キャマダの、ジデン。㊵二口先生

鎌田浩宮・著

(おら東京さ行くだ♪の節で)
校歌もねえ!
規則もねえ!
日の丸なんざ掲げねえ!
君が代なんざ歌わねえ!

消防法にゃあ引っかかり!
先生暴力振るいまくり!

嗚呼 学校よりも、自由。
嗚呼 学校よりも、学校。

その中でも、
国語担当の二口(ふたくち)先生は
群を抜いて凄かった。

30代後半。
体育教師並みの
筋骨隆々のたくましい体に
Leeなどのブランドロゴが入った
Tシャツをピチ目に着こなし
下はジーンズ。
これがシンプルで
お洒落なのよねえ。

「学校の教師になるのもよかったけどさ!
生徒殴れないじゃんか!
だからならなかったわけよ!」

と威勢良くのたまう先生は
何キッカケでスイッチが入っちまうのか
わからないんだが
(100%先生の主観で)
気に入らない生徒がいると
突然30発ぐらい
ぶん殴ってしまうんであった。
(目つきが悪いとか、そんくらいのイージーな理由で)

札付きのワルで
学校の先生がお手上げの生徒も
二口先生にかかると
赤子をひねるかのようだった。

「大丈夫!
俺は喧嘩に馴れてっから、
急所は外してる!
喧嘩を知らない学校の教師が
体罰して大怪我させて
新聞沙汰になったりするわけよ!」

と威勢良くのたまって、
何もなかったかのよーに
再び授業に戻るんである。

では、
常にツッパリと間違われてたほど
目つきの悪かった僕なんざあ、
相当ぶん殴られたんじゃないかしら?と
ほくそ笑んでいる
そこのア・ナ・タ!

僕ぁ、
何百人もいる生徒の中で
1番可愛がられてたんである。

もー、エコヒイキそのものだった。

授業での例文などは、
僕の名が、必ず使われる。

「鎌田、死にけり。」
おい鎌田、これ訳してみろ!

こーなりゃ、
こっちもひねらなきゃいけない。

「はい、『僕が、死んだ』です!」

「そーだ鎌田これは過去形なんだ!」

今振り返ると
全く大したひねりではないのだが
中学生ということで
お許しを。

中学3年になると
受験勉強一筋で
授業もヒジョーに厳しくなるんだが
中2までは
どの先生も
ほんっとに楽しく授業をしていた。

そん中でもユニークなのが
二口先生は
月に1冊指定図書を挙げて
感想文を書かせるんである。

これは、受験勉強に役立てようという目的ではない。

まるで、学校の授業なんである。
先生は、本来学校で学ぶべき
人として一人前になるということを
塾で実践していたのだ。

先生は、
皆の感想文を
心から嬉しそうに読んでいた。

「鎌田、お前、感想文下手だな。
○○!お手本に、お前の文、読んで鎌田に聞かせてやれ!」

ファンタジー、時代物、
先生が感受性の強い10代の僕らに読んでほしい
様々な本が課題図書となった。
その中でも、とびっきり心に残ったのが
畑正憲の自伝
「ムツゴロウの青春記」
だった…。

大人になっても
幾度となく
繰り返し読んだ。

僕にとっては
生き方や恋愛の指南書でもあった。

塾とゆーのは、学校より自由。
なぜなら、嫌なら生徒に辞めてもらえばいいから。
だから、好きなだけ殴っちゃうんですねえ。

その代わり、
服装も自由、
髪型も自由、
勉強を必死にやって
志望校に受かればいいんです。

それも中3のクラスだけで
中2までは
本当に和やかに朗らかに
授業してました。
二口先生が最近観た映画の話だけで
1時間の授業が
終わっちゃったりね。

僕はなぜこんなにも
二口先生を尊敬し、敬愛したのだろう。

それは、先生の信念にある。
人間は、でき得る限り、希望を見出し、
快活に生きるべきである、
という信念は、
常に先生の、
生徒に手を抜かず全力で対応するという
覇気のある言動や行動に
にじみ出ていた。

その覇気は、1980年代の学校の先生には
既に、なかなか見られないものだった。

この塾には
もう1人、国語の先生がいた。
船橋先生は、
二口先生とは正反対の人で、
太宰治を愛し、
人生とは絶望の連続で
無常に満ちているということを
ユーモアを交え語るんであった。

僕は船橋先生も大好きであったが
10代の心に強く刻まれるのは
やはり二口先生の覇気だった。

二口先生のとてつもない魅力を
書こうとすればするほど
ただの暴力教師になっちゃうんだけど
全て、自分の嗅覚から得た基準で動いているところが
大好きだったんだと
思い出したんである。

既に
駒沢中学校での
管理教育派の教師どもによる圧政は
たっぷし書いたども、
それに比べて
いかに塾が
自由だったか。

念のために書くけれど
僕は
学校における体罰には
反対です。


2013.09.02