キャマダの、ジデン。㉝学校新聞

鎌田浩宮・著

徳ちゃん。
この先生は、
僕らの学校新聞の計画に
乗ってくれるのか。
やる気がないのか。

僕は仲間を促して、
学校に対する思いのたけを、
学校というものが本来持つ素晴らしさを、
そう、4年2組で和田先生と過ごした日々のように愛に溢れる日々、
そう、僕らの自由を、
沢山の原稿を、
書いた、書いた、書きまくったさ。

徳田先生に、読んでもらった。
四角いメガネで、
表情も変えず、
静かに、読んでいった。

「鎌田くん、やろう。」

えっ?!

意外だった。
まだこの学校に、
学校を変えようという思いに
共感してくれる先生がいたのだ。

それからは、
高校受験が間近だっつーのに、
連日放課後遅くまで
編集に没頭した。

他の学校へやむなく異動していった
リベラル派の先生にも、原稿を書かせた。
強い思いのたけが、
郵送で送られてきた。

「私も、書いてみたよ。」
なんと、徳ちゃんも、原稿を書いてきた。
ビックリした!
そこには「こんな生徒がいたのか」という、
僕らへの驚き、共感、共鳴、同調が
とても平易で素直で、
なおかつ熱い文章で綴られていた。

原稿は、
これ以上ない仕上がり。
紙面割りをし、
レイアウトを組んだ。
あとは印刷するのみ。

徳ちゃんに、呼び出された。

「鎌田くん、ごめん。発行禁止になった。」

呆然だ。
呆然だった。

そんなことは知らなかったが、
学校新聞の発行には、
校長の許可が
最終的に必要だった。

不許可だったわけだ。

徳ちゃん自らは語らなかったが
他の先生が教えてくれた。
徳ちゃんが、
職員会議で、
管理派の連中から恫喝されたこと。
「こんな生徒の肩を持って
自ら原稿まで書いて、
何を考えているんだ。」
腕力にものをいう男教師連中に、
怒鳴り散らされ、
強引に発行自粛を迫られたということ。
あの冷静沈着な徳ちゃんが、
泣いていたということ。

何故、泣いたか。
もちろん、恫喝された恐怖もある。
徳ちゃんだって、まだ若き女性なのだ。
汚い男どもに袋叩きにされりゃあ、なのだ。

しかし、それと同じくらい、
同僚で自分の味方をしてくれる者がいない
いや、いたのだろうけれども、
その場ではなにも言えない同僚に
悲しい思いをしたというのもあるのだろう。

傍観者、っているよね。
当時、子供の目で見ても
この先生、ノンポリなんだろな、
デモシカ教師なんだろな、
の人々、いたからね。

自治とか
自由とか
を、自分の人生の中で
考えることなく過ごした人たち。

ただそれにしても、
自分の職場で
同僚が恫喝されている時に
何もできないというのは
まずい。

校長は、狡猾でした。
腕力のある体育教師を子分にし
自分からは何も言わず
子分にその場をまとめさせちまう
腐ったヤクザの親分でした。

腕づくで、
全てはどぶに、
捨てさせられた。

当然僕らは当時、
怒ったんだろう。
自費出版をしようとか
校長室に怒鳴り込もうとか、
いろんなことを
徳ちゃんに言ったんだろう。

でも、結局そうしなかったのは
徳ちゃんに相当の迷惑がかかる
ということが
15歳のヒンソーな脳みそでも
解ったからなんだろう。

もう、卒業は、間近。

同じ時期に、
ちょうどうちの親父が
何度目かの女を作り、
家を出て
正式に離婚
ということになった。

再び母は、
昼夜なく働いていた。


2013.05.22