ボキッのこと

文・鎌田浩宮

先日、左腕を骨折しまして。
忙しい年の瀬に、何故。
拝願不足(ウガンブスク)か。
ご先祖様や精霊には、毎朝お供えしてるのだが。

でも、家族や仲間には、とても親切にしてもらっていて、ありがたい限り。
ごはんの時、お皿に取り分けてもらったりすると、ああ、いつもは僕がしてたんだよなあと感慨。

しかし、だ。
問題は、電車やバスの中、である。

左腕には上着を通さず、三角巾で腕を吊っている状態なんだが、席を譲ってもらえること、まずない。
右手に荷物を持っている状態だと吊り革をつかめず、危なっかしいのだ。
加えて、転んで骨折した時の恐怖が、よぎらないわけでもない。
左腕も、痛くないわけではない。

仕方ないので、優先席の前に行く。
改めて気づくのは、若者の男やサラリーマンが座っている率の多さ。
貧血などで立っていられないわけでも、なさそう。
だって、スマホンでゲームしているもん。

確かに僕も営業マンだった頃、得意先で3時間立ちっ放しでいたりすると疲れ果ててしまい、空席を見つけるとオアシスのように感じたもんだった。
それでもお年寄りを見かけると、もうひと踏ん張りせねば、と席を譲ったもんだった。

デブ、だからか?
僕がデブで、丈夫に見えるからか?
ラガーマンかなんかに、見えるのか?
ラガーマンなら骨折しても、立っていられるだろうってか?
デブは立っとけ、ってか?

この国はおもてなしの国だと威張っておるが、デブの障がい者は、おもてなしされない。
そもそも、おもてなしという言葉がこの国にこんなにまき散らされているのは、おもてなしが空気や水のように、あって当たり前の世の中になってないからじゃあないのか。
おもてなしの国では、健常者が優先席でスマホンだ、街を歩けばヘイトスピーチだ、シングルマザーや非正規雇用者が冷遇だ。

じゃあ一声かけて席、譲ってもらえばいいじゃねえかと簡単に考えるかも知れんが、一声発するのもなかなかに気力のいることなのを、今回身に染みた。
だから車内にゃ立たされたまんまのお年寄りや、赤ちゃんをおんぶした親や、妊婦や、デブの障がい者が右往左往しなきゃならんのだ。

僕なんぞ健康だった昨日までは、席には座らなかった。
僕なんぞのしょうもないもんが、席なんぞ座るもんじゃない。
弱者がそこにいなければ、レディーファーストで、女性に率先して座ってもらえばいいぞ。
若い男がふんぞり返って座るのは、草野球だ。
そうよ、ミットもない、ということだ。

映画「鎌田浩宮 福島・相馬に行く」の上映で札幌を訪れた時、どんなに混んでいても、地下鉄の優先席は常に空席だった。
よく調べるとこれは優先席ではなくって、専用席だったのよ。
これには驚いたし、やりすぎなんじゃないのと、その時は思った。
が、今では、そう思わない。
弱者がわざわざ声を上げなくっても、速やかに「おもてなし」されるには、これしかないだろう。
でも、僕も褒められたもんじゃない。
自分が弱者になって、それこそこの文も片手でしか入力できなくて、そんな風になるまでは、専用席を疑問に思ってたんだから。

これが、おもてなしの国の現状だよ、ね。
そして僕は、外出をやめない。
世界には観たい映画や出かけたい場所が、掌からこぼれるほどあるんだから。


2015.12.22