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サブ・コンテンツ
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- 2023.03.04:[Radio] walkin’ to the beat everlasting⑥
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私の2018年映画ベストテン 名無シー編 前編
新春恒例
映画芸術ベストテンと
エプスタベストテン。
3人目の登場は
映画評論家・名無シーによる
2018年公開映画総覧です。
3回に渡って連載しますね。
では、どうぞ。
「リアリズムについて」
色々観て個人的に気になった事。まず、今に始まったことではないけれど、
是枝裕和「万引き家族」
カルラ・シモン「悲しみに、こんにちは」
春本雄二郎「かぞくへ」
等に顕著だった今日的リアリズム。
カルラ・シモン等は、カメラワークにもそう言うリアリズムの追求があった。映画出だしの車の中から見送りの人を撮っているシーンの、見送りの人のフレームアウト・インのあの感じは、些細なようで大きかった。
リアリズムに関して今挙げた作品群と同様の演出面のチャレンジをしながらも、作品全体としては失敗作に終わった感のある
藤元明緒「僕の帰る場所」
を見ると、こう言った動きが、どう言う方向に向かおうとしているか何となく感じられる。
同作品は、在日ミャンマー人の兄弟の子役と母役の演技が真に迫っており、父役も大分いい線を行っていたのに、それ以外の大人の日本人役のプロの役者達が、慣れ親しんだ旧来の演技を続けており、何もかもぶち壊しにしていた。役者任せにした監督の演出への甘さがあった。
あの映画の中に致命的に共存してしまった異質な二つの演技を見ると、今日のリアリティーが、決定的にこれまでのプロらしい役者の演技を拒絶するものだと分かる。
一方、春本雄二郎はその演出、日常とたがわないかのような音響に関する拘りが強く感じられた。現在の知名度と裏腹に、注目すべき監督の一人だと思える。
この今日的なリアルさに関して非常にいい参考になる、古い役者の演技と現実が併存して成功したメタフィクショナルな良作がある。
2011年公開の阪本順治「大鹿村騒動記」。
映画の置かれた現実社会からの目線で言うと、この映画は、同村に江戸時代から伝わる村歌舞伎にプロの俳優達が挑むものなのだが、その撮影には同村の村民達が観客のエキストラとして参加しており、どれ、どんなものかと、素で目をきらきら輝かせて期待の表情を見せる。
フィクションと現実の非常に素晴らしいこの共存は、プロの役者の演技の地平と、彼等プロが寧ろ胸を借りる伝統芸能の 場 の現実の地平が一つにダブって強烈にメタフィクショナルなスリルに満ちたカタルシスを齎していた。この映画は、今続けられている新しいリアリズムの模索にも大切な示唆を与えるように思うので、今また勧めたい。
「ドキュメンタリーについて」
旧年は、いいドキュメンタリー映画も豊作だった。
の、ニュース打破 中心人物チェ・スンホ監督の粘りの取材は見事だった。国営放送局から追い出された監督の、国家の工作機関を向こうに回したその取材は、ご自身の身の危険も考えられるはずで、その勇気と身の保障のバランス感覚の卓抜さは目を見張るものがある。比してこの国の国営放送局の情けなさはどうだろう。
また、三上智恵、大矢英代「沖縄スパイ戦史」。
あの聞き出す力は見事だった。聞き出す力によって、隠されてきた歴史が明るみになる。惨劇が繰り返されないために、歴史の発掘には両監督のような聞き出す取材力ある人達が必要だ。
聞き出す力と言うことでは、
チョ・ソンヒョン「ワンダーランド北朝鮮」。
カメラはひたすら北朝鮮のハリボテを写しているが、北朝鮮の市民に答えを見越したクリティカルなそれでいて真意は微妙に偽装されたような質問をぶつけ、ハリボテの後ろにあるものを次々顕わにして行く。非常に高度に知的なドキュメンタリー映画だった。
原一男「ニッポン国VS泉南石綿村」
マイケル・ムーア「華氏119」
マシュー・ハイネマン「ラッカは静かに虐殺されている」
(この映画については、演出面で賛否あるものの)も、我々に知るべきものをしっかり伝えていて、忘れられない。
そして
ラベー・ドスキー「ラジオ・コバニ」
に写っていたクルド人女性達の悲劇。映画の中では何の説明も無かったが、戦闘員の死骸と違い、若い女性市民達の亡骸は服を着てらっしゃらず、首が切断されていた。どんな思いで亡くなって行かれただろう。そして生き残った女性達の強さ。
女性の強さと言うことでは、
アンナ・ザメツカ「祝福~オラとニコデムの家~」。
ここら辺はこれからも折に触れて思い出すような気がする。
そして100年近く前のドキュメンタリー映画、ロバート・フラハティ、フランシス・フラハティ、モニカ・フラハティ
「モアナ~南海の歓喜~」
「極北のナヌーク」
も鮮烈な記憶を残した。被写体の現代との違い、撮り方の現代との違い、80年代に加えられたサウンドトラック、今これを見ることが出来ると言うことなど、過去と現在を様々に照らす光がある。
次回、B級映画編へと続きます…。