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キャマダの、ジデン。㊹中学卒業
鎌田浩宮・著
1日の睡眠時間は、
3~4時間。
夜中の3時頃まで受験勉強をして、
7時過ぎには起床。
これは、
小学6年生の時に
中学受験を経験したので
そんなに苦では
なかったです。
とか言いつつ、
中学受験では
どこにも受からず
世田谷区立駒沢中学校へ
入学したわけですが。
ただ、
ビンボーな我が家は2部屋しかなく
こたつのある部屋は
夜の11時まで、
家族がテレビを観ている。
その中で、
ガヤガヤと賑やかな中、
勉強していましたねえ。
おかげで、
今でも集中力にゃあ、
自信、あります。
なぜ、
もう1つの部屋で勉強しないの?
というと、
暖房代節約のため
夜中にならないと
ストーブ、つけてくれないんです。
というわけで、
しっかり
第1志望の高校
合格しまして。
都立新宿高校。
都立高校の中で
最も自由と自治のある
学校なのではないかしらん?
だって、
坂本龍一さん
教授が60年代末に
闘争した末植えつけた
学校なんだもんね。
夢は、
ミーハー心も手伝って
膨らむばかり。
一方、
中学の自由と自治を目指して
受験勉強よりも必死に奮闘していた
生徒会活動も
学校新聞の発行禁止も
全ては
管理教育派の教師によるなし崩しで
ふが!っとゆー間に
夢半ばのまま
卒業になってもーた。
学校新聞はどぶに捨てられ
他に何か別の企てを仕掛けよーにも
もー、タイムアウト。
卒業だった。
ただ、この時期は、
つるんでいた仲間と
他の部分で
芽
を出すことができていた。
バンドを生まれて初めて結成したのが、
この頃。
ビートルズと岡林信康を好きな
岩ちゃんの作詞作曲技術のおかげで
既にオリジナル曲を演奏できたのは
とっても大切な出来事だった。
結局、このメンバーで
学校主催、卒業直後の感謝式で
その曲を発表できた。
とてもへたくそで、
聴けたもんじゃなかったろーし
同窓生の間でも
覚えている奴なんか
少ししかいないんだろーけれど。
けれど、
あのオカタイ中学校で
エレキギターにドラムスにベースやヴォーカルを
がなりたてることだできたわけだ。
また、当時は
ビックリハウス文化や
ヘタウマに代表される
イラストレーターブームもあり
抽象画の得意なあぶを筆頭に
絵を描くのが好きな仲間だった。
そこに
「不思議、大好き。」
「おいしい生活。」
なんかのコピーライターブームで
言葉の新しい可能性に
胸をワクワクさせていた僕らは
絵に言葉を乗せて
好き勝手にポスターを創っては
学校に無断で貼ったりしていた。
当時のコピーライターブーム、
本当に、夢、を与えてくれたんだよ。
それまで、宣伝というと、
いかにいい製品か、
いかに安い製品か、
ということを上手に伝えるのが
宣伝
だったのよ。
それがいきなり
「不思議、大好き。」
「おいしい生活。」
なんてコピーの広告が現れた。
不思議なことを見つけると、ワクワクしますよね?
おいしい生活って、皆さんにとっては、何ですか?
自分にとっての、
不思議なことを探したり、
充実した豊かな生活について考えたり、
そんなことを提示してくれたのは
映画でも
音楽でも
テレビでも
文学でも
芸術でもなく
広告
だったんです。
文化祭もなかった
寂しい中学校だったが
展覧会だけは、あった。
僕らはここぞとばかりに
絵やグラフィックデザインの真似事を
教室中に、貼りまくった。
何もかもが
校則で禁じられていたけれど
ゲージツだけは、
制御、できない。
3学期の最後に発行される
学校側主導による学校新聞では
卒業生全員が3行ずつスペースをもらって
お別れの挨拶を書くのが通例だった。
「バスケ部後輩の皆、頑張れよ」
「○○くん、好きだった」
「高校生になったらバイク乗るぞ」
的な言葉たちの中に
確か、僕の仲間の誰かが
こんなコピーを書いていた記憶がある。
「校長先生、あなたのおかげで、僕はこんなに大きくなりました。」
こーして僕らは、
何もできなかった挫折感と
別の方面でほんのちょび芽を出せた自負を
ごっちゃまぜぐるんぐるんにしながら
押し出されるよーに
卒業していった。