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続・無縁坂の尋ね人
文・M(ペンネーム)
構成・鎌田浩宮
時に、
いいことも、
する。
エプスタくんの、
人探し。
続編!
2014年5月15日に「無縁坂の尋ね人」というタイトルで、
鎌田が小中学生の頃通っていた三軒茶屋の学習塾・城南学習指導協会で
国語を教えていらした、太宰治を愛した素晴らしい恩師
船橋俊一(ふなはししゅんいち)先生
の消息を探している読者の方がいるとお伝えしましたが、
新たな読者から、またもやお便りが舞い込んできました!
新たな手掛かりとなるのか!
以下、お読み下さい。
初めてメール致します。Mと申します。
「無縁坂の尋ね人」を拝見致しました。
私は昭和50・51年の2年間、城南学習指導協会(通称「城南」塾)に小学5・6年の二年間通っていまして、その時船橋先生には大変お世話になりました。
夏休みに登山(三つ峠)に連れて行っていただいたり、また、授業の前に将棋をしたりと、通常の授業以外でもいろいろなことを教えていただきました。
「無縁坂」は記憶にありませんが、太宰治を愛していらっしゃったことは覚えています。
(私が大学生になってから船橋先生にお会いした際に、「こういう姿もあるんだよ」と、鍼の方の資格をタイトルにした、名刺も頂戴した記憶があるのですが、どこに行ってしまったのだろう…。)
北部進学セミナー(神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷2−7−17)を塾長として始められてから、私が大学4年の時に数カ月だけアルバイト講師をさせていただきました。
世間知らずのあまりいいアルバイト学生とは言えず、ご迷惑をおかけしてしまった面もあったかと思います。
今どうされているかはまったく存じあげませんが、可能であれば是非一度お会いして、お世話になったお礼を申し上げたい気持ちです。
船橋先生の授業を受けたのは小学校5-6年の2年間でしたが、卒業後も、何年かに一度、お会いさせていただいていました。
私が個人的なことを相談するようなことが多かったです。
一つ印象に残っておりますのは、大学一年の冬だったと思いますが、「学生時代に何をすべきか」というような本を片手に私が、自分が何をすべきかわからず焦っている、というような話を先生にすると、「何もしないのがいいんだよ。自分は学生のときはいつも死にたいと思っていた。」というようなお話をされました。
詩人でした。
北進で私がアルバイトをさせていただいたとき、同じように、大学生のアルバイトが数名居ました。
一人の方は名前も、博報堂に就職が決まったことも覚えているのですが、連絡先は分からず、ネットで名前を検索してもみつかりませんでした。
その方は長く北進でバイトをされいたようですので、もし連絡がつけば手がかりになるとは思うのですが。
城南で、船橋先生以外ででは、算数の小林先生に大変お世話になりました。
(お名前は確か、「徹」だったような…自信はありません)
年齢は船橋先生より少し上だったと思います。
長めの前髪を揺らしながら、生徒によく「だまらっしゃい!」(静かにしろ、の意)とおっしゃっていました。
船橋先生の、布団叩きを片手に、Gパン・Gジャンというラフなスタイルとは対照的に、茶色系のジャケットをいつも着ておられて、ちょっとダンディな感じの方でした。
鎌田様が通っていらっしゃった頃の城南は、世田谷通り沿いにありましたか?
私の知る限り、もともと城南塾は、茶沢通りをしばらく下ったところにありましたが、私が通い始める少し前に、世田谷通り沿いに移転しました。
当然まだキャロットタワーもなく、246沿いには日活の映画の大きな宣伝看板が掲げられ、また、五差路の正面には不二家のペコちゃんがいて、そして世田谷通りのアーケードの下には古本屋が何軒かある、そんな時代でした。
1990年代半ばに、偶然、栄通り商店街に城南が移転しているのを発見しました。
今はネットカフェになっています。
そのとき、授業の終わった生徒たちを送り出している小林先生と数分、立ち話させていただきました。
内容ははっきりとは覚えていないのですが、その時は小林先生が塾長をされていたと思います。
これが私と城南塾の接点の最後となりました。
歳のせいか、城南塾に通った当時が非常に懐かしく思い出されます。
何とか、手がかりを見つけたいです。
この映像、船橋先生が好きだった「無縁坂」という曲です。
船橋先生や小林先生、
城南や北進を少しでもご存じの方、
ぜひぜひ
info☆epstein-s.net
(☆を@に替えて下さいね)
ないしはこのエプスタの[contact]欄まで
お便り、待っております。
よろしくお願いします!