二番館へ走れ:第2回 『第9地区』

 宇宙人は世界中いたるところに来るんである。一時期この国にも毎週何組もの宇宙人が侵略だの観光だのにいらしていたが、南アフリカはヨハネスブルグにだって来るのだ。そして二十年、故郷に帰る手段をなくした宇宙人たちは地上にスラムを作って生活しているのだった。南ア政府はスラムを第9地区と呼んで隔離していたが、強制移住を計画、交渉役、つまり追い出し屋として下っ端役人を選ぶ。ちょっとした手違いから彼の手が変形を始め、彼は政府から軍事的医療的資源として追われることになる。
 茨城県南、つくばエクスプレス守谷駅近くにあるワーナーマイカルシネマズ守谷で見た。県南は半径二十キロ、車で一時間強の範囲内にシネコンが五つと乱立、そのくせ上映作品はかぶりまくりどこでも同じ映画ばかりやっている。さらにシネコンの常で上映時間は週単位で変動、客が少ないと昼間一回のみ上映なんてことを平気でやりやがる。平日夜の回で二十人は入っている方だ。

第9地区1

 宇宙人は直立二足歩行するエビのような姿で、人類ともどうにか言語でコミニケーションがとれる。見た目のカッコよさは全くないがインパクトは大きいデザインだ。下っ端役人が逃げ廻る中を銃弾は飛び交い、首が飛び人体は盛大に炸裂する。爆発は炎で色づき、終盤にはパワードスーツまで出てくる。映画の華ざかりである。女優の出番なんかない。しかしこれだけやらかしてくれりゃ、世界中のおたくは大喜びだろう。
「あらゆる異星人、怪獣は異民族、異教徒の象徴である」とは映画評論家になった町山智浩の編集者時代の名文句だが、この映画がまさにそうだ。第9地区に閉じ込められ、黒人のギャングから食料を買わざる得ない宇宙人は、下層が下層を搾取、抑圧するという現実をほとんど加工せず映し出している。舞台が南アなのは監督が南ア出身だからのようでもあるが、それでもわざわざ南アフリカ共和国を選んでいるのはそこがパレスチナと並んで同時代でもっとも有名な、政策として難民を自国内に産み出している場所だからだ。もちろんこの映画に登場する宇宙人は南ア一国ではなく地球上のあらゆる異民族・異教徒の象徴である。

 第9地区2

 この映画が僕にとって何より衝撃的だったのは、巨大ロボに限りなく近いパワードスーツや飛び散る人肉、グロテスクで生活感あふれる宇宙人といった日米で量産され世界中に伝搬しているおたく文化を南アフリカ出身の監督が自身の血肉化して実にうまく作り上げたから、ではない。TV局主導のドラマの映画版ばかりがシネコンで流されるこの国ではもちろんハリウッドでもここまでストレートに難民をテーマにエンターテイメントを製作することは不可能で、にもかかわらずそれを成功させたからだ。それは難民をテーマにしたエンターテイメントを作る技術がないという意味ではない。政治が議会政治に矮小化され「政治的なるもの」が忌避されるこの国では企画が成立しないだろう。米国はこういったテーマの映画も制作され続けているが、それは誰もが楽しめるエンターテイメントとしてではなく、観客を選ぶ類の映画である。スピルバーグがただ一人エンターテイメントとして作れる立場にいるだけだ(たとえば『ミュンヘン』)。僕が受けた衝撃は、自分たちのいる政治的な無風地帯が資本や権力にとっていかに都合よく形作られているか、その状況を自ら進んで選びとっているのかを思いもしない形で教えられたことによるものだと思う。いや、まったくやられたよ。

第9地区3

 三年で帰ってくると言って映画は終わる。排除する者たちはその約束そのものをまだ知らない。観客である僕たちは、その時何が起きるのか、自分たちの足元を見ながら考えざるをえない。

 まったく関係ないが、現在進行形の南アフリカ共和国がどうなっているかというと、ワールドカップ期間中はデモも出来ないそうである。気になる向きはZACF(ザバラギ・アナキスト・コミュニスト戦線)の声明を検索のこと。

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2010.07.30