エリカ38

構成・写真/鎌田浩宮
文/名無シー・鎌田浩宮

鎌田浩宮の友人にして、
年間に映画館で映画を
100本以上観ておる名無シー。
今回の「映画おとーり」で取り上げるのは、
樹木希林企画・浅田美代子主演「エリカ38」。
2人の対談を、お読みあれ。

 

 

登場人物の掘り下げ、皆無。
2019年最大のZ級映画、登場。

 

鎌田浩宮
2019年6月15日、エリカ38を観てきました。シネシャンテ12時の回、中高年の客層でにぎわってました。ただし、上映後5分でいびきが聴こえてきましたけど。いやあ、今年は良質な映画に出会う機会も多い一方、おいおいと思う作品も多いんです。そしてこの「エリカ38」。久々のZ級映画に出会いました。

貴殿が呟いた、役者の演技とそれに対する演出のひどさに加え、絵のひどさ。監督は写真家でもあるそうですが、ろうそく舐めのエリカという、日活ロマンポルノかっつー絵作り。 インスタグラムでおこなうような低レベルの画質調整。意味不明の画面アスペクト比。

木内みどりや平岳大が演じる人物についての掘り下げが全くない。それどころか、エリカについての掘り下げが浅はかすぎる。父親が浮気しとるトラウマで犯罪に走るんであれば、エリカ以上の少年時代を送った俺はどーなるのか。加えて、タイで少女とすれ違うカットをスローにするなどという、浅はかな暗喩。

 

 

しかしながら。
エリカは、俺だった。

 


でも、でも、でもですね! 浅はかなほどに表層しか描かないこの作品を1時間43分観ていると、僕は僕自身の表層を振り返る事ができたのです。 僕も、他人から見ると、エリカとそれほど変わらないだろう。いい加減な仕事をし、いい加減なジンセーを送り、時折ライヴだの映画上映だのと騒いでは、周囲からチケットという名の「支援金」をかすめ取る。

表層を見れば、エリカも自分もなんら変わりないのだ。いや、表層だけではない。中身も変わらない。支援者に囲まれたエリカがのらりくらりと言い訳めいた反論をする。あの火曜サスペンス劇場めいたシーン、あれは、僕自身がてめえのジンセーに言い訳をしながら、自己弁護をしながら反省もせずにのらりくらりと生きている、その姿そのものでした。

僕は偽悪主義でこんな告白をしているのではなく、あのようなZ級映画だからこその役割があったという事に、驚いているのです。

 

 

 エリカと、
おもさげね。

 

名無シー
私はちょっと違う見方です。我々はあの映画を観て微塵も倫理的な面にフォーカスする必要は無いと感じました。 投資に関する虚栄心と、かまちゃんの映画や音楽の発表の場に立ち会うことは全然別です。投資の場で人を繫いでいるのはただ貨幣のみですが、我々が集まるのはそう言うものではないのです。同じものにしてはいけません。

エリカ~は、本当にどこにも掘り下げがなく、かまちゃんの気づきも、映画によりは寧ろかまちゃん自身の日々の謙虚さに負うところが大きいと思います。

東北では、「有難う」を「おもさげね(お申し訳無い)」と言いますが、人様に迷惑を掛けてはいけないと言う心持ちです。かまちゃんの中にも恐らくそう言う心性があるのだと思います。

 

 

汚っね~な~、
婆さ~ん。

 


でも、金儲けに奔走する連中が荒らしまくるこの世の中、踏み荒らされている側は互いに手を差し伸べ合ってこそ互いの言葉をやっと伝え合えるという所もまたこれ事実な訳です。

エリカの周りにある毟り合いの空気と、我々やその他の小さな言葉をなんとか届けようと声を張る空気は全く対局にあるのです。樹木希林さんの最後をだしに集まった人達の人選は、成功とは言えなかった気がします。

希林さんの最期周辺のことで言えば、是枝裕和が「万引き家族」の中で、リリー・フランキーに、「池内貫太郎一家」での秀樹の希林さんへの台詞「汚っね~な~、婆さ~ん」を言わせたことの方が、私は心に残っています。


ありがとうございます!集まって下さる観客の皆さんを卑下していると思われるような文を書き、反省しております。

 

 

性欲の強めな婆が、
お気楽な気持ちでサギやってみました。

 


みな、かまちゃんに名状しがたい、見返りとかではない何らかの期待感を持っているのです。皆の「自分」 の中にはない何かがかまちゃんにあり、それがかまちゃんを人のハブにするんじゃないかと。


そこまでおっしゃってもらえることがあまりなく、とても嬉しいです。ありがとうございます。 敢えて映画の話に戻らせていただくことをお許し下さい。

書籍であれば、芹沢俊介や山崎哲による、こういった事件への分析・考察は本当に面白い。一方、阪本順治「顔」のような傑作もある。

それに比べ、この浅さは何だ。性欲の強めな婆がお気楽な気持ちでサギやってみました的な内容。希林さん、ここまで目を通してからゴーサインを出したのか。それとも、自分の命がもう限りある事を知って、見切り発車をしたのか。


映画を観る限りではありますが、あの時点ではもう俳優として参加するのがやっとだったんじゃないでしょうか。仮に元気が残っていたとしても、立場から行って、監督にノーを突き付けることは出来ないはずです。

監督や役者さん達の人選が決まった時点で、あの映画がどういうものになるか実質決まったと言うことではなかったかと想像します。

あの、少女時代の貧乏な家庭の空気にしても、どうも大事なところにフォーカスされていなくて、全体、演出面どうかなと言うことだらけだった気がします。それで、結局どこにもフォーカスされない100分がただ過ぎていったと。

 

 

ノーモア、
映画泥棒よしもと。

 


なるほど…。 そもそも、奥山和由なんですよね。彼が絡んでいる場合、いい作品も多いんだけど、ううむ。でもって、吉本興業。これはあかん。

あと、僕は自分の映画「マラソン・マン」の冒頭で、パロディーとしてミュージックヴィデオのようなカット割りをしたんですが、「エリカ38」の場合、そのノリが100分続くんですよね。あれはきつい。映画というものを誤解している。


吉本は映画を勘違いしていますね。 松本の娯楽風のモノも、賢者ぶったモノもみんな失敗作で、ハリウッドアニメの吹き替えでも吉本芸人を何十人か投入して、そんなモノ誰が観たいんだって言う事を懲りずに続けてますが、日本の映画界を汚染していることに気付いていないという…


安倍政権にすり寄るどーしよーもない会社ですが、映画事業の展開もなんだかなあですよね。 映画監督として失敗し、テレビのお笑い番組にも活路を見いだせない松本人志が、なぜかご意見番を自認し始め、ヤフーニュースで炎上することに生きがいを感じ始めたという。

「エリカ38」でも吉本出身の小籔千豊など、締まりのないキャスティングがありました。一方中村有志は好きな役者なので、もっと生かしてほしかった。

 

 

2019年の、
土曜ワイドラジオTOKYO。

 


時にはこんな、不満だらけの吐露も、日本の映画の現状を語る上では必要だという、その日本の映画…… しかし、息を吹き返すよすがとなる若いインディペンデント系の監督も少なからずいらっしゃる。彼等を支援できる土台みたいなものが発展することを祈るばかりです。


小学生の頃、毎週土曜の午後にTBSラジオで、久米宏さんの「土曜ワイドラジオTOKYO」という番組があって、4時頃だったかな、おすぎとピーコのお2人による映画評コーナーがあって、それを毎週楽しみにしてたんです。もー、毒舌が楽しくって。いい映画は褒め、駄作は徹底的に叩く。


大事なことですね。


Z級映画の代名詞、エド・ウッド作品に登場する、ヴァンパイラが浅田美代子。ベラ・ルゴシが平岳大。10年経ったら、ある意味カルト映画として取り上げられるかも知れない、怪作。しかし、僕はこの映画で自分の中の「エリカ」を発見できたのであった。

2019年はZ級映画が豊作だと思っていて、「21世紀の女の子」「ナイトクルージング」もひどかった。「マルリナの明日」がひるんでしまうほどに。いやはやなんともです。

 


2019.06.18