1990年5月5日(土) 恋とマシンガン

文・弥生

やー
あついねしかしっ!

.

フェスではあまりの暑さに浴びるようにビールを飲んでもまったく
酔わなかったわけですが、まあ無事サマソニも終わり、私の夏もひと段落。

ここしばらくフェスネタが多かったので、
フェスが終わるとこの枠もネタに困るなー。。

・・・そーだ。

そーいや前回「有頂天」の話を書いたこともあって、
あの後、なんとなく80~90年代の音楽を拾い聴きしたりしてたので、
じゃーその辺りの話題なぞ。

80年代は、国内の音楽的にはいわゆる
「ニューウエイヴ」ってやつがあって、
有頂天なんかもそこに入るんだと思うんだけど、
この時代は私にとっては
どちらかというと「あこがれ」だったんですよ。
自分がその時代でいう
「サブカル」のメイン世代になるにはちょっと若かったので(小学校後半)、
年上のオニーサン、オネーサン達のカッコいい(そして浮かれたw)
文化だと感じていたわけです。

そして90年代のちょうど幕開けあたりで、ようやく自分がそういう
カルチャーに身を置ける中心世代
(それはつまり、恋したり、悩んだり、お金に苦労したりっていう
事が自立してできるって意味なんだけどw)
になった時、外せないバンドとして世の中心にいたのが

「フリッパーズギター」

でした。

説明不要、ですよねー。

あの頃って
「STUDIO VOICE」にフリッパーズのネタがない時はなかったし、
大好きな岡崎京子の漫画にはしょっちゅうフリッパーズが出て来た。

でも、正直私は「渋谷系」を毛嫌いしてたね。当時は。

なんかあの「オサレ感丸出し」って感じが、泥臭いニオイのするものに
傾倒していた私には恥ずかしかったっていうか。
今思えばかなりもったいないよねー。

とは言え。
音楽性の高さは肌で感じてはいて、
ラップの良さが分からない私でも、当時はことあるごとに
「メモれーコピれー」って言ってたw

なんせ今聴いても全然古くない。

「恋とマシンガン」なんて、ドキがムネムネ、
ハートがキャ~ ですよwww

個人的にはフリッパーズ解散後の、小山田圭吾の
「コーネリアス」のほうに強烈なかっこよさを感じるけどね。

特にコーネリアスと言えば、私の中では辻川幸一郎
もうこの人の作る映像美ってすごすぎる。
「Drop」とか、最初観たときはちょっと鳥肌モンでしたもん。

フリッパーズの曲って、汗臭さがまったくないので、
清涼感があってある意味では「夏の曲」と言えるのかもしれないですねー。

寝苦しい夜が続く昨今、今晩あたりフリッパーズの曲でもいかが?


【編集長より】
とっても興味深い原稿を
どうもありがとうございました。

1968年生まれの僕は
小学5年生の時
リアルタイムでYMOに出会い
その衝撃は非常に強く
その後音楽を
自分で創るようになっても

その「YMO呪縛」は
非常に強固なものでした。

僕らのお兄さん世代…
高野寛さんや、テイ・トウワ、
小西康陽でさえ、
この呪縛を逃れた音楽家は
いなかったんじゃないかな

と思えるほどです。

(笑えるのは、
実際に1968年生まれの世代の多くが
熱中して聴いていたのは

オザキやボウイなんですけどね。
僕には退屈なムーブメントでした)

僕が大学生の頃
その呪縛を全く受けずに現れたのが、
フリッパーでした。

もう、驚いたのなんのって。
この辺のジャンルは
知らなくはなかったんですが

実際に演る音楽家は
日本にはいなかったからです。

それこそ、
「STUDIO VOICE」を始め
感度のいいメディアは
大歓迎して迎えたのでした。

当時僕は、
現・舞天でベースを弾いている
今泉君とバンドをやっていて

彼に「恋とマシンガン」を
急いで聴かせたんですが

彼は
「?何これ?」
とチンプンカンプンな様子だったの
を覚えています。

先日ラジオに青葉市子が出てまして
彼女は細野晴臣さんが発掘して有名になったのに
彼女は細野さんの事、知らなかったんですって。
で、彼女はフィッシュマンズとかを
カヴァーしてるんですね。

ああ、時は移ろうんだなあ。

小山田君と僕は確か同い年。
彼は三軒茶屋に住んでいるようで
たまにすれ違います。

その時僕は心の中で
「今、三軒茶屋でNo.1とNo.2の音楽家がすれ違ってる」
とひとりごちてるんです。
1位が彼で、2位が僕です。
僕、頭がおかしいんです…。
(鎌田浩宮)

2013.08.16