キャマダの、ジデン。㊻坂本さんと美術部

鎌田浩宮・著

Ryuichi
Sakamoto
at
school.

僕は小中学校と、
図画、美術の成績が
ぶっちぎれていた。

写生大会があれば
世田谷区の区展に出品されるし
対象を正確に精密に
描写することに関して
右に出る者はいなかった。

しかし中学3年の時
デッサン力では劣るいまこから
モンドリアンを教えてもらい
写実主義以外の歓びを知り
美術に目覚めた。

都立新宿高校に入学し
入りたい部活動は多々あったが
その1つが
美術部だった。

敬愛する坂本龍一さんは
美術部でもないのに
部室に入り浸っていたそうだ。

そこで、
仲間や美術の先生と共に
酒盛りをしていたんだそうだ。

嗚呼、
なんと
自由な時代!
素晴らしき時代!

美術の先生が先駆的なのは
同時期の都立日野高校、
キヨシローを可愛がった
「僕の好きな先生」
と同様だ。

そんな自由の空気ってやつを
思いっ切り吸い込みたい
そんな思いもあって
美術部に入部した。

酒と言えば、
その後僕らは
文化祭や体育祭や合唱コンクールを
終える度に
近くの居酒屋で
打ち上げをするのは
ごく普通の光景だった。

僕らの中には
標準服姿の者もいた。
いわゆる、
詰襟の学ランってやつだ。

そんな高校生を
通報する者もいなければ
教師も見回りには来なかった。
居酒屋も
普通に入店させた。

まだ呑み慣れない僕らは
よくトイレに駆け込んでは
ゲロを吐いたり
寝込んでしまったり。

僕らが高校生だった80年代、
時代はまだ
窮屈ではなかった。

ただ、
私立高校では
全くそういった事は
許されなかったし
都立高校でも
厳しい所が多かったはず。

新宿高校の自由は
坂本さんたちが全共闘で
勝ち取ってくれたものだ。

3年生になって
修学旅行の時も
圧巻だった。

僕らは、
ごく当たり前のように
夕方になると
酒を買い出しに行って
夜中に各部屋で
酒盛りをした。

一応先生に遠慮して
大騒ぎはしなかったさ。

あまりにも怒られないので
拍子抜けして
そこそこに呑んで
すぐに就寝しちゃったよ。

旅行中、
唯一先生が怒るのは
男子生徒が
女子の部屋に入ることだけ。

ただ、
坂本さんの時代のように
校内で酒盛りをするのは
もう許されてはいなかった。

自由が1つ無くなっただけで
当時の僕は
とっても寂しい思いで
一杯だった。

酒盛りをして
昭和館でヤクザ映画を観て
あるいは他のコヤで
ゴダールを観て
紀伊國屋書店で難解な哲学書を読み
喫茶店で議論にふけり。

ただ、
坂本さんは
新宿駅西口のフォークゲリラには
参加しなかったという。

歌なんか歌っても何も変わらない、
馬鹿馬鹿しいと蔑視していた
という。

キヨシローにしても
それは同感だったと思う。

今でも
新宿は
自由だろうか?
あの学校は
自由だろうか?

知っている人がいたら
教えてほしい。
知っている人が
いるならば…。


2015.03.20