渥美清こもろ寅さん会館にて「男はつらいよ」35㎜フィルム上映会

取材/撮影/文・鎌田浩宮

まるで
公開当時
1969年

ような、
揺れる
ように
沸き
すすり泣く
満員

観客。

2013年8月31日。
小諸。
晴れ。

朝、東京を出て、午後1時半、渥美清こもろ寅さん会館の地下1階にあるホールに到着。
スタッフとして準備作業開始。

主催のココトラ(コモロ寅さんプロジェクト『いつもココロに寅さんを♪』)の皆さんは、昨日から準備を開始。
徹夜の人もいる。
ああ、申し訳ないです。
昨日から来ていればよかった。

何しろ会館は、財政難という理由で休館中。
ホールも、地元の子供たちの合気道の練習に使われているという悲しさ。
まっさらなホールに、様々な準備が必要なのだ。

このホールがすごいのは、35㎜フィルムの映写機が、2台も備え付けられている事実。
近くの上田市から(僕の母の実家があるのよ)映写技師さんが既に来ていて、着々とセッティングしている。

35㎜フィルムは、映写技師さんでないと映写できない大がかりな物。
一般の映画館に設置されている物と同じです。

会場の方が一段落すると、スタッフの人と2人で懐古園の入口へ行き、ビラ配り。

「渥美さんがずっと昔から愛した小諸で無料上映会!松竹からスペシャルゲストも来ます!冷房も効いてます。飲み物も用意してますよ。どうぞちょいと涼みに来て下さい!」

受け取ってくれない人は少しだけ。
多くの人が受け取ってくれる。

懐古園の受付の人が、会場で配るパンフレット折りをして下さっている。
近所の施設の人が、暑いでしょと僕らに麦茶を持って来てくれる。
周りの店のそこかしこには、ビラが貼られている。
何だか、街中の人が、無言で
「成功するといいね」
と思ってくれているように。

開場午後4時の30分前。
今度は、僕は3人で駐車場係。
会館の隣の駐車場でスタンバイ。
こんなに広い駐車場、本当に必要なんだろうか…という僕の不安は、あまりに愚かだった。
まさか、最終的に40台ほどの車で埋め尽くされるとは。

さあ、午後4時!
僕は音響係を兼ねているので、ホールに入る。
どれほどのお客さんが来てくれているのか?
ちょうど足の不自由なお客さんがいたので、誘導させてもらいながら一緒に入る。

おお!

トークショウは午後5時15分、上映は午後6時からだというのに、子供も含めて、既に40人くらいかな。
椅子を増設する。
すぐに、椅子が埋まる。
また、増設する。

入場無料で。
冷たいお茶も、お菓子も用意されている。
皆、ココトラスタッフの手弁当。
涼みに来るだけでもいいから来てほしい、という僕らの願い。

4時からは、映写室特別見学会と称して、滅多に立ち入ることのできない映写室へ自由に入れ、技師さんの親切な説明を聞く事ができる。
お年寄りから子供まで、楽しそうに入っていく。

この映像の、黒い服の男性が、技師の山上仁(やまがみひとし)さんですど。

ただ、最後に回収したアンケートに、すぐにトークショウと上映が開始すると臨んでいたごく一部のお客さんから、早く始めよとのご指摘がありました。
貴重な反省材料とさせていただきます。

そして午後5時。
いよいよ、開会式!
僕は知らなくってびっくらしたんだけど、司会はプロの方をお呼びしていた。
FMとうみのラジオパーソナリティをされている、依田こずえさん。
看板もマジックで手書きの、マイクはカラオケのスピーカーの、いい意味でほっかほか手作りの催しが、一気に華やかでパブリックな空気へと引き締まる。

そして。
ココトラ最年少の中に位置するうら若き乙女、各務(かくむ)綾ちゃんの開会の言葉。
緊張で言葉がつっかえると、客席のあっちこちから「頑張れ!」と、声援が飛ぶのよ。
温かいお客さんだなあ。

さらに。
普段は懐古園前で人力車引きとして働く、ココトラの我等が代表、轟屋いっちーこと一井正樹さんの挨拶だ。

「本日は入場無料!楽しんでいって下さい」
寅さんの啖呵売を用いつつ気持ちよく話す、いっちー。

この後、寅さんの形態模写で全国を行く、野口寅次郎さんの登場。
渥美さんだけじゃなく、淡谷のり子さんやらいろんな物真似で、場を柔らかくして下さった。
友人?の風船人形を作る男性も壇上に呼び、子供たちにそれらをプレゼント。

 


が、
渥美さん
に、
衣装
を、
持って行った。

 

そしてその後は、元山田組衣装係の本間邦仁(ほんまくにひと)さんのトークショウ。
数年前から、なんと小諸在住。

「山田監督は、エキストラの衣装にも細心の注意を払う人で、本番直前になっても衣装を替える。衣装が変われば履き物も替わり、メイクも変わる。手を抜かない人だった」

「田舎のロケだと、エキストラも、田舎の衣装がいいんだよね。そうすると近くの民家へ『その前掛け貸してくれ』ってお願いしたりしてね」

「監督と、撮影監督の高羽さんとで、たまに衣装でもめるんだよ。監督は演出の立場から考えるし、高羽さんは背景との色合いを考える」

「全48作の中で、特に気に入ったものはないよ。皆同じように思いを込めてやったから」

「中にはクランクインの時、緊張しているマドンナがいたりする。そうすると、それを和ませるのは渥美さん。一緒に食堂へ行ったりしてね。でもね、渥美さん、あっという間に食べ終わっちゃうんだよ。そうすると、先に行くねってマドンナを置いてっちゃうんだ」

「地方ロケは、昔は今みたいにビジネスホテルがないから、旅館に泊まる。大きな舞台のある宴会場がないと駄目なんだ。関敬六さんが、そこで盛り上げて踊ったりするから」

予定時間を超えるほど喋って下さったが、最後に
「こもろ寅さん会館が再開するよう願っています」
と言うと、場内は割れんほどの拍手!

そして、時間はオーヴァーしているが、いっちーの思いもあり、コミュニケーションを重視し、予定通りお客さんとの質問コーナーも行なった。

なお、本間さんの声が聴き取りにくいというアンケートが、若干ありました。
音響担当は、この僕です。
この場を借りてお詫び致します。

 

光本さん
最期の
姿
見つめた
いっちー。

 

そして、いよいよ上映。
その前に15分の休憩。
お客さんは、トイレに行ったり、お菓子を食べたり、アンケートを書いてもらったり。
その間も、渥美さんの歌う歌を流しながら、即席での、依田さんといっちーとのミニトーク。

「昨年12月、柴又に山田洋次ミュージアムがオープンした時に、僕は前こもろ寅さん会館館長・井出勢可(せいか)さんの息子さんとお祝いに行ってきたんです。その時銀座シネパトスで『みんなの寅さんまつり』という特集上映をやっていたので顔を出したら、せっかく井出さんが来たのだから、と付き添いの僕も、その時のトークゲストだった初代マドンナ・光本幸子さんと初めてお会いする事ができたんです。69歳とは思えない美しさにびっくりしました。その翌年2月に光本さんはお亡くなりになったんです。今日はその追悼上映でもあります」

エプスタでも以前、銀座シネパトスが閉館しちゃう記事を書きましたよね。
実はいっちーが光本さんとお会いした時が、彼女が公の場に出た最期の姿でした。
その時、既に光本さんはガンとの闘病生活を送っていたけれど、いっちーも全く気付かないほど、やつれる事のない様子だった…。

 


褪せた
銀幕
に、
さくら
冬子

美しさ、
あまりにも。

 

依田さんも、寅さんファン。
上映の後、涙で司会のできる顔が保てるかどうか、なんておっしゃっていたよ。

そして、15分押しの6時15分、遂に上映開始。
昔の映画館のように、ちゃんとブザーが、高々と鳴って。

Audio clip: Adobe Flash Player (version 9 or above) is required to play this audio clip. Download the latest version here. You also need to have JavaScript enabled in your browser.

♪ ↑ ブザーの郷愁溢れる音、聴いてみてちょ。

驚いた。
松竹から大枚はたいて借りた35㎜フィルム、色の劣化がすごくって、傷も多い。
後で聞くと、なんと第1作封切当時、1969年のフィルムだったそうで、逆に貴重なフィルムなわけだ。

お客さんは、そんな色褪せた画など全く気にせず、ファーストシーンから元気に笑う。
東京での上映よりも、沸いているのではないか。
正に、どかん、どかん、という風情。
30代から70代まで、万遍ない客層。
子供まで、だれずに観ている。
その数、約80人。
小諸という小さな街で、宣伝はチラシだけなのに、よくぞこれだけ集まった。

倍賞千恵子の登場シーンでは、思わずあっちこっちから
「可愛い…!」
との声が。
そう、昔の映画館は、客がよく喋った。
でも、映画にのめり込んでの私語だから、気にならないのだ。

「そうよ!お兄ちゃんよ!」
とさくらとの再会を叫ぶ寅の顔を、僕は幾十回観ても、涙が出てきてしまう。
「今まで、ご苦労さん」
このねぎらいの言葉で始まり、神戸の被災者へのねぎらいの言葉で、最後の48作が終わるのだ。

そしてあれほど笑い転げていた客が、終盤の志村喬と渥美清との絡みでは、そこかしこから鼻をすする音が。
泣いている。
皆で、泣いているのだ。

小諸でも、大都会東京でも、寅さんがかかるハコは、しかもそれがフィルムでだなんて、もうそんな空間は、どこにも見当たらなくなっちまったのだ。
だから、なんと幸せな空間だろう。
皆が、一点を見詰めて、笑いと感動を共有する。

チャップリンが100年経っても讃えられているように、渥美清も、すたれることなく讃えていきたい。
彼が愛した、この小諸で。

終わった。
拍手に次ぐ、拍手。
時間が押しているのに、途中退席者など、いなかった。
皆、心が、ほっくほくしてるんだろう。

閉会の言葉は、ココトラのマドンナ、おしのさんこと、篠原明子さん。
庶民の女性の、饒舌さのない挨拶が皆に届く。

 

小諸市

届け、


願い。

 

そして、最後は観客全員と我々との記念撮影。
「渥美さんに届くような笑顔でいきましょう!」
思わず僕は叫んでしまった。

もちろん合言葉は全員で、
「1 2 の 3、バター!」

笑顔で帰って行くお客さん。
駐車場係の僕は、どうもありがとうございました、どうぞ気を付けて、また来て下さいね、と言いながら誘導した。
ありがとう、と返してくれる人、プッとお礼のクラクションを鳴らしていく人。

約40台の車が去った頃合いで、大雨が降りだした。
きっと渥美さんと光本さんが、ここまで雨を止めていてくれていたのだろう。

8時から9時までの、片づけ、きつかったなあ!
喉はからっから、腹も減って、早く皆と笑顔で打ち上げしたいけれど、まっさらのホールに戻して返さねばならない。
沢山の展示物を剥がし、椅子を片し…。

9時半だったろうか。
居酒屋の少ない小諸でようやく店を見つけ、乾杯!

アンケートを、皆で読んだ。
ほとんどが、感謝の言葉だった。
「こんなに面白いとは思わなかった」
「全48作上映してほしい」
「2ヶ月に1回は上映会をしてほしい」
「会館の再開を祈ってます」

老若男女、皆さんが書いて下さった。
沢山のカンパも集まった。
心からお礼申し上げます。

あとはこの反響を小諸市に知ってもらい、一刻も早い会館再開を、決断してもらおう。

最後に、ここまで読んでくれた読者の皆さんに、感謝込め、珍しい写真を。
これは、懐古園からすぐのお蕎麦屋さん、古城軒の店内に飾られている。
渥美さんはここのざるそばが好きで、よく通われた。
渥美さんのプライヴェートでの写真は全国に残っているけれど、こんな笑顔の渥美さんは、見たことがない。
驚いた。
渥美さんは、人前でプライヴェートでの顔を崩すことがないと思っていた。

もういっちょう!
全然上手く撮れてないけれど、渥美さんの直筆。

お集まりいただいたお客さん、熱意で奮闘努力のココトラの皆さん、心から
「ご苦労さん!」
でした。
渥美さんも、光本さんも、きっと喜んで下さっていると思います。


2013.09.03