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キャマダの、ジデン。㊸都立新宿高校
鎌田浩宮・著
時は、中学3年生。
進路を、決めなくっちゃいけない。
だけんじょ、父は女を作って、家出してしまった。
これで、2度目だ。
嗚呼、おっ父…、おっ父…。
母は、昼も夜も働いていた。
昼は、修おじさんのデザイン事務所。
夜は、バーのホステス。
学費の高い私立は、諦めなならんな。
周りの同級生が、
聖子だの明菜だのkyon2だのと言っている時、
僕の憧れは、YMOとRCサクセションだった。
どっぷり、
完全に、かぶれていた。
気が触れちまってる
ような状態だった。
そうか…
細野さんとユキヒロは、私立だったのか…。
(そう、当時は幸宏さんではなく、ユキヒロだった)
チャボも、私立か…。
お!
キヨシローは、都立じゃないか!
でも、日野高校は、学区域が違う。
三軒茶屋からは、遠すぎる。
教授は…都立新宿高校。
在学中に全共闘を組織し、
生徒の自治と自由のために
奔走した、とある。
期末テストを廃止させ、
制服制帽を廃止させ、
エトセトラエトセトラ。
…カッコいい!
だから都立高校は
未だに制服のない所が、多いんだ。
その頃最盛期だった
校内暴力を封じ込めるため
がんじがらめの管理教育が
敷かれていた、僕の中学。
何が何でも、
自由のある高校に、
行きたい。
生徒を、人格のある一個人として
見ない学校など、もう真っ平だった。
新宿高校は
坂本さんらのおかげで、
数多くある都立高の中でも、
とびっきり自由のある
学校なんではないだろうか?
ここに、行こう。
新宿高校に、決めた!
憧れの教授がいた学校に。
自分で言うのも嫌らしいけれど、
僕の成績は、
新宿高校より上の高校でも
合格できるものだった。
ただ、
中学で自由と自治を求め
生徒会などで暴れまくっていたせいで
通信簿は悪かった。
当時の都立高校の入試は
テストでの成績と
中学での通信簿との
両方を均等に重視するものだった。
すると、
新宿高校は
身の丈に合った学校だった。
どれほど
自由な学校なんだろう?
という聡明な志と
教授の卒業アルバムとかが見られるな
というエラくミーハーな欲望が
ごっちゃ混ぜになっていた。
生徒会室へ行ったら
「坂本龍一」
と本人の落書きがあったりして。
期待は
胸一杯に、
膨張しまくるんであった。
入学費がどうなるかも、忘れて。
でもって、この年
1983年の12月には
YMOの散開ライヴを観に
武道館へ。
絶叫する、キャマダ。
「ユキヒロ!」
「教授!」
「ハリー!」
(細野さんをハリーと声援するのは僕だけだった)
受験勉強、
大丈夫か?
つづく・・・
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