『愛しのフリーダ』とジョージ・ハリスンの命日を偲ぶ

写真/文・鎌田浩宮

George Harrison
1943.2.25 – 2001.11.29

ポールの日本公演が終わって虚脱状態、そしてジョージの命日を目前にした日の夜、僕が毎日心より愛聴している、関東ローカルのインターFMの番組「バラカン・モーニング」主催の試写会へ行ってきた。
「愛しのフリーダ」というドキュメンタリー映画。
こんな素敵な企画、ピーター・バラカンさん、ありがとうございます。

当時17歳の純朴な少女、フリーダ・ケリーはひょんなことから会社のお昼休みにキャバーン・クラブへ立ち寄り、そこでライヴをしていたビートルズの大ファンとなる。
そしてブライアン・エプスタインに請われ、彼とビートルズの秘書となり、ファンクラブの会長として管理も任される。
ビートルズの4人からは妹のように可愛がられ、11年間勤務した後は、周囲にそのことをほとんど明かすことなく今まで生きてきた。
しかし、まだ小さな孫に自分の生涯を伝えたいと思い、イ5ンタビューを受けることになる…。

今日は、2001年に旅立ったジョージの命日なので、彼とのエピソードを挙げますね。

ビートルズは人気が絶頂となり、オフィスをリヴァプールからロンドンへ移すことになるんだけど、フリーダは病弱な父に反対され、泣く泣くロンドン行きを諦め、エピー(エプスタインの愛称)に退職願さえ出す。
その時に、ファンから頼まれた沢山のサイン帳に、こっそり自分のそれも忍ばせ、いつものようにジョージへ渡す。
「フリーダ、これは『誰宛て』って書けばいいの?」
「そこは書かなくていいの」
これだけでジョージは全てを察するんだなあ。
「明日、他の3人の分も書かせて持ってくるよ」
翌日、そこにはフリーダへの永遠の友情を込めたメッセージ付きの、4人のサイン。

ジョージって、そういう人なんだなあ。
彼は解散後のソロで、慈愛をテーマにした曲を多く創るけれど、出発点、ここなんだ。

ちなみにジョージはたまにぶらりとファンクラブオフィスに訪れると、
「サインの依頼はたまっていない?いつでも書くよ」
と、フリーダに声をかけたそうだ。

あれだけビッグビジネスになってしまったビートルズと、これだけ家族的な関係を保てたのは、フリーダの純朴さと、無欲さと、忠誠心でしょう。
その忠誠心は、4人へ対しても、ファンへ対しても。

だから解散後、退職後は、一切その口を閉じた。
数億ポンドは下らないであろう写真や資料の宝の山も、皆ファンに無償であげてしまった。
今なお彼女はリヴァプールで別の会社に勤めているんだけど、彼女の過去を知る人はいないそうだ。
今回プロモーションで日本に来ていたんだけれど、それも「無給休暇」ですって。

彼女は、ビートルズで儲けようだなんて、これっぽっちもないんだ。
本の執筆依頼とかも、すべて断って来たそうだ。
バラカンさんが上映後のトークで話してくれたことを思い出す。
「彼女と会ったけれど、本当に普通の、気持ちのいい田舎のおばあちゃん」
って。

さて。
最後は、この前ポールも歌ってくれた、ジョージの曲で、しめようね。
途中映るのは、ジョージの奥さん・オリヴィアと、ヨーコです。
ありがとう、FAB4!

この映画、2013年12月7日(土)より、全国ロードショウだど。
ビートルズファンは、観た方がいい。
心が温かくなる映画だから。

ちなみに、本誌のこれまでのジョージの特集は、こちらと、こちら
ジョージとジョンのW特集はこちらです。
併せてお読み下さり、ジョージを偲んでもらえたら幸いです。


2013.11.28