スリー・ビルボード 第2回

文・名無シー/鎌田浩宮
写真・鎌田浩宮

 

http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards/

 

この「3枚の広告」は、世界中に点在している。
社会に抗う人とレイシスト、それらを見守る人々。
そんな現実から、なにが生まれるのか。

限りなくファッキンなこの社会の
リアリティーを吸い込むだけ吸い込んでから
吐き出すファンタジー。

そこで急遽、
名無シーさんと
この作品について
語り合った。

その、第2回

 

 

以下、ネタバレ注意。
なお、第1回はこちら

 

不気味なカントリーとカルト宗教


挿入歌のカントリーミュージックなど、歌詞の内容が分かれば面白いんだろうなと思いながら観ていました。アメリカ白人、カントリー好きが多いですよね。

 


日本映画で、客の少ない北国の飲み屋で演歌が流れる的な。

 


そうか!そんな感じですね。
馬鹿な神父が来た時の主人公もよかった。溜飲!
あれも、現実のアメリカでは難しい情景なのかしら?

 


カネフスキーの「動くな、死ね、甦れ!」で、シベリア抑留日本兵が、〽木曾の御嶽山は~、と歌うんですが、ロシア人はあれ、歌詞の意味分からないけれど、望郷の寂しさは汲み取る。演歌、子守唄、カントリー。神父、確かによかった。個人個人はあああからさまには言えないでしょうね。教会離れで示す事は、あるかも知れないですけど。
中々出来ないことなので、ミルドレッドにそうさせたんでしょうね。

 


監督のマクドナーはイギリスとアイルランドにアイデンティティーを持っていますが、またアメリカのキリスト教というのは特異ですよね。その辺を彼は加味して描いたのでしょうか?

 

宗教はカルトから逃れられない


地域によっても、人種によっても違うみたいですよね。黒人の集まる教会はまた全然違うし。イギリスはプロテスタントのピューリタニズムだけどアイルランドはカトリックだし。宗派の違いには敏感でしょうね。
あ、調べたら、ミズーリ州では19%がカトリックで、それはアイルランド系とフランス系の人口を足したパーセンテイジとほぼ一致しますね。「神父」なのでカトリック。彼らはアイルランド系の設定かも知れませんね。
ミズーリ州を選んだのは、監督のアイルランドの出自が影響しているのかも知れませんね。

 


おお、そうですか。ありがとうございます。中西部ミズーリ。
アメリカのキリスト教の一部は進化論を否定しているなど、その保守性が弩阿呆すぎるじゃないですか。理念一筋に疑わない。創価学会かよっていう。一方で、アメリカにせよヨーロッパにせよ、毎週教会へも行かない一定の層がある。その層にいる人から見ると、アメリカやヨーロッパの宗教はちゃんちゃらおかしいんじゃないかと思っているのでは?と思ったんです。

 


日本人と事情は似ているかも知れませんね。草加とかれーゆー会とか幸福とか右(ジンジャー庁)とかざくざく隠れてますけど、付き合い切れんと思っている人は多い。
アメリカの草加と言えばいいミュージシャン多いですが、モロ賛歌を歌い上げた人がいて、勤行のお題目まで収録している。でも、スゲーいい曲と言う。これは中々の珍版なので、横道ですがどうぞ。

 

 

他者にも厳しくなっていないか


僕は主人公の精神の強靭さを、ずっと感情移入して観ていました。 闘うって、つらく苦しいものです。僕なんぞが闘う場といえば、職場での賃金だとか、執筆しているサイトが不正をおこなっていることがあるので是正を促したり。加入している生命保険が兵器産業に資産を運用している報道があったのでその確認だとか。大したことないんです。でも、大きなストレスが生じることもあり、闘いを緩めてしまうこともあります。 どうやったら精神を強靭にしていくか?この映画から学びたいんです。

 


一方で、教条主義的であったり、徹底的(過激)であったりすることの難しさも描いている。途中で男子全員のDNAを登録して云々と言うくだりがあるけれど、それをやったら完全全体主義的警察国家になっちゃう。ミルドレッドとディクソンを中心に据えながら、脚本が収斂させているところは、レッドや息子だったりする。あそこら辺に、この映画の一つのサジェスチョンがある様なきがします。
人は徹底的に自分に厳しくなるとき、往々にして、周囲の人間に厳しくなっていることに気付かなかったりするものです。

 


なるほど…。

 


さて、そんな我々が、自分に甘く他人を兵器で殺せる軍産等とどう戦うのか。そのバランスは極めて難しい。選挙の度に感じるところでもありますが。
あ、平気で、奇しくもそのまんまになりましたが、ディクソンの転向は一つのファンタジーですね。ホントに。

 

名護市にある3枚の広告


名護市にも、数多くのレッドや息子がいると思っているんです。でも、今回の選挙ではこれまでの闘いよりも変化を求めた。
(なんてたいそうなことではなく、学会票が流れただけなのかもしれませんが)

 


学会、難しいですね。キーマン的な存在ではあるんですよね。学会内の草加大関係者と『潮』編集部付近は、法改正の時指導部に強烈に反発して平和理念を声高に叫んだ。学会内には蓮華経がそもそも菩薩の一切衆生の救済を旨とするので、平和思想はあったりするんですよね。
学会二世で、Twitterで、あからさまには指導部に物申していた若い学生さんもいましたね。
あの人たち、今、無事なのかどうか……

 


名護市にいるはずのレッドや息子たちは、僕らの街にもいて、その多くは簡単なことでもなびいてしまいます。闘いを継続することは難しい。根気が必要とされるのは、実は民主主義そのものなんです。何度も議論を重ね、拳ではなく対話で積み上げていく…これは相当に面倒くさいこと。
今回の名護市市長選挙の結果を見ると、変化を求めトランプを選んだアメリカとダブるんですよね。

目の前に掲げられたこと以外の、ずっと続いている背景を見つめ続けることは難しいですからね。そして、反民主的な人間にも思想の自由を認める唯一のシステムですからね。
そう言う難しさを引き受けて、何が出来るかと。

 

閉塞感からの突破


トランプを求めたアメリカ、EU離脱を求めたイギリス、新市長を求めた名護市、いずれも共通点があるのは明白です。閉塞感、手詰まり感です。このままでは変わらない。こうなりゃ悪く変わっても構いやしない、と言わんばかり、変化を求めるんです。
ただですね、エンドロールになると、幕を待たずに席を立ちかえる人の割合、いつもの映画より多かったんですよ。あれは不思議な光景でした。つまらなかったのか?日曜の夕方だから早く帰りたいのか?

 


エンドロール、私行ったときのシネ・リーブルでは一人も立ちませんでした。 かまちゃんの時は、二回目組か、尿近組か、梯子組か、武蔵野館とかによく現れるエンドロール見ない派が多かったのかなあ。トイレ混んでませんでした?

 


トイレは確かに混んでいました…

 


以前、「オース!バタヤン」と言う田端義夫のドキュメンタリー観に行ったときは、還暦どころか喜寿オーバーっぽい人だらけで、皆紙オムしており、上映中からややそれっぽいかほりが漂っていました。日本の歩んできた道を知る人々は、心構えが違います。

 

次回につづく・・・


2018.02.14