キャマダの、ジデン。㉜徳田美喜子先生

鎌田浩宮・著

駒沢中学校創立以来って、ほんとかよ?
ってな得票数で、生徒会役員になったのれす。

まずは、毎週月曜に行われる朝礼の中に、
生徒会の時間枠をもらった。
意外と、これはすんなり許された。

基本的には
僕らは自由であり、
自治の権利があり、
学校に意見する権利がある、
とゆーことをケイモーしていくわけだが
とにかく、朝礼台に昇ってマイクを握り、
毎週好き勝手に喋った。

ある日の朝礼の始まり。

なかなか生徒が整列しない。
校長お抱えの体育教師が
早く並べと怒鳴り散らしている。

と、その後に、
僕はマイクを持って苦笑しながら、
こう言ってしまうのだ。

「叫ばれて、怒鳴られて、整列させられる。
これじゃまるで、軍隊ですよね。
教育は、力で強制されるもんじゃない。
僕らは学校が好きなんで、
軍隊が好きなわけじゃない。」

校長や体育教師は、
顔を真っ赤にしつつも、押し黙っていた。
生徒は笑っていた。

でもね、朝礼が終わると、
全校生徒にはバレないように
体育教師は僕を使われていない教室へ連れて行き、
数十分も監禁しましたよ、ガハハハ。

こちらがチノーハンなもんだから
殴られずには済んだけど
もー、恐喝に近いくらい
怒鳴り散らされました。
あー、おっかなかった。

さ、そんなもんには、めげず。

あとは、校内のメディアを使って
色々と、仕掛けました。
中学3年とはいえおませな僕は
メディアを牛耳れば民衆を把握できる
って事くらいは知っていたし、
何よりもメディアそのものが好きだった。

日頃からつるんでいる友人を、巻き込んだ。

当時のコピーライターブームに惹かれ、
言葉の力を覚え始めた、士郎。

美術の成績は下、
でも、授業でも教えていないはずの
抽象画を描かせればピカイチの、あぶ。

ビートルズと岡林信康に魅せられ、
いち早く作曲をマスターした、岩ちゃん。

4年2組の頃からつるんでいて、
隣りの中学に通っていたものの
何かと知恵を貸してくれた、
そう!
あのコンビニ-パンの耳-レモン味の、かときん。

そして、小学4年のあの夏、
そう、僕の苗字が変わるかも知れない秘密を
抱きかかえてくれた、いまこ。

彼らとチームを組み、
アイデアを出し合い、
僕をバックアップしてくれた。

まずは、給食の時間の校内放送。
放送委員会の中には、
やる気のある生徒は、
誰もいなかった。
なので、楽々、乗っ取ってしまった。
スネークマンショウに影響された
風刺の効いたトーク番組をやった。

そしてその次に、学校新聞に着手した。
学校新聞は、広報委員会の管轄で、
顧問は、国語の徳田美喜子先生。

徳ちゃんは若いのに、
つかみどころのない、
不思議な先生だった。

国語の先生なのに、
いつも理科の先生のように白衣を着ている。

彼女は、四角いメガネをかけ、
話す言葉は、感情を省いた、簡潔なものだった。

管理教育派、
だいぶ少なくなったリベラル派、
教師間の、
どちらに傾げいているようでもなかった。

6時間目が終わると、よく、
生徒と同じ時間に帰宅した。

僕がそのことを揶揄すると
「必要な分は働いたのよ。
いつ帰ろうと、私の権利じゃない。」
と、簡潔に言った。

かと思えば、国語の授業では、
井上陽水の「ワカンナイ」や
ポール・サイモンの「恋人と別れるための50の方法」
をプリントにして配っていた。

そのプリントを見て
「この先生は信じられる」
と踏んだ僕は、既に有名無実化していて
全く発行されていなかった学校新聞に
僕らの意見を余すところなく掲載して
僕の活動の集大成にしたい、
と、徳ちゃんに言った。

既に、3年生の冬。
受験シーズン。
時間は、ない。
卒業が、間近に迫っていた。

続く・・・


2013.05.15