「守っていかないとね」。正式な契約を年内に市と交わし、来春の再開を目指す。

 (編集委員・小泉信一)

 ■ほっとした

 <山田洋次監督の話> 小諸は、渥美清さんがこよなく愛した地です。寅さんファンにとっても、葛飾柴又とともに聖地です。再開できる見通しになり、ほっとしています。寅さんを知らない若い人も魅力を感じられるような、新しいタイプの施設をめざしてほしいですね。

2015年6月6日(土)朝日新聞夕刊社会面


2015.06.14