映画「モナーク三軒茶屋410」批判。連載⑥『続・泥の河』

映像作家・西山亮が、
鎌田浩宮、松麿健夫とがっぷりよつに組み、
2001年、911テロの直後から
撮影を開始し、
2003年のイラク戦争勃発直後にクランクアップした
アメリカン・グローバル・スタンダードに抗う反戦コメディー映画
「モナーク三軒茶屋410」
(販売ページはこちら http://epstein-s.net/archives/3779)
がDVD化したことを記念して…

度々エプスタに寄稿してくれる
南国・奄美大島の民宿のおじさんにして哲人である
ジョオジ・akechi氏が
映画「泥の河」と「モナーク三軒茶屋410」と「走れメロス」
をシンクロナイズドさせて執筆した
小説「モナーク泥の河1956」
http://epstein-s.net/archives/5043
を先週掲載した。

今週は、ジョオジ氏自らが、
「モナーク泥の河1956」と、「モナーク三軒茶屋410」について語る。
それでは、以下、お読み下さい。

dvd映画「モナーク三軒茶屋410」
監督:西山亮 価格:2000円(税込・送料込)

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りんだの登場の仕方が気になりますね。
霧のことです。
りんだの怒りは、今回もおさまりませんでした(笑)。

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モナ三410「日本人の常識」のラストで、 さんまも野菜炒めもカレーも箸を使わず、手で食べる青年は、りんだの箸の使い方に異議を唱えます。
そのことで怒り心頭に発したりんだは、それまでの笑顔が一変、箸を折りこたつの天板にたたきつけるのでした。
おどろく青年。

実はあの怒りは、
「魚を焼いただけなのにりんだの作る料理はどうしておいしいのか」
という青年の言葉に端を発していた事に青年しろゆきは気がつくわけがなかったのです。

この小説「モナーク泥の河1956」に登場する箸も包丁も要らないおにぎりは今回重要な意味を持ちます。
モナ三410「グローバル資本主義の危機」で、西洋の小麦粉と肉の文化の象徴として描かれいるよしこの買ってきたハンバーガーとの対比において考えられるべきものなのです。

このおにぎりの登場の故に作者はタイトル「モナーク泥の河1956」から「走れ、メロンパン」にも変更を加えざるを得ませんでした。
一番館と言う名のパン屋さんでは実にさまざまなパンが作られていたのですが。

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この物語「走れ、メロンパン」でりんだだけが特異なのは、登場の仕方だけではありませんね。
おとぎ話じみた3つのおにぎりの話は二重の、いやいくつもの謎につつまれています。
単に謎めいているだけではないのです。
りんだがその中身について何も語っていないというこだけではありません。

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しろゆきと銀子が食べる具について作者も語らずに終わっています。
りんだの怒りの構造は非常に複雑で、そのメタファーはこの物語りに広い範囲に見出すことが可能です。
それ(メタファー)は食べ物だけに限りません。

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またそれは他のキャマダ作品の中にも見出せるものであって、それぞれ独立してはいるものの、時間を織りながら発展しているのであって、それのリカイなくしては、(たとえあったとしてもですが)コンニチの読者にはわりにくい場面も多々ありますね。

果たして物語り「走れ、メロンパン」に新たな展開はあるのでしょうか(笑)銀子の運命やいかに。

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映画「モナーク三軒茶屋410」解説
2001年の911テロから2003年のイラク戦争勃発までの期間、東京は三軒茶屋のとあるマンションの1室を「定点観測」する事によってあぶり出す、全14話からなる愛と平和のコメディー映画。敢えてプロフェッショナルな撮影技術を排し、どんなに映画制作の知識がない者でも、表現したいものにクオリティーさえあれば、万人が映画を制作し得ることを証明せんとした姿勢は、音楽におけるパンクロックと通ずるものがある。技巧を極力排した分、ジョオジ氏のように暗喩を解読する愉楽の多い作品となっている。未公開の特典映像付き。

2011.10.04