- 2020.02.13:好きな映画を仕事にして 第2回
- 2020.01.07:好きな映画を仕事にして 第1回
- 2017.11.28:パターソン
- 2017.03.16:わたしは、ダニエル・ブレイク
- 2017.03.04:沈黙
- 2017.02.25:この世界の片隅に
- 2016.07.27:団地
- 2016.04.18:恋人たち
- 2016.04.15:コミュニティテレビこもろにて放映
- 2016.04.13:渥美清こもろ寅さん会館にて「男はつらいよ・翔んでる寅次郎」35㎜フィルム上映
サブ・コンテンツ
- 2023.03.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑦
- 2023.03.04:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑥
- 2023.02.26:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑤
- 2023.02.25:[Radio] walkin’ to the beat everlasting④
- 2023.02.19:[Radio] walkin’ to the beat everlasting③
エプスタ編集長による『地獄でなぜ悪い』
写真/文・鎌田浩宮
「希望の国」
という
傑作
を
撮った
男
の
最新作。
すごい、ペース。
1年に、1本か。
去年の「希望の国」は、金子修介監督「青いソラ白い雲」と並び、去年断トツでべスト1だったことは、エプスタのこちらで書いた。
映画芸術が「希望の国」を、ワースト1に挙げてたっけ。
クソみたいな雑誌だ。
と言いながら僕は園監督の作品を、「希望の国」以外観ていなかったんです。
僕らが「明日も遊ぼうね」という自主映画を撮り、その作品がぴあフィルムフェスティバルのグランプリノミネートにまで残った大学生の頃、7歳年上の園は、ぴあスカラシップで「自転車吐息」を撮っていた。
彼の、「俺が俺が」の自意識過剰な作風が、なぜ受けるんだろう?
僕は、羨望の裏返しが悔しさとなり、自分と正反対の作風の彼の作品、頑として観てこなかったんだわあ。
今や、園教の1人になった僕。
観てきました、最新作「地獄でなぜ悪い」。
11月1日の映画の日。
新宿バルト9は、びっちし満席。
日本映画界、まだまだ大丈夫か。
ヤクザの組長・武藤(國村隼)は獄中にいる妻・しずえ(友近)の夢を叶えるために、本業そっちのけで娘・ミツコ(二階堂ふみ)を主演にした映画の製作を画策している。面会の度にしずえに対して、撮影は順調に進んでいると場を取り繕う武藤。しかし、肝心のミツコは男と逃亡中、そして、しずえの出所まではあと9日しかない。金に糸目をつけず、片っ端から撮影機材のレンタルをしながら、なんとか娘の身柄を確保した武藤は、ミツコから(実はすSQL Server 2008 R2 プロダクトキー
べて嘘なのだが)映画監督と紹介された駆け落ち男・公次(星野源)を監督に抜擢し、本格的に撮影準備を始める。映画監督として騙しながら映画を撮影しないと殺される公次は、右も左もわからぬまま、オールヤクザのスタッフの質問攻めに対応していくが、限界に達しその場を逃げ出してしまう。簡単に追っ手の組員に捕まってしまう公次であったが、そこに奇跡のような助っ人が現れる。それは「いつか一世一代の映画を撮りたい」と、少年期から映画監督を夢見る平田(長谷川博己)であった。映画の神様は自分を見捨てていなかったと、満を持して撮影内容の段取りを始める平田は、武藤と敵対するヤクザ組織の組長であり、過去の衝撃的な出会いからミツコに異様な愛情を抱く池上(堤真一)に協力を要請する。かくして、ホンモノのヤクザ抗争を舞台にした、スタッフ・キャストすべて命懸けの映画が、電光石火のごとくクランクインしようとしていた・・・。
(公式サイトよりあらすじ)
上記のあらすじ、別に読まなくて、いいです。
とにかく、めちゃくちゃなんです。
でも、園が実際に体験したエピソードも盛り込まれたストーリーなんです。
「シザーハンズ」「バットマン・リターンズ」などでハリウッドからうなぎ上りの評価を得たティム・バートンが、それを鬱陶しいと言わんばかりに「マーズ・アタック!」というZ級映画を創ったように、園もZ級映画を創りたくって仕方なかったんじゃないか。
あるインタビューでは
「『希望の国』を福島の人が観て、よくぞ描いてくれたと言ってもらえたが、その顔は悲しみの表情だった。今度は彼らが腹の底から笑える映画を創ろうと思った」
と言っているが、一般庶民がこんな血しぶき全開の映画観る訳ないだろ、しかもPG12じゃねえか、ガハハ。
僕は、そのインタビューを信じない。
プレ・
モダン。
ポスト・
クドカン。
スクリーンが、開いた。
映写室のハードディスクから、光が放たれる。
映画の、始まりだ。
それは既に、35㎜フィルムではなくとも。
1カット目から、途切れることなく、バカだ。
ガガガ歯磨き、か。
まだ、園の頭の中はガガガ、なのだ。
ガガガをパロディーにできる余裕を包容しつつ、ガガガは、生きている。
あと、音楽の音量がバカデカい。
爆音映画祭のようだ。
いくら観客が爆笑しても、かき消されてしまうほどだ。
今、映画もテレビも、クドカン的なものが蔓延していて、クドカンは真似され、パクられ、色々されている。
(僕はクドカンも大好きよ)
それとは違うベクトルの笑いが、園にはある。
一言で言うと、プレ・モダン、だろうか。
それは、ポスト・モダンに、なるのだろうか。
全く内容を覚えていなくて、完全に勘だけで書くのだが、どおくまんの「嗚呼!!花の応援団」(1975)とか、「ちゃんわちょんわ!」とか、そういったプレ・モダンの手触りを思いださせるのだ。
それは、ブルーハーツを聴いて育ったクドカンとは、違う。
同じ「ファック」という台詞を喋らせても、彼と園とは、違う。
疾走感1つ取っても、汗臭さ1つ取っても、ブルーハーツの前と後とでは、違うのだ。
いや、園も、ブルーハーツを聴いていたのかも知れない。
どおくまんなんぞ、読んだこともないかも知れない。
でも、その臭いを感じさせるし、それはクドカンにはない臭いだし、その臭いが、新たな笑いのベクトルへ進んでいる気がするのだ。
ただ、その新たなベクトルへのぶっちぎりぶりで言うと、もしかしたら映画よりも制約の多い中で撮られた、連続深夜ドラマ「みんな!エスパーだよ!」(2013年 テレビ東京系)の方が、振り切れているような気もする。
なんたって、パンティーチラ見まくりおっぱいもみしだきTENGA飛びまくりの連続の中で、高校生の純な青春も描きしかもSFというぶっ飛びようは、任侠という日本映画では古い題材をチョイスした今作よりも、斬新だったかも知れない。
ただ、「みんな!エスパーだよ!」での夏帆の輝きと、今作の二階堂ふみの輝きは、どちらも素晴らしい。
二階堂ふみ演ずる娘は、ヤンキーでも、ギャルでも、パンクスでもなく、何者にもカテゴライズされない「不良」だった。
殺陣も上手くて、驚いたぜ。
地獄でなぜ悪い
…そりゃあ
悪いよ!
園は、映画「丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる」を観て(そんなの観るなよ!)、天国は退屈だなと思ったそうだ。
地獄の方が、新宿の雑踏みたいで楽しそうだと思ったそうだ。
でも、もちろん僕は、死んで地獄へ行ってまでもエプスタインズを成功させたいとか創っている音楽や映画を成功させたいだなんて思ったこともない。
というか、地獄自体行きたくない。
でも、死んでも生き返り、あの世で映画を完成させ、あの世の映画館で上映後笑みを浮かべる主人公は、ティム・バートンが実在のZ級映画監督を描いた「エド・ウッド」の中で、上映中満面の笑みを浮かべるエド・ウッドのように、平安で満足気だ。
「死を賭けてでも、いい作品で俺を笑わせてみなよ」
園子温が、僕を挑発する。
僕は、実際に今、福島を舞台にした映画を創っている。
音楽も、エプスタも、やっている。
いや、もとい、日々ただ漠然と凡庸に、生きている。
それが、長く生きていくためのコツなのだ。
「お前も、ぴあフィルムフェスの頃は、狂気の顔をしてただろ。俺も、そうだったぞ」
園子温が、思い出させる。
「希望の国」が2012年の断トツ第1位だったように、今作が2013年の第1位では決して、ない。
他にいい映画は、山ほど、ある。
でも、Z級映画の最高峰として、今年のベストテンには入りそうだぞ。
<< 渥美清こもろ寅さん会館にて「男はつらいよ」35㎜フィルム上映会 『愛しのフリーダ』とジョージ・ハリスンの命日を偲ぶ >>
Column&Essay
