スリー・ビルボード 第1回

文・名無シー/鎌田浩宮
写真・鎌田浩宮

 

 

http://www.foxmovies-jp.com/threebillboards/

 

2018年が始まったばかりなのに
もう今年ナンバーワンの作品を観てしまった。
名無シーさんから聞いて、
すぐにこの映画を観に行った。

限りなくファッキンなこの社会の
リアリティーを吸い込むだけ吸い込んでから
吐き出すファンタジー。

そこで急遽、
名無シーさんと
この作品について
語り合った。

2人は次第に、
「感想」についての感想を
語り合っていく。

 

【物語】

アメリカはミズーリ州の田舎町エビング。さびれた道路に立ち並ぶ、忘れ去られた3枚の広告看板に、ある日突然メッセージが現れる。──それは、7カ月前に娘を殺されたミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)が、一向に進展しない捜査に腹を立て、エビング広告社のレッド・ウェルビー(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)と1年間の契約を交わして出した広告だった。
自宅で妻と二人の幼い娘と、夕食を囲んでいたウィロビー(ウディ・ハレルソン)は、看板を見つけたディクソン巡査(サム・ロックウェル)から報せを受ける。

一方、ミルドレッドは追い打ちをかけるように、TVのニュース番組の取材に犯罪を放置している責任は署長にあると答える。努力はしていると自負するウィロビーは一人でミルドレッドを訪ね、捜査状況を丁寧に説明するが、ミルドレッドはにべもなくはねつける。
町の人々の多くは、人情味あふれるウィロビーを敬愛していた。広告に憤慨した彼らはミルドレッドを翻意させようとするが、かえって彼女から手ひどい逆襲を受けるのだった。

今や町中がミルドレッドを敵視するなか、彼女は一人息子のロビー(ルーカス・ヘッジズ)からも激しい反発を受ける。一瞬でも姉の死を忘れたいのに、学校からの帰り道に並ぶ看板で、毎日その事実を突き付けられるのだ。さらに、離婚した元夫のチャーリー(ジョン・ホークス)も、「連中は捜査よりお前をつぶそうと必死だ」と忠告にやって来る。争いの果てに別れたチャーリーから、事件の1週間前に娘が父親と暮らしたいと泣きついて来たと聞いて動揺するミルドレッド。彼女は反抗期真っ盛りの娘に、最後にぶつけた言葉を深く後悔していた。

警察を追い詰めて捜査を進展させるはずが、孤立無援となっていくミルドレッド。ところが、ミルドレッドはもちろん、この広告騒ぎに関わったすべての人々の人生さえも変えてしまう衝撃の事件が起きてしまう──。
(以上、公式サイトより)

 

 

以下、ネタバレ注意。

 

スリー・ビルボードは世界に点在する


こんばんは。スリービルボード、観てきました。素晴らしかったですね。 ぎりぎりで獲得されないカタルシス、各登場人物の造形が深く面白く、改心していく巡査などのやや強引な描き方さえも面白く。
これを観たどれほどの人が、沖縄の問題とだぶらせたのでしょう? 現代の市民運動では暴力と犯罪はタブーです。それは辺野古においても然りです。 ただし、火炎瓶のシーンは「ドゥ・ザ・ライト・シング」の終盤とも重なり、ある種の肯定感を喚起させられます。
さてそこでもしよろしかったらなのですが、この映画の感想文をもしよかったらエプスタインズにご寄稿いただけませんか?あわよくば沖縄の問題とシンクロさせつつお書きいただけると幸いです…。

 


一つ提案ですが、この映画に関しては、かまちゃんが話を聞いてみたい友人、お知り合い様々な人に感想を書いて見て貰うと言うのはどうだろうかと思います。と言うのも、Twitterで目にする様々な感想が結構皆似ているようで、核心が違っていたりしていて、我々が現実について感じるように、この映画の抑えめで微妙な表現は様々な見方を喚起しているのを実感するからです。その一人としてこの映画を語る事には吝かではないです。
それから、沖縄問題との類似点の、犯罪被害の問題や、どうにもならない板挟みのような致し方なさ、実体の見えない大衆の圧力周辺の事情等、これは、映画と現実の沖縄を同じように語ることには難しさも感じます。映画の中での被害者家族は、誰かに似ないようにするためか、凄く特異な人物として描かれます。
しかも白人警官の暴力との集団間の問題にならないように、白人家族の設定です。そこはシナリオの技術で上手くにはぐらかされている。更に、犯人は判らないと言う設定。そう言った各設定は、あるシーンが意味を持つように非常によく整理されており、飽くまでフィクションとして、何かを喚起しようと組まれている。
一方沖縄の幾つかのケースは、被害者が個人でも強烈にコミュニティーと侵略者の問題であり、犯人も判っている、被害者家族は、映画のように声を大にしてはいない、恐らく出来ないほど苦しんでいる。その現実の苦しみは、決してフィクションに比すべきではないところもあります。

 


昨日2月12日祝日の午後2時の回、シャンテで観たんですが、満員ですよ。1席も空席なし。この映画、宣伝も見かけなかったのに、どうして大入りなんだろう?客層は、僕より少し上の年代が多かったです。あと、親子連れも多かったです。レイプを扱っているのに。

 


Twitterの映画アカウント系の人達は圧倒的に推してますね。それ参考にしている人達とか、使ってないので想像ですがFilmarks辺りでも推されているのかなあ。私はお得過ぎるTCGメンバーズカード持っていて、火水金池袋シネ・リーブルで千円で見られるのでもう一回見に行く予定です。
凄く推しといて何ですが、関西在住の人とTwitterでおしゃべりしてたら、違う見え方、あざとさを感じる人とかもいるかも、そう言う感想にはそれが実感なら何か教えられるものがあるかも…… とも思えて来たことで、色々な感想をある程度の分量で読んで見たくなったのでした。
感想のメタな打ち合わせでこんな風に考えさせられると言う辺りも、この映画・脚本・演出の非凡なところかも知れませんね。

 

リアリティーを経てのカリカチュア


あざとさとシンクロしないかも知れませんが、レイシスト巡査が署長の遺言で瞬時に真人間になるところ、あの強引な描写はどのように感じましたか?

 


あれは、完全に力技ですね。出くわす頻度は低いかも知れませんが、所謂ホモソーシャル系の「あの人に惚れ込んで」系の人、日本だと会社とかで犬になってる人のマッチョ版。半ば無意識に近い「あの人の評価こそ自分の人生」と言う。ただ、その人があそこまで変わる可能性は現実には……あざとさの一端ですね。

 

 

敵と打ち解けることを描く


敵同士が一時は半死になりつつもコミュニケートできるまでになるというラスト。あれは素晴らしい意味でのファンタジーでした。よかったです。

 


レッドもそうですが、一度ぐっと堪えて怒りを冷ます。覚ました目で敵の心情に同情するギリギリのバランス。それが危ういながら明日を開くという。あの同情の波紋がディクソンの心にも小さい波を起こす。そう信じたい訳です。現実が中々そうじゃないから。大きい音に小さな波紋は掻き消されがちで。

 


その通りですね。

 


あ、そんで、そこは、沖縄で泣いてた若い機動隊員への我々の心情と被るかも知れませんね。

 


実際のアメリカで、警官が市民を2階から突き落とすことは起こり得るんでしょうか?それとも、その辺のリアリティーがなくても観客が感情移入できる映画なのでしょうか?

 


あれ、分からないですね。白人同士ああ言うこと起きるかなと。カラードの人達は普通に白人警官に射殺されてよく問題になってましたよね。
明らかにレッドの逡巡を設定するためのお膳立てではあるでしょうね、殴られて鼻血出た程度にしておくか、あの強度にするか。ディクソンの署長ベッタリを表現する意味合いでも、そこは強度を上げたかったのかも知れません。
脚本ですね。

 


カラードが警官に射殺されるのは日常茶飯事として日本にも報道されているので、「おお!あいつら2階から突き落としもするのか!」というシーンは、説得力があるんですよね。そこに若干の誇張やカリカチュアがあるかどうか、日本の観客はそういった検証をおこなう必要があるでしょうか?

 


多分あそこは、ディクソン個人の署長への愛として、一般性から逸脱していて構わないと思います。ミルドレッドも特異な過激派で、ディクソンもそうなのです。二人の対立する過激派が、忍耐の市民レッドや息子、カーディーラーなどの薫陶を受ける訳です。

 

次回につづく・・・


2018.02.13