二番館へ走れ:第1回 『ハートロッカー』

nibankan1-1 イラク占領米軍の爆弾処理部隊に新隊長ジェームスが来て、彼らが任期を終えるまでの話である。ジェームスは防護服を着けずに爆弾を解体するといった無茶振りを発揮、と書くとある種のヒーローの定型のようだがそんな展開にはならない。爆弾処理といえば「どっちのコードを切る?」のサスペンスも定型だがこの映画にはそれが一度もない。イラクで実際使用されている爆弾にそのタイプがないからだというが、そんな場面をはさまなくとも緊張は維持され、客はいつ爆発するかと身がまえ続けることになる。物語はいくつもの爆弾処理の現場を交えつつ進み、当然爆発盛りだくさん。女優が映画の華だという者は多いが爆発こそが映画の華!しかし残念ながら膨らむ火球もなければ火柱の立つ見た目も鮮やかな爆発はない。九・一一以降まことに地味だった現実の爆発に圧倒され映画の爆発は華やかさを失ったが、この映画はましてやイラクの現実を描いているので爆発の地味なこと!せっかく人体が吹き飛ぶ場面すら土煙だけ。がっかりだ。その代わりか、死体に仕掛けた爆弾を解除する描写があり、今時珍しく真正面から撮っていて客の顔を背けさせた。よく映した!とは思うものの今のハリウッドではホラー映画という文脈だとこれもできない。何を楽しみに人が映画館へ足を運んでいると思っているのか。死体も映画の華だ。
 
nibankan1-2 ジェームスはDVD売りの少年と親しくなるが少年は爆弾事件に巻き込まれ、ジェームスは怒りに駆られて暴走、銃を手に民間人宅に押し入る。家人はそれでも彼を客人として扱おうとして、彼は自分の行いに気づかされる。少年をめぐるエピソードが完結した時、ジェームスも観客もイラクのことなど全く分かっていなかったと突きつけられることになる。肝心なことは何一つ!彼が少年をベッカムと呼んでいたのは実に象徴的だ。ジェームスの振る舞いはそのまま米軍の振る舞いでありアメリカの政策である。進行中の戦争政策への強烈な批判がここにある。アカデミー賞の下馬評に、現実にはなかったアメリカ先住民連合軍対侵略軍の戦争を描いた政治性の強い『アバター』に比べて『ハートロッカー』は反戦映画というほどには政治性が強くないので、賞を獲るのは後者だろうというのがあったが、一体何を見ていたのかと思う。『アバター』がアカデミー賞を獲れなかったのは3Dに頼った願望充足型ファンタジーだったからに過ぎない。
 
nibankan1-3 そしてこれはジャンキーの映画でもある。ジェームスは爆弾解除という行為の中毒者なのだ。任期を終えて幼子のもとへ帰った彼はなんだかんだ言訳しながらイラクへ戻る。観客は彼の作業の手元が震えていないか、その視線があらぬものを見てはいないか注視せざるえない。彼は英雄ではない。タナトスに憑かれた戦争中毒なのだ。もちろんそれはアメリカの姿に重なる。絶えることなく侵略戦争を行い、国の基幹産業と化しているために膨大な戦費に国家財政が圧迫されながらもなお戦争をやめることのできないアメリカ合州国の姿に。

2010.06.23