私の2017年映画ベストテン 名無シー編

 

新春後ろ向き企画
2017年に観た映画 偏屈ベスト30くらい

 

 

去年同じような投稿をさせて頂いたナナシーと申します。
謹んで初春の慶びを申し上げます。
旧年は新作映画90本くらいしか見ていないので、ベストを挙げるのもおこがましいんですが、声を掛けて下さった非社長には日頃諸々お世話にもなっており、逆にまたお手数お掛けするものの、その正におこがましいお薦めを書いてみました。
コメントが長いものは暑(苦し)く推してるつもりです。コメントが短いものもいい映画なので機会があったら是非。

 

 

①ざ・鬼太鼓座〈デジタルリマスター版〉
監督 加藤泰

佐渡の村おこしを唱導した宮本常一没年である1981年の作品。民俗芸能好きの視点で見ると、鬼太鼓座発足間もない頃らしい鬼剣舞の演舞とか本場に比べると上手いとは言えないシーンもままあるけれど、佐渡の厳しい自然を背景にしたトレーニングのシーン、次第に腕を上げてゆく演奏演舞のシーン、セット内や桜の季節の野外での演出が光るシーンなど、どれも土地の風土、当時の空気感や気概も濃密に写っていて見応えがある。中でも褌一丁(鉢巻も締めてはいる)で太鼓を叩く林英哲を垂直方向真下から捉えた異常なアングルのシーン、新潟の目抜き通りのアーケードから矢張り褌一丁で林英哲が降ってくるシーンなどは圧巻。全体の幕開けとなる佐渡へのフェリー到着のシーンも、日本社会日本映画の一時代の空気が、当時の映像らしいカラーバランス、コントラスト、解像度、カット割りで象徴的に展開して、今日の観衆の私達の心が、その時代その場所の中に、作中の船から堰を切ったように降りてくる客のようになだれ込んでゆくようにも感じられて、今デジタルリマスターされたその事と上手くリンクした印象もある。必見。

 

 

②人生タクシー
監督 ジャファル・パナヒ

奇しくも年末から反政府デモが国内を席捲しているイラン。そんなイランで、体制によって映画制作を禁じられたジャファル・パナヒ監督がタクシー運転手を装ってイランの市井で堂々と、いや、こそこそと映画撮影を敢行すると言う、しっかり脚本があるのに圧政とのリアルな闘いのドキュメンタリーに仕上がっている命懸けな一本。
イランの婚姻制度家族制度のしわ寄せに不満を爆発させる怪我人の妻や、禁制の外国映画の海賊版を密かに商う 監督の知人、映画マニアの裕福な学生、監督の盟友である民主活動家の女性など、イランの民衆の締め付けられた自由を様々な形で体現する登場人物達が、次々タクシーに乗車する。
そんな中で、その日のある時刻までに、かつて捕獲された泉に還してやらなければ死んでしまうと言う金魚が所在なさそうに泳ぐ金魚鉢を抱えた老婦人二人が乗り込んでくる。この金魚達は一体何なのか。他の客のようには何かを語るわけではない金魚。急ブレーキのせいで金魚鉢が割れるなどごたごたがあり、ビニール袋に移し替えられた金魚と老婦人らは、監督の都合で別のタクシーに乗り換え泉へ向かう……
映画の最後で、映画監督ジャファル・パナヒと、小さな映画監督であるその姪は、金魚の行く末を確かめに行く。
狭い金魚鉢の中にいた金魚は、無事その生を繋ぎ新鮮な水が湧く広い泉で思いのままに泳ぐことが出来たのだろうか?

デモが起きてから、イランではウェブも遮断されているという。この後の数日、数週間、数ヶ月間、我々は何かをこの目で確かめることが出来るのか、そして何より市民の犠牲が広がらないかが心配だ。

 

 

③パターソン
監督 ジム・ジャームッシュ
【ある種ネタバレ、未見の方は注意】

ここ何作かの監督作品同様、謎かけのような空気がある。Twitterで映画好きの人達ばかり集めたタイムラインを見ても、この映画に何か不穏な空気を読み取った人々は少なくなかったようだ。確かに気になったことは幾つもあった。日常っぽさの陰に隠されているけれど、不安感のあるBGMの使い方も含め、今日的な微かな違和感のフックを多用する見えない迷宮の下敷きに逆らわず落ちてゆくと、みんな詩人と言うものの閉じた世界から零れるものを感じさせるように組まれているような気もする。
先ず、何組もの双子が現れる。彼らを見たままの視線をパターソンに投げかけると、詩人の町パターソンと、詩人パターソンは双子のように見えてきた。そしてそんなパターソンの魂はどこか孤独を思わせるように閉じて見える。
可愛い奥さんと二人、仲良くしているパターソンが孤独だって?と思う人もいるだろう。
パターソンのベッドサイドにあったフォトフレームには軍装のパターソン。何故か彼と社会の繋がりを思わせるような家族の写真は見えない。丸で、パターソン一人だけがこの世界にふと降り立ったように。
パターソンの妻もそうだ。売れたと言うこと以外具体的な人との繋がりが全く見えないバザーでのカップケーキ売りのエピソードとパターソンとの一度の外出を除くとずっと家の中に居て、家の外との結びつきは、テレショップで買ったギター位のもの。それだって人との繋がりは見えてこない。
♪線路は続くよ、どこまでも……
その続いている様子は少し怖いくらい全く描かれない。
写真の軍装と彼女が中東の女性というのも、何か微かで、でも消し去れない違和感を残す。彼女は丸でパターソンの心の中だけに住んでいるようではないかと気付いたとき、はっとしつつ寧ろその方が辻褄が合うかも知れないと言う気さえしてくる。
そして、パターソンは携帯電話すら持たないほど現代のこの世の中と現実的繋がりを絶っている。
現実のニュージャージー州パターソンは相当治安の悪い町だそうで、詩人達を生んだ静かな閉じた町パターソンは、遠来の詩人の心の中にある理想像の町のようにも見える。
永瀬正敏が演じたあの日本人は、映画の終わりに現れただけなのだろうか? 何だか映画の冒頭からずっと、あの場所にいて、詩人達の町パターソンを思い、そこで今日生まれるあり得べき一人の詩人パターソンを夢想していたのではなかったかと言う気もする。
つまり映画全体が、アハ~と言うあの邂逅のシーンの中に収斂するようにも見えなくもない。
詩の繋がりだけを頼りに、遠くから胸に何かを抱きやって来て、ベンチから見える水辺の景色を眺める詩人の世界は閉じているが、我々がそれを垣間見たならそれは驚きを誘うだろう。

「土地」「水辺」で思い出した全く関係ない詩歌がある。
やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けと如くに

詩はそれに触れたとき、それまでの我々に見えていなかった色彩をこんな風にいきなり世界に与える。

誰もが見る同じ景色を全く違う色彩の中に捉える詩人達のそんな心を、ジム・ジャームシュのように描いた映画監督が他にいたか? 今は思い浮かばない。

 

 

④タレンタイム~優しい歌
監督 ヤスミン・アフマド

2009年、51歳で亡くなった監督の遺作。八年越しの一般公開。
感傷的なフィクションは余り好きになれないけれど、この映画は愛すべきものがあった。
主人公ムルーの名前の意味はジャスミンだそうで、監督の名前と重なる。
マレーシアのロミオとジュリエットと平たく言うにはそれだけにとどまらない引っ掛かりが沢山あった。
車椅子の男、苺、モスクの逆光、劇中歌、民族文化宗教身体障害などの壁と融和への思い……
障壁を乗り越えることには、日本を含むいくつかのルーツを持つ監督にとってとりわけ強い思い入れがあったのだろう。

 

 

⑤MERU/メルー
監督 ジミー・チン,エリザベス・チャイ・バサヒリィ
出演 コンラッド・アンカー,ジミー・チン,レナン・オズターク

苛酷すぎるメルー峰シャークスフィン未踏ルートを極めた三人のドキュメンタリー。人間を実際に高所へ持ち上げてゆくあの判断力、絶句。

 

 

⑥地獄愛
監督 ファブリス・ドゥ・ヴェルツ

アルモドバル映画でもお馴染みの主演のロラ・ドゥエニャスがむずかる感情不完全燃焼シーンの凄さ、ミュージカル的な違和感を審級逸脱に使った演出の、スクリーンから客席にまで飛び出て来るかのような別次元の怖さが圧倒的。
火の儀式のシーンは蛇足の感もあったけれど、それでも映画全体としては迫り来るものがある一本。

 

 

⑦サーミの血
監督 アマンダ・シェーネル

サーミの血をひく監督が、実際のサーミの牧童姉妹を主演に起用して撮った1930年代から今日までのあるサーミ姉妹の半生を描いた作品。
姉と妹二人に仮託した物語だけれど、描かれた真実は、全てのサーミ、全ての先住民の一人一人の心に共有されるディレンマだろう。
それを指して先住民やその文化を今まさに滅び行くものと捉える人も少なくないかも知れない。しかし、彼らが自らに課すような矜恃を欠く我々は、そもそもどこから来てどこに行くかも定かではない、既に滅び去った後の残滓のようなものであることを思い出すべきだ。

 

 

⑧トトとふたりの姉
監督 アレクサンダー・ナナウ

ブカレスト郊外のスラム化したアパートに住むロマの三姉弟のドキュメンタリー。周りの年長者に引っ張られ、覚醒剤漬けになり更に救いようのない事実も判明する長女の姿は哀れという他なく、その事実を知った次女の絶望と決断が、長女の孤立を更に決定づける。
監督は長女に救い手を差し伸べるでもなくただカメラを回す。
この手のドキュメンタリーではいつも俎上に上がるその問題がこのドキュメンタリーにもある。
この映画を観た我々観衆も長女が地獄に落ちるのに一枚噛んだ事になるだろう。
では、見なければそれでよかったのか。
そう言う蟠りはいつまでも残る。この先ずっと残るだろう。

 

 

⑨サラエヴォの銃声
監督 ダニス・タノヴィッチ

同じ南スラブ人でありながら、主に宗教的文化の違いによって多民族地域となっているボスニア・ヘルツェゴビナのこの百年を、自分達のアイデンティティに絡め、何なのかと問う南スラブ人自問の映画。
「アワーミュージック」や「カルラのリスト」、「灼熱」「サラエボの花」などボスニア・ヘルツェゴビナを扱った映画は多い。目を向けざるを得ない消えない傷がそこにある。
ところで、ユーゴスラヴィア継承戦争の間中、各勢力に火器を売りつけて高笑いしていた国があるのを知っているだろうか。察しの通り、それは今日本に高い買い物をさせようとしているあの国だ。

 

 

⑩パーソナル・ショッパー
監督 オリヴィエ・アサイヤス

冗長な感じもあるけれど、古典的な焦点からのはぐらかしで見えてくるものがありそうな野心作。らしいところからどんどんカメラをずらしていって見えるのは何だろう。

 

 

⑪息の跡
監督 小森はるか

 

 

⑪新地町の漁師たち
監督 山田徹

 

 

 

⑪残されし大地
監督 ジル・ローラン

きのうの側にあって、明日に持って行けないものが大きすぎるのに、被災地はどうやって前を向いたらいいのか。五輪の聖火が復興予算を焼き尽くす今も、個人個人が身の丈のところで格闘している。

 

 

⑫海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~
監督 ジャンフランコ・ロージ

ゴダールが「ソシアリズム」で描いた搾取する側とされる側の境界としての地中海。その現実が写っているドキュメンタリー。

 

 

⑫午後8時の訪問者
監督 ジャン=ピエール・ダルデンヌ,リュック・ダルデンヌ

 

 

⑫わたしは、ダニエル・ブレイク
監督 ケン・ローチ

搾取してきた国々の中にも芽生えた良心。

 

 

⑫希望のかなた
監督 アキ・カウリスマキ

極北の地の氷の下からも芽を出す良心。第三世界からの難民の生死も希望も全てスクリーンの前の先進国の人々の腹一つで決まることを、ラストで突き付けてくる。

 

 

⑬ネルーダ 大いなる愛の逃亡者
監督 パブロ・ラライン

「パターソン」に較べると古典的ながら、これも詩人の映画。
今日的な微かな違和感のフックは使われていないので、構えずに見られる。
更に話の中で、登場人物が物語の文芸的な仕組みまで明かしてしまう。
娼館のオカマの歌手と刑事との対峙は、その仕組みが一番熱く燃えるシーンでもある。
歌手が吸う煙草のように、一瞬熱く燃える。

 

 

⑭皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ
監督 ガブリエーレ・マイネッティ

イタリア版異形のヒーロー。
シャマラン「アンブレイカブル」辺りからのハリウッドのヒーローに差す影みたいなもののイタリア的表現。
最後のニットのかぶり物は震撼。

 

 

⑮ジェーン・ドウの解剖
監督 アンドレ・オヴレダル

前半の何かが起きそうな感じが猛烈に怖い!

 

 

⑯女神の見えざる手
監督 ジョン・マッデン

ハリウッドの異形のヒーロー(ヒロイン)の最新型。

 

 

⑯ザ・コンサルタント
監督 ギャヴィン・オコナー

ハリウッドの異形のヒーローの進化形。

 

 

⑰スプリット
監督 M・ナイト・シャマラン

シャマランとしては空気感余り写ってないけれど、そこそこたのしめた。

 

 

⑰悪魔祓い、聖なる儀式
監督 フェデリカ・ディ・ジャコモ

エクソシストと悪魔憑きの人々を追ったドキュメンタリー。
家族関係の歪みの一つの表現として、悪魔憑きの役どころがある文化的風土。演劇発祥の地ギリシア直系のヘレニズム文化は今も生活の中に、そしてキリスト教の中に紛れて根付いているのかも知れない。
バチカンが世界的需要に応え、エクソシスト養成に力を注いでいる現実と、電話でも祓ってくれるエクソシストの姿を見ていると、バチカンはいずれエクソシスト巨大コールセンターを作るだろうなと思えてくる。
と言うか、必ずやるでしょ。

 

 

⑱太陽の下で-真実の北朝鮮-
監督 ヴィタリー・マンスキー

「北」の首都に住むエリート社会の一家庭を追ったドキュメンタリー。裏事情とかも写ったままの映像を持ち出せた監督は凄い。
北の見張り役の誰かは、この映画が世界で公開されたことで銃殺刑になったかもなぁ。南無。

 

 

⑲お嬢さん
監督 パク・チャヌク

これはもう映画だ!

 

 

⑳SYNCHRONIZER
監督 万田邦敏

日本にも良作はある。

 

 

(21)我は神なり
監督 ヨン・サンホ

ダム予定地とか、新興宗教に詐欺師、地域の土俗の綯い交ぜになった現代の風景とぎっしりした見応え。
最後の手掘りっぽい穴倉のシーンも、「哭声」の最後の岩窟シーンより土俗っぽさや念が濃厚でよかった。

 

 

(21)哭声/コクソン
監督 ナ・ホンジン

とは言え、こちらも中々面白かった。

 

 

この他、デジタルリマスターされたキン・フー作品、エドワード・ヤン作品、出だしがアピチャッポン「真昼の不思議な物体」っぽさを期待させておきながらツァイ・ミンリャンっぽい立ち姿の長回しに繋げていったラヴ・ディアス、白人支配への荒唐無稽なカウンターパンチ、ジョーダン・ピールなんかも残った。ベスト外のものも、良くも悪くも語りたいものは多々あり、線引きは難しかった。

皆さんが、2018年もいい映画に出会えますように!


2018.01.06